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【獣】Climson/童話パロ/獣×幸薄青年

■この話は別シリーズ「The Story of.....」から移動させた作品です 甘い花の香りが漂う。 柔らかな日差しは惜しみなく青色の草原に降り注ぎ、遠くから吹く風は、地に倒れ伏した獣の上を静かに通り過ぎていく。 数多の森を抜けて谷を越え、川を泳ぎ、黒い獣はここへやってきた。 どうしてだか、自分でもわからない。 ただ、この場所に辿り着いた時、ああ、ここが目指していたところだったのだと、悟った。 するとこれまで日夜歩き続けてきた四肢に膨大なる疲れを覚え、気を失うように草の中へ倒れ込んだのだ。 しばらく、獣は目を瞑り暖かなそこで掠れた呼吸を繰り返していた。 足音が聞こえた。 獣は目を開くのも億劫で、そのままでいた。 とにかく疲れていた。 一体どれだけ歩き続けてきたのか、そして、自分の名前さえも思い出せない。 よく今まで持ち堪えられたものだと、獣は不思議に思った。 頭上で草を掻き分ける気配を感じ、獣は、やたらと重く感じられる瞼をやっと持ち上げた。 一人の少年がそこに立っていた。 セピア色の髪が美しい、まだあどけない顔立ちの、赤いコートを着た少年だった。 「……どうしたの?」 恐れるどころか、少年は摘んだばかりの花束を放り投げてしゃがみこみ、倒れ伏した獣に問いかける。 「怪我をしたの?」 答えるのも億劫で、獣は無言でいた。 「お腹が減ったの? 食べ物なら、あるよ」 そう言って、少年がバスケットから手作りのお菓子を取り出す。 獣は渋々答えた。 「そんなもの、食べない……」 「じゃあ何を食べるの?」 何を食べるのか。 また、それも忘れてしまった。 獣は緩慢な動作で身を起こすと、力なく目の前の少年を見つめた。 「とっても大きいね。こんな大きな狼、初めて見た」 「狼……?」 そうか、自分は、狼だったか……いや、違う。 何か別のものではなかっただろうか。 しかし、獣は考えるのをやめた。 とても疲れていたからだ。 再び大地に横になって、瞼を閉ざす。 眠りの訪れを予感して、そっとため息をついた。 少年は、バスケットを抱え直し、名残惜しそうにその場を後にした。 次に獣が目を開くと、空は夕日で茜色に染め上げられ、辺りの草花は冷ややかな風と共に音もなく戯れていた 獣は、すぐ隣で眠る少年を見つけ、驚いた。 起き上がろうとしたが、永い歩みの疲れを全身に感じて、そのままの姿勢でいる。 些細な動きが伝わったのか。 獣のすぐ隣で丸まっていた少年が、睦言を洩らしながら目を開けた。 「心配だから、戻ってきたの。隣村のおばぁ様のところへお見舞いに行って、お花とお菓子を渡して、すぐ戻ってきたの。ねぇ、狼さん。とっても汚れてしまっているけど、狼さん、綺麗な目をしてる」 「……この目は何色だ?」 少年は楽しそうに微笑むと、桜色の唇から答えを紡いだ。 「水晶玉と同じ色」 獣の疲れはなかなか癒えなかった。 このまま死ぬのではないだろうかと、獣は思った。 名前も何も思い出せないまま、ここで、力尽きるのではないかと。 「大丈夫、きっと助かるから」 少年は毎日獣の元へやってきては、冷たい川の水を獣に飲ませ、ビスケットやパンケーキなどを食べさせようとした。 「そんなもの、食べない……」 「じゃあ何を食べるの?」 思い出せない。 手足の重みを持て余しながら、獣は小さく唸った。 「その内、きっと思い出すから」 少年はバスケットから櫛を取り出すと、土くれで汚れた獣の長い毛並みを梳かし始めた。 少年は、いつも赤いコートを着ていた。 フードを被り、セピア色の髪をさらりと伸ばしていた。 幼いような、大人びたような、いつもと変わらない眼差しで今日も獣を見つめていた。 