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天つ風 14
「流、あれを貸してくれ」
「ん? あぁ、翠の秘密兵器だな、ちょっと待ってろ」
「あれがあると上手に出来るんだ」
寝起きの翠は、いつもよりふわふわしていた。
そしていつもよりテンションが高かった。
それが、最高に可愛かった。
翠が軽口や下ネタにのってくれるなんてレア過ぎだ。
フンと鼻の穴がまた大きくなったような。
「ほら」
「ありがとう」
茶碗を渡すと、子供みたいな笑顔を見せてくれた。
兄でも住職でもない、翠の素の顔だ。
覚束ない手で茶碗にご飯をよそい、たらこを埋めて、ご飯をかぶせる。
それを器の中でコロコロ、コロコロ~
「あっ!」
「お、おっと」
危ねー! 弾みで飛び出たご飯を、なんとかキャッチ!
「翠、勢いが強すぎるんだよ」
「ごめん、加減が分からなくてね、こうかな?」
カタカタと震える手にギョッとする。
翠はいたって真剣だ。
「ああぁ……それだと永遠に出来ない……」
こんな不器用な所も可愛い。
最初は寛大な気持ちだったのに……余裕がなくなってきた。
俺がせっせと握っている端から、おにぎりが器から元気に飛び出してくる。
「ふぅ、キャッチできたぞ」
「ご、ごめん」
翠はたいした作業をしていないのに、額に大粒の汗を浮かべていた。
「あーあ、参ったな。僕には裏技も通用しないようだ。流に身の回りの世話をしてもらうようになって10年以上……ますます何も出来なくなってしまったよ。……せっかくの裏技の茶碗も僕には無意味だったね。僕はその器ではないようだ」
しょんぼりした様子なので、励ましてやりたい!
「んなことないぜ! 翠は名器だ」
「えっ……め……めい……うわっ」
翠は何を勘違いしたのか、顔から火が出るほど赤くなって蹲ってしまった。
俺、今、なんか言ったか?
言った……?
言った!
『名器』って、言っちまった!
ボンっ!
煩悩が爆発した!
実際翠の中は、毎回俺を悶絶させる。
締め付け具合、襞の具合、熱っぽくまとわりつく感じ、全部最高だ。
だが、それを翠に言ったら絶対に怒るよなぁ。
お互い気まずさ満載で俯いて、耳朶まで赤くして、せっせとおにぎりをにぎり続けた。
気まずい静寂を打ち破るのは……
ひたひたという忍び足。
気配を感じて襖をシャッと開けると張り付いていたのは小坊主、小森風太。
「おはようございます~ あんこのにおいがしますよぅ」
「随分、早かったな」
「今日は1日留守番なので始発で参りました。何しろ三食あんこと聞いておりますので、朝ご飯からご厄介になります」
無邪気な笑顔に脱力する。
「おいおい、俺がいつ三食あんこって言った?」
「それは~ ご住職様が申しておりました。あ、三食だけじゃないですよぅ。十時と三時のおやつもあんこちゃんですって」
小森風太がお腹をこすりながら、てへっと笑っている。
俺も小森に甘いが、翠も相当甘い。
「翠、勝手なことを言うなよ。俺が作らなかったらどうなると?」
「流ならきっと作ってくれると信じていたよ」
「お、おう……そうか、まぁ、翠に言われなくても、作るつもりだったさ」
「りゅーう、小森くんは僕らの赤ちゃんのようだね」
「えぇ?」
「ええー!」
小森と俺の声が揃う。
いやいや、それはないだろ。
二十歳を迎えた健全な青年に向かって、管野が泣くぜ。
赤ん坊に退化すんなよ。
早く大人になれ!
****
「父さん、流さん、弁当作ってくれてありがとう! 行ってきます-」
「おー がんばれよ。あとで観に行くからな」
「薙、水分をこまめに取るんだよ」
「了解!」
玄関先で、薙の元気な挨拶。
俺と翠が協力して作った弁当を嬉しそうに抱えて笑っている。
ここに来た時よりずっと健康的な笑顔をになったな。
中2でやってきた時は青白い肌で不健康そうで、表情も固くだいたい不機嫌で……部屋に籠もってゲームばかりしていた。
本当に変わったな。
ぐぐっと伸びた身長、それに伴い、体つきもよくなった。
姿勢が良くなれば、視界が開け、目つきも良くなる。
翠に似てまだまだ華奢な体型だが程良く筋肉がついて、いい感じだ。
来年には翠を抜かしてもっと凜々しくなるだろうな。
薙の成長が楽しみだ。
それは翠も同じのようで、見送りながら、美しい顔で微笑んでいた。
「流、子供の成長を、この目で見守れるのは幸せだね」
「あぁ、そう思う。家族が一緒にいられるのはある意味奇跡だ。だから毎日を大切にしたくなる」
「同感だ。流、今日は父兄として楽しもう! さぁ僕たちも支度をしよう」
翠の凜々しさが、ようやく目覚めたようだ。
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