80 / 80
終章 12
輝幸が部屋を去ってから一時間。
涼正はまだ手の中の封筒とにらめっこをしていた。
あまりにも涼正が強く握るものだから茶封筒には皺がよりヨレヨレになっている。
いい加減に覚悟を決めて開けなければならない。
涼正は数度大きく深呼吸をすると震える指で封を開けた。
一度、輝幸によって開封されているせいか。高まっている涼正の緊張とは反対に封筒はあっさり開いた。
封筒から出てきたのは数枚の紙で、中には数値や訳のわからないグラフのようなものが記載されたものもある。
その中から、涼正は透子の字で書かれたと思われる紙を一枚抜き出し目を通した。
『こんな形でしか伝えられないことをどうか許して下さい。私は、貴方の優しさにつけこんで酷い嘘をつきました。……本当は、政臣と鷹斗は貴方と私の子供ではありません。二人とも、私とある男性の間に出来た子供です。あの当時の私は、その男性の傍にいることしか考えておらず……二人の事が足手まといでしかありませんでしたそれに、二人を育てていく自信もありませんでした。だから、私は貴方に二人を押し付けて逃げたのです。本当に身勝手で酷い母親だと自分でも思います。……私のことは憎んでもらっても構いませんが、どうか政臣と鷹斗のことを嫌わないでやって下さい。あの子達には罪はありません。貴方には酷い願いを押し付けてしまうことになりますが、私の分も二人を愛して上げて欲しいのです。本当にごめんなさい……』
涼正の手から透子の手紙が離れて、カサリと音を立てて床の上に落ちた。
「……嘘、だろ……だって、政臣と鷹斗は……」
掠れた弱々しい声が涼正の口から溢れる。
確かに血が繋がっていなければいいと何度も考えたことはあるが、まさか現実になるなんて思いもしなかった。
これで涼正と二人を阻む障害はなくなったことになるが、涼正は手放しで喜ぶことが出来ない。
今まで二人と過ごしてきた日々が涼正の頭の中に甦った。
初めて舌足らずな声でお父さんと呼ばれた日。夕暮れの中を二人の手を引いて帰った日。泣いている二人を抱いてあやしながら涼正も泣いてしまった日。授業参観で政臣と鷹斗の学校での姿を見て誇らしかった日。体育祭で張り切って応援して鷹斗と政臣に怒られた日。
数え切れない程沢山の想い出が涼正の頭の中に溢れていく。
それと同時に先程の輝幸の言葉を涼正は思い出していた。
『血が繋がっていなくとも、俺はお前を本当の息子と思ってる』
――そうだ、……血が繋がっていてもいなくてもあの二人は俺の息子じゃないか。
涼正は憑き物が落ちたような顔で、床に落ちた透子の手紙を拾い上げた。
たとえ、事実がどうであろうとも。涼正が父親と息子として接してきた時間はなくなるわけではないし、その時間は嘘ではないのだ。
涼正は透子の手紙を綺麗に畳むと封筒の中へとしまった。
この事を伝えるか伝えないかは取り敢えず今は置いておくとして、何だか政臣と鷹斗に無性に会いたい気分だった。
あの後、急いで家に戻った涼正は政臣と鷹斗の帰宅を待ちながら久々に料理を作っていた。
メニューはありきたりだが、初めて政臣と鷹斗が父の日に作ってくれたカレーを思い出したからカレーにした。
じゃがいもに人参、鶏肉に玉ねぎ。後は隠し味に昆布だしとリンゴをすりおろして加え、固形のルーと一緒に煮込んでいると涼正の気分までもが浮かれてくるようだった。
帰ってきた二人はどんな顔をしてくれるだろうか。
想像を膨らませながら、涼正はお玉で鍋の中を掻き回した。
涼正は一人で考えた上で、今はまだ二人に事実を伏せておくことに決めていた。
余計な混乱をさせたくないという考えもあったが、それよりも身勝手な考えが涼正の中に存在していた。
涼正自身の中にこんな浅ましい気持ちが眠っていたなんて、二人を愛する前は知らなかった。
恋人と家族。二重の鎖で二人を他の人間が入る隙間もないほどに束縛してしまいたいという欲望が涼正の胸に渦巻いていることに気付いてしまったのだ。
「っと、焦げるとこだった」
グツグツと煮立つ鍋を前に考え事をしていた涼正は、縁の部分が焦げ付きはじめているのに気が付いて慌てて火を止めた。
キッチンにはカレーのいい香りが立ち込め、涼正は幸せそうな表情で鼻を鳴らす。
「ただいま、涼正」
「ただいまー。涼正、すげぇいい匂いしてんだけど、今日夕飯カレーか?」
「お帰り、二人とも」
丁度いいタイミングで帰ってきた二人に涼正は駆け寄った。
政臣と鷹斗がそんな涼正を見て笑みを浮かべると、手を広げ涼正を抱き締める。
「涼正、愛してる」
「アンタだけを愛してる」
人としての道を踏み外し、戻れない場所にまで堕ちてしまったことは涼正にもわかっていた。けれども、涼正にとって堕ちた場所に二人が居ればそこは楽園に違いないのだ。
涼正は二人の腕の中に身を預けながら口を開いた。
「政臣、鷹斗。俺も二人を愛してる」
END
ともだちにシェアしよう!