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天つ風 17
「翠、似合っているぞ」
「流、これ……ちょっと若作りじゃないか」
「んなことない!」
僕は流の見立てで、ブルージーンズに白いリネンの七分丈のシャツを着ていた。
鏡に映る自分の姿に、どこか落ち着かない気分になってしまった。
「楚々とした翠には、やっぱりフレンチリネンの白シャツが似合うぞ」
「うーん」
「どうした?」
「いや、最近は和装が主になっているから、胸元がスースーして」
「どれ?」
流がシャツの胸元を摘まんで、中を思いっきり覗く。
「あ、こら!」
「ははっ、ご馳走さん」
「前に、洋くんにもしていたよね」
「あっちは冗談で、こっちは本気だ」
一度抱きしめられ首筋をぺろっと舐められた。
「あぅ!」
変な声を出してしまい、慌てて口を塞いだ。
「うううう、色っぽい声だな。あーあ、名残惜しいが、煩悩は封印だ」
流が真面目な面持ちで、シャツのボタンを一番上までしっかり留めてくれた。
「キツくないか」
「大丈夫だ」
「翠の乳首は誰にも見せたくないから封印だ」
「も、もう」
「おっと時間だ。開会式にも応援団が出場するらしいぞ。見たいだろう?」
「うん! 見たい。ところで流のその格好は?」
「ん?」
ブラックジーンズにグレーのTシャツ。
ロックバンドのボーカルのようなファンキーな出で立ちだと、含み笑いをしてしまった。
「カッコいいだろ」
分厚い胸板を叩いて自慢するので、最後は苦笑してしまった。
「流こそ目立ち過ぎじゃな?」
「そうか~」
やれやれ、どこ吹く風と聞き流している。
それにしてもTシャツの前後の、『R』という文字が気になる。太く勢いのある書体で描かれているので、まるで躍動感のある龍のようにも見えるよ。
僕の視線に気付いた流が、悪戯っ子のようにニヤッと笑う。
「これ、いいだろ? 俺のイニシャルだよ」
「あぁ、なるほど、でもそんなの着るなんて珍しいね」
「まぁな! あの頃のように気合いだ、気合い。あと、翠が迷子にならないように目印さ」
「おいおぃ、僕をいくつだと思っているんだ?」
「ごめん、兄さん」
しおらしく謝られると、もうそれ以上は何も言えないよ。
僕は流にかなり甘く出来ているからね。
「流、もう行くよ」
「了解!」
体育祭は平日開催にも関わらず、賑わっていた。
「ここから見よう、もう間もなく始まるぞ」
「うん」
僕たちは、父兄の集団から少し離れた場所に立った。
皆、我が子が高校生活を謳歌している姿を見たいようで、ビデオやカメラを構えて張り切っている。
「ん? 俺たちもビデオやカメラが必要だったか」
「いや、この目に焼き付けるので不要だ」
「ふっ、兄さんのそういう潔い所いいな」
でもね、僕も同じだよ。
息子が頑張っている姿を見たくて駆けつけたのだから。
ふと薙が幼稚園の年少の時、運動会に行ったのを思い出した。
小さな赤ちゃんがスクスクと成長していく姿に、僕は記憶に眠る流の姿を呼び起こして、密かに胸を焦がしてしまったのだ。
流のことはもう忘れないといけないのに……
そう思うが止められなかった。
帰りたい、北鎌倉へ――
あの空気が吸いたい。
蓋をしていた想いが、少しずつ出てきてしまう。
そんな僕の変化を、彩乃さんは見逃してくれなかった。
……
「翠さん……あなたには誰か好きな人がいたのね、私と結婚する前に……酷いわ。まだ忘れられないの?」
……
思えばあの頃から、少しずつ歯車がずれてしまった。
僕は彼女からの信頼をすっかり失い、彼女の機嫌を損ねたくないので、意のままに従うようになって……
全部自分がまいた種だった。
あれから随分時が流れた。
薙が月影寺にやってきた時は中2の二学期。
体育祭は春に終わっており、その後も関係が良好とは言えず、僕の方もままならない状況に陥ってしまったので、学校行事に顔を出せるのはやっとだ。
本当に……ようやくなんだ。
やっと、ここまで到達した。
ここは、もがいて、もがいて、ようやく辿り着けた場所だ。
だから顔を上げよう。
だから胸を張ろう。
今日は僕達の息子の晴れ舞台だ。
「ウォォー」
雄々しいかけ声と共に、黒い学ラン姿の集団が校庭に飛び出してくる。
黄色いはちまきと襷が風に棚引いて、色鮮やかな世界だ。
その中に、すぐに薙を見つけた。
僕の高校の学ランを着て、真剣な表情だ。
まるで昔の僕がそこにいるようだ。
その目つきや仕草は、昔の流のようだ。
フレーーーーーーーッ!
フレーーーーーーーッ!
僕たちを視界に捉えたようで、薙が真っ直ぐに見つめてくれる。
キビキビとした動きで大きくエールを切ってくれた。
あぁ、そうか。
薙は、僕と流を応援してくれているのか。
それが直球で届いて、心が痺れた。
「翠、最高の光景だな! 薙が最高にカッコいいぞ!」
「あの子は僕たちの良い所を引き継いで、未来への道を切り開いていくんだね」
「あぁ、頼もしい子だ」
「僕たちの子だからね」
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