十月、文化祭のクラスの出し物で女装カフェをすることになり、クジで女装スタッフに選ばれてしまった宇佐二葉(うさふたば)。 「あれ？　意外といける！？」 通っている私立高校が創立記念日で休みの平日。 国立大の名高い解剖医である父親は学会のため出張中、母親は趣味のカルチャースクールに出かけていて誰もいない昼下がりの自宅マンション。 前日に渡されていた半袖のセーラー服を着用し、玄関の姿見でチェックしてみた二葉は一人はしゃぐ。 スカートは安定の膝丈、そして白ハイソックス。 十六歳の平均サイズにやや至らない身長体重であり、まぁ似合っていないこともなく、普段は素通りしている姿見の前で二葉はくるりと回ってみた。 「感想聞いてみよーかな」 小学校高学年の頃から地味グループに属し、見た目も成績も地味めでぱっとしない、可もなく不可もない地味まっしぐら学校生活を送ってきた平凡男子。 よくベータに間違われるが、アルファの父親、オメガの母親との間に生まれ落ちた、れっきとしたオメガだ。 人生初の女装に悲しくも浮かれて初セルフィー、後々ひたすら後悔するだろう女装写真をハイテンションのままメールアプリで共有しようとした。 ガチャ 「わうっ！？」 いきなり開かれた玄関ドアに二葉は仰天した。 写真を共有しようとタップしかけていた指先を一時停止させ、誰もが認める地味顔を強張らせる。 「……アキ兄……」 インターホンも鳴らさずに我が家を訪れたのは二葉の兄の暁帆(あきほ)だった。 在籍している医大近くの新築マンションで一人暮らし中、法医学医を目指している二十一歳の大学生。 とことん二葉と似ていない。 誰もが認めるパーフェクトな美形顔、しかも１８０センチ超えの長身で白衣の似合うしなやか体型、ちなみに登山サークル所属だ、実は着痩せするタイプでさり気なく適度に筋肉がついている、つまりモテないわけがなかった。 (アキ兄……また男前美形度が増してる……) 八月の夏休み振りに見る姿に惚れ惚れしかけた二葉だが。 玄関に無言で立ったまま険しい視線を投げつけてくる兄に背筋がヒヤリと凍えた。 (いつからだっけ) アキ兄がこんな風にオレを見るようになったのは。 鬱陶しそうに、煙たそうに、オレのこと避けるようになったのは。 「ッ……あ、オレ、今日は創立記念日で休みで……」 (間違えたッ、まずはコッチの説明しないと……！) 「どうしてそんな格好してるんだ」 真正面から睨まれて二葉は凍りついた。 仄かな色香を翳す切れ長な双眸、すっと通った鼻梁、リップが映えそうな端整な唇、透明感ある滑らかな肌。 嫌味なまでに容姿端麗で、一目でアルファ性とわかる暁帆の刺々しい声に二葉の心臓は震え上がる。 (なんでオレだけ) そう。 暁帆が冷たい態度をとるのは二葉に限定されていた。 小さい頃から責任感が強く、礼儀正しく、学校では人当たりのいい性格で学年毎にたくさんの友人をつくってきた。 実習先の病院、バイト先のカフェでも頗る評判がいい。 ミスコン一位、現役モデル、才色兼備のお嬢様、様々な肩書を持つ歴代の恋人たちにもそれはそれは優しく接してきた。 不思議なことに誰とも長続きしなかったが。 (昔はオレにも優しかったのに) 昔の暁帆は二葉に勉強を教えたり、近所の公園へ遊びにつれていったり、とにかく五歳違いの弟を可愛がっていた。 今の態度が嘘だと思えるほどの過保護ぶりであった。 暁帆自身が高校へ上がる頃に急に余所余所しくなり、会話もすっかり途絶えて、二葉本人はともかく両親も驚いたものだった。 『今までが構い過ぎだったんだよ』 何かあったのかと母親が問えば困ったように笑って、暁帆はそう答えていた……。 「あ」 女装している理由を聞いておきながら、答えを聞く前に帰ろうとした暁帆に二葉は慌てる。 サンダルを無視して靴下のままタイル床へ下り、咄嗟に兄の背中にしがみついた。 ふわりと香ったシナモンと白檀。 解剖の際に纏わりついてくるホルマリンの強烈な刺激臭を紛らわせるための薫香(くんこう)だった。 「これね！　今度の文化祭で女装するから！？　そのときの衣装！！」 二葉は必死になる余り大声を上げた。 暁帆は振り返らない。 何も言わない。 「ッ……アキ兄も来る？　きっと気分転換になるよ？　オレっ、頑張って接客する！！」 シンプルながらも上質な素材のジャケットを握り締め、精一杯の笑顔を浮かべて返事を待っていたら。 「離れろ」 心ない言葉が返ってきた。 (ほんと、なんで？) 二葉はぽろりと涙した。 こんなにも冷たく邪険にされるのは初めてで。 しかも、かつては両親よりも甘やかしてくれた兄に手まで振り払われて。 品のいいマットブラウンに染められた髪が僅かに靡き、玄関ドアの向こう側へ消えていくのを呆然と見送った。 「……うう……」 (自分で気づいてないだけで、オレ、アキ兄を傷つけちゃったことがあるのかもしれない) だって、そうとしか思えない。 雷が怖くて寝れなかったオレに添い寝してくれた、手を繋いでお祭りを回ってくれた、公園で一緒に雪だるまをつくってくれたアキ兄。 「アキ兄がああなっちゃったのは、きっとオレのせいなんだ」 閉められたドアを前にして二葉は目元を拭った。 用事があって来たのだろう暁帆を帰らせてしまい、申し訳ないと思いつつ、写真を友達へ送信する気も削がれてリビングへ進もうとした。 ガチャ！！ 「わぁっ！？」 またしても二葉は仰天した。 唐突に開かれた玄関ドア。 再び我が家を訪れた暁帆に目を見張らせた。 (え！？) 土足で上がってきた兄に二葉はさらに驚く。 リビングの前で棒立ちになっていたら、足早にやってきた暁帆が目の前に迫り、ひょっとしてこの格好を厳しく咎められるのかと縮み上がった。 「ごっ、ごめんなさい！　アキ兄……！！」 咄嗟に目を瞑って謝る。 だが、しかし、注意されるどころか。 言葉もなしに正面から抱きしめられて、さらなる驚きに二葉は突き落とされた。 (……え……？)