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<8月> 男前の真っ黒
「次の日曜は休むから、間違ってくるなよ」
村崎はぐったりとイスにもたれかかりながら言った。気持ちはわかる、今日は忙しかった。
「お前、よくこんなの一人でこなしてるな」
「一人の時はそれが当たり前だから耐えられたけど、お前が来るようになってから正直堪える」
「教える手間が増えるからだろ」
「いや、違うって。そろそろ1年以上になるだろ?ここにくるようになって」
武本が里崎とかいう女とつきあう少し前から、俺は村崎の所に来るようになった。週末を持て余していたし、どうせ武本も3ケ月くらいしかもたないだろうから暇つぶしで始めた。それがすっかり方向性が変わってしまった――たった1年で。
「なんで見ず知らずの人間の腹具合を俺が面倒みてんだ!うわああ!!!って叫びたくなるのよ」
「それが仕事だろうが」
「まあな、それで一人でもくもくとやってると暗~~くなってくるわけ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ。オヤジが海外の友達の所にトンだ気持ちがわかるわ」
「逃亡したいのかよ」
「それはない、俺楽しいもん、お前とやってると。一人で考えてたことに答えが返ってくるし、退屈しないし。思っていたより飯塚は腰が低いしマメだし、飲み込み早いし」
「気持ち悪いって、何もでないぞ」
村崎はきちんと座り直し、真面目な顔で言った。
「前に言ったことあるだろう?やりたいことがあるってさ。でも今の状況だと日々に追われてそんな時間もないし考える余力もない。わかるんだ、このままだとジリヒンだってこと。だから飯塚、お前早く会社辞めてここに来てくれないかな」
「その話なんだが……」
「うん」
「武本にばれた」
「なにが?」
「俺がこっちに来たいって思ってること」
「まじで?お前会社辞める気になったってこと?」
「……まあ、そういうことだな」
村崎はまたズブズブとイスにもたれる。
「ああ、なんかひとつ肩の荷が降りたかんじ」
「ただ、今はまずい。抜けられる状況じゃないんだ」
「いつだったら?」
「最低半年、長くても8ケ月待ってくれ」
「ながっ!!」
「リーマンの事情を察しろよ」
「暗黒ダークサイドの12月……また俺一人で乗り切らないといけないってことだろ?」
「12月はリーマンにとっても暗黒だ」
「喜んだ後のお預け?今から鬱にはいりそうだわ~俺」
「今まで乗り切ったんだろ?あと1回頑張ろうぜ」
「あと、バイトがいない」
「いるだろう、太郎が」
「時間の問題だ。アイツは実家に帰るんだよ」
「まだ在学中だろう?」
「就活したけど全然ダメでさ、あんだけ嫌がってたけど地元に帰るらしい。オヤジさんのコネ就職なるエサに見事、陥落」
「卒業するまで時間があるじゃないか」
「先だ、先だと思ってたらダメなのよ。募集広告の金だってバカにならないしさあ、新メニューや将来のことを考えたいと思っても、結局こういうことに時間を取られるわけだよ。飯塚にまで御預けくらって、俺可哀想だ!あああ!可哀想だ!」
どんな仕事をしても、結局「人」の問題からは解放されないようだ。そんなことを考えていた俺に向かって村崎が言いやがった。
「彼女にしてやるから、バイトしないか?とかなんとかいって、かわいこちゃんをゲットしてこい! 命令だ。それができなきゃ、会社放棄して俺のとこにこい!」
付き合うのがバカくさくなって、俺は帰り支度を始めることにした。
久しぶりに大丸でもいくか。 贅沢に寿司でもつまんでやろう。そんなことを思いながら札幌駅に向かって歩き出す。
地下の連絡通路を歩いてもいいのが、たまには外を歩こう。ビルの谷間に埋もれたように建っている時計台の前を通ることにした。俺はこの期待を裏切る建物が好きだ。 建物は勿論、そこに集まる観光客を見るのがいい。たいてい「えええ?これが?」といった顔をしている。写真や絵ハガキでみるのと実際の時計台は違いすぎる。
それでもベストポジションの小さな台に立ち写真を撮る姿は見ていて面白い。時計台をみるなら、大倉山のジャンプ台のほうを断然おすすめする。
バスが一台止まった。このバスは武本の田舎と札幌を結ぶ高速バスだ。けっこうな乗客が乗っている。信号が変わったのを見て、バスの前の横断歩道を渡った。
「理さん!タケさんは横暴すぎますって。あげく触りすぎです!」
「あははは、よし兄は正明が好きなんだよ、いいじゃないか。気に入られて」
とっさに振り向いた俺はこちらに背をむけて大通り方面に歩いている二人の姿を認めた。 一人は武本だ……横にいるのは誰だ?友達か?いや、友達はサトルさんなんて呼ばない。それに二人は武本の田舎から一緒にバスに乗ってきたようだ。半年前、当時つきあっていた彼女に一緒に行きたいと言われて武本は怒り、別れるきっかけになった。
横にいる男は……いいってことなのか?どすぐろいものが俺の体を蝕み始める。
俺の視線が強すぎたのか、武本の隣の男が振り返り、俺を認めた。一瞬大きな目を見開いたが、それだけだった。そのまま武本の横顔に視線をもどし、二人は俺から遠ざかっていく。
そいつはいったい誰なんだ?武本、そいつは何者だ……。
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