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雲外蒼天 5
「にゃあ、にゃあ」
「ん? どうした」
母屋に戻る途中、胸に抱いていたルナがもぞもぞと動き、カリカリとボクの胸元をひっかいたので、あろうことにか「ああっ!」と上擦った声を出してしまった。
だ、誰もいないよな?
慌てて周囲を見回した。
月影寺の住職たる者が真っ昼間から浮ついた声を上げるとは、なんとも嘆かわしい。
もしも師匠が生きていらしたら、叱咤されただろうか。それとも……しかたがないことよと微笑まれただろうか。
これは流にはまだ話していないが……
若い頃、弟に対して沸き起こる不思議な気持ちを持て余し、よく滝行に出掛けた。ある日、山奥の滝行で知り合った古寺のご住職。彼を僕は師匠と呼び、持て余していた募る気持ちを吐露したことがある。その時内々に伝授してもいただいた煩悩を押さえ込む技は、今はもうすっかり無効になってしまった。
「師匠。結局……僕は心の結界は自ら破ってしまいました。でも月影寺を守る結界は揺るがせてはおりません」
生きている限り、何人たりとも好奇心の目や冷やかしで、この月影寺に向けることは出来ないよう結界をはっている。
僕の弟達や可愛い弟子を貶めることは、許さない。
「にゃあ、にゃあ」
あまりにもルナが暴れるので苔生した岩の上に降ろしてやると、竹藪に向かって突進していった。
「待って! どこへ行く?」
「にゃあー‼‼」
普段は大人しい白猫なのに、一体どうしたのだろう?
僕が預かると言った手前、何かあったら大変だ。
「どうした? さぁ、早く出ておいで」
竹藪がカサカサと揺れているので、中にいるのは分かる。
だが、なかなか出てこない。
次第に茂みの揺れがガサガサと大きくなり、僕は真っ青になった。
「ルナー! 無事か」
「あのぅ~ ご住職さま? どうかされたのですか」
振り向くと口元にあんこをつけた小森くんが、僕の背中をツンツンと押していた。
「あっ、小森くん、いいところに来たね。大変なんだ。ルナが戻ってこない!」
「了解しました。では、僕が見て参りますね」
小柄な小森くんは平然とした様子で腰を低くして、茂みの中に潜っていった。
「ん? あぁ……なんだ、そういうことですか。ご住職さま~ 番《つがい》がいましたよ」
「へ?」
「今、そこにお連れしますね」
番って?
えっと……ルナは雌猫だから、雄猫がいたってことなのか?
「じゃじゃーん、ご住職さま、おめでとうございます! とっても凜々しい黒猫ちゃんですよ」
竹藪から出て来た小森くんは、頭に葉っぱをちょこんと乗せてニコニコ笑っていた。
胸元には、白猫のルナと真っ黒な猫を抱いている。
「黒猫ちゃんですよ」
「にゃあ~」
黒猫は愛嬌のある顔立ちだった。
「あ、うん……なかなか可愛いね。どことなく弟たちに似ているような」
「僕もそう思います。あのあの、このまま飼っちゃいます?」
小森くんが甘い誘惑する。
「うっ……」
「ご住職さま、これも一つのご縁ですよ。黒猫が家に来るのは幸運が訪れることを意味しています。それに黒猫には邪気を払う力もあるので、訪れた家の悪い運気を払ってくれますよー」
「そ、そうか。ならば無下には出来ないね」
勝手に猫を飼うことにしたら流に怒られるかと迷ったが、小森くんの言葉が決め手になった。
「この猫ちゃんは一緒になる運命のようですよ」
きっとこれから良いことが起きる前触なのだ。だから追い払ったりせずに優しく見守ろう。
「よし、この猫は月影寺の結界の中で、自由に過ごしていいことにしよう」
「にゃあ、にゃあ」
ルナが嬉しそうに鳴く。
「ご住職さま、さぁお名前を授けて下さい。『あんこ』なんてどうでしょう?」
「……う、うん。そうだねぇ『あんこ』も良いけれども、ルナの番になるかもしれないのから、それに見合う名がいいね。そうだ、『シャドー』はどうかな?」
「わぁ!『影』という意味ですか! ステキですね!」
「うん、白猫が月《ルナ》で、黒猫は影《シャドー》で、二匹揃うと『月影』という意味になる」
「流石でございます、ご住職さま。だからこの猫たちは一緒になる運命なのです。シャドーよかったね。君はこれからご住職さまの子だよ」
(僕のシャドー)
早く、そう呼んでみたい。
洋くんがルナを猫可愛がりしているのを見て、本当は羨ましかったんだ。
あ……でも、僕が猫を飼うといったら、流は妬くかな?
「この黒猫は風貌が流みたいだ」と告げたら許してくれるかな?
(僕の流)
そう呼んで、お願いしてみよう。
「なぁ……駄目か」
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