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翠雨の後 45

 そろそろ眠ろうと布団を捲ると、真っ白な雑巾が出て来た。 「あれ? あっ、そういえば昨日……」  流さんが「薙、ここに置いておくぞ」って言っていたな。  あれって、学校に持っていく雑巾のことだったのか。  オレ、ちゃんと見てなくて、てっきりまだ準備してないと父さんに甘えちゃったな。  でも、まぁいいか。  流さんは今宵はアトリエに籠って衣装作りに励んでいて、父さん少し寂しそうだったから。  結果的に『親孝行』出来たのか。  父さんと流さん、二人は恋人だ。  どうして、こんな異例な関係をすんなり受け入れられるのか分からないが、オレは驚くほど自然に受け入れていた。  あの事件がなかったら、この境地にはならなかっただろう。  あの日、身体を張ってオレを守ってくれた父さん。  父さんには絶対に幸せになって欲しいんだ。  オレは……あの時はまだ子供で全然役に立たなかったが、今後父さんを脅かす奴がまた現れたら、オレが薙ぎ払う!  オレは父さんの子だ。  だから父さんを守る!  窓の外には、いつのまにか雨がしとしと降っていた。  春の雨は静かなんだな。  布団に入るが……なかなか眠れない。  誰かと話したい気分だ。  オレの高校生活のスタートは順調だったと言えるかな?  拓人、お前はどうだった? 直接話したいな。  よし! 電話をしてみるか。  拓人に電話をかけるとワンコールで出た。 「お! 早いな」 「いや、実は今俺からかけようか迷ってた」 「いいタイミングだったんだな」 「そういうことだ。あのさ……薙、高校入学おめでとう」 「拓人もだろ? おめでとう!」 「ありがとう」  今日は初対面の人とばかり喋ったので、少し気疲れしていたようだ。  だから、拓人と話せてほっとした。 「薙、友だち出来たか」 「まぁ、何人かとは話したよ」 「俺も同じだ。薙、ついに高校のスタートだな」 「大人に近づけるのが嬉しいよ。父さんはまだまだ甘えて欲しいみたいだけどね」 「分かる! 同じだよ。どこの父さんも息子に甘いのかな?」 「さぁ、オレたちの父さんは特別なのかな?」  拓人と、お互いの父さんの話を明るく出来るのも嬉しかった。 「薙、眠いんじゃ?」 「分かる? 拓人と話してほっとしたせいかな」 「ははっ、褒められているのか」 「あぁ、褒めてるよ」 「……」 「……」  無言の時間も、苦ではない。  拓人とは苦楽を共にしたからか、お互いのどん底を知っているから、何も怖くない。 「拓人ー 風呂に入ったのか いい湯だったぞ~」 「あ、お父さんが呼んでる! 薙、またな」 「じゃ、おやすみ」 「うん、電話ありがとう」  電話を切って、安堵した。  拓人、達哉さんに随分可愛がってもらっているんだな。  本当に……本当によかった。  そのまま目を瞑った。  雨音に耳を澄ますと……昔、父さんが歌ってくれた童謡を思い出す。 『あめふりくまさん……』  あれ好きだったな。  オレが父さんの手を引いて探検している気分になった。  今宵も、いい夢が見られそうだ。  幼いオレがどんなに父さんに愛されていたか、もっともっと思い出したい。 **** 「おはよーございます!」  あれれ?   どなたもいらっしゃらないのですか。  朝のお勤めは?  薙くんのお弁当は?  皆さんの朝ごはんは?  庫裡を覗いても誰もいませんね。  時計を見ってびっくりしました。 「あれれ、僕、1時間も早く来てしまったのですね」  最近、日の出が早くなったから気付きませんでしたよ。  家にいると、少しだけ窮屈なんです。  特に朝は皆忙しく、僕はお邪魔で居場所がありません。  東京までお勤めに出るお父さん、妹のお弁当を作るお母さん。  朝から身支度に余念がない高校生の妹。  高校に上がらず仏門に入った僕だけが異端児のようですね。  家族に疎まれているわけではないのですが、皆、僕の扱いに困っているようです。  仏門にはなんの関心もない家なので、僕の世界が理解できないようです。 「風太……あなた若いのにいつもお坊さんのかっこうばかりして。たまには普通の格好をしてみたら?」 「お母さん、でも僕はこれが好きなんです」 「……お洒落な今時の服を買ってあげる楽しみもないのね」 「……ごめんなさい」  だから、無意識のうちに、いつもより早く家を出たのかも。  山門の階段に腰掛けて、皆さんが起きていらっしゃるのを待ちましょう。  ここはいいです。  桜の花びらが舞い、僕の大好きなあんこもいつも戸棚に入っています。  そうそう、ご住職さまが冬にあたたかい衣を作って下さったのです。  お優しいご住職さま。  大好きです。  流さんも僕を可愛がってくれているの、ちゃんと伝わってきます。  丈さんも洋くんも、薙くんも仲良くしてくれます。  ここでは普通でなくてもいいのです。  だから、僕はここが好きです。  今日もここで過ごせるのが幸せです。  すると背後から声を掛けられました。 「よう! 小森、もう来ていたのか」 「あっ、流さん、おはようございます」 「ちょうどよかった。こっちに来いよ」 「なんでしょうか。あんこですか」 「惜しい!」 「ワクワクします」  僕はその後、感激で泣きそうになりました。  流さんが僕に羽織らせてくれたのは、桜餅色の衣装でした。 「やっぱ似合うな。翠が作ってやれっていうからさぁ~」 「わわわ、これ、僕が着てもいいんですか」 「あぁ、お前以外似合わん」 「ううう、うれしいです」  流さんに抱きつくと、流さんは満更でもないようで、快活に笑ってくれた。 「小森がそんなに喜んでくれるなら、夜鍋して作った甲斐あったな」 「夜鍋して下さったのですか」 「いや早起きに変更になったんだった」 「どちらでもいいです。流さん、ありがとうございます。流さんに御利益がありますように。流さん、今生では……ようやく逢いたかった人と巡り逢えてよかったですね。もう離れません。もう何も起きませんよ」  流さんの気から感じ取ったことを伝えると、流さんは一際嬉しそうに笑って下さいましたよ。  全部、本当のことですよ。        

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