「ほら、とっても綺麗になった」 獣の毛が絡んだ櫛をバスケットに直して、少年は笑う。 少年の言う通り、それまで砂に塗れて縮れていた獣の毛はさらりと風になびき、艶やかな漆黒を帯びて、日差しの中に煌めいた。 「僕がもしも狼だったら、きっと双子か、親子だったに違いないよ」 嬉しそうに少年がそんなことを言う。 あんまりにも嬉しそうなので、獣も、牙を覗かせて微かに笑った。 「なら、己が人間なら、双子か、親子だったかもしれないな」 「うん、そう。きっとそう」 草むらの中で横たわる獣の背を撫で、少年は、幸せそうに笑った。 その日、少年が帰った後、獣は目を瞑りじっとしていたのだが、また少年の声を聞いて、耳をそばだてた。 「狼なんて、危険だわ、疲れている内に村の外へ追い出さなくちゃあ……」 「だめ、やめて、死んじゃうよ」 「それに、もらったばかりの私の櫛を勝手に持ち出して、全くもう……」 草を掻き分ける音がしたかと思うと、次の瞬間、夕刻の静寂を悲鳴が貫いた。 「お母さん、やめて、びっくりする」 獣の視界に写ったのは、少年と、その母親だった。 母親は震え上がり、驚いている我が子の腕を乱暴にとると、大急ぎで来た道を戻っていった。 「あれは狼なんかじゃない……!」 恐怖に満ちた叫び声が野に響き渡った。 村にやってきた恐ろしい異形のもの。 少年の母親から話を耳にした村人達は恐れ戦いた。 恐怖はあっという間に広がり、子供一人の言う事に誰も耳を貸さず、手に武器を取った。 「やめて、何も悪い事してないのに!」 少年の悲痛な叫び声が、虚しく野に響き渡る。 それを聞いて、獣は、眠るように大地に伏したまま、これで最期かと思った。 逃げる力もないし、逃げたいという思いもない。 このままここで殺されて死ぬのに、何の抵抗もなかった。 目指していたここへ辿り着けたのだから……。 『心配だから、戻ってきた』 殺気立った喧騒が近づいてくる中、ふと、獣は少年の声を思い出した。 「--いたぞぉ!!」 いくつもの手が草を掻き分け、やがて、倒れ伏した獣の周りに荒く土を踏みつける足が並んだ。 松明の炎が目を閉じた獣の全身を照らし出す。 村人達は、息を呑み、彼等の恐怖は勢いを増した。 殺せ、と誰かが叫んだ。 次いで、一人が猟銃を構え、一人が斧を頭上に掲げた。 「お願い、やめて!」 不意に、 夜目にも色鮮やかな赤いコートを羽織った少年が、 群集から飛び出て、 涙を流しながら獣に抱き着いた。 「ああ、我が子は呪われた……」と、少年の父親は異形に抱き着いた自分の息子を見、また恐れ、猟銃の引き鉄に手をかける。 そして、獣は目を開けた。 ああ、そうだ、わかった。 どうしてここへ来たのか、 何故なら、 それは。 「お前と出会うために」 獣がそう呟くのと、一発の弾丸が少年の背に放たれたのは、同時であった。 鮮血の臭気が漂う。 血塗られた夕暮れの空が大地にのしかかる。 自分にもたれかかる少年の重みと、そこから伝わってくる死の感触に、獣は全てを思い出した。 我が名はヴィッカス。 月を喰らう、闇夜の産物。 人間の血を貪るヴァルコラクという吸血種。 その瞬間、ヴィッカスの毛は轟然と逆立ち、牙は無慈悲に尖らされ、青水晶の眼は薄闇を鋭く射抜いた。 中空に月が姿を現す頃、草原は、村人数多の亡骸で埋め尽くされた。 牙と牙の狭間から血肉を止め処なく滴らせ、ヴィッカスは、地平線まで脅かすような凄まじい咆哮を上げた。 ヴィッカスのそばには生きているように死んでいる少年の屍があった。 己は月蝕の産物……光を闇に変えるもの。 理を捻じ曲げる邪悪なもの。 死神の鎌を噛み砕く、不届きなるもの。   少年は祖母の腕の中で目を覚ました。 すべての記憶を忘却の彼方へ追いやられて、何もわからずに、少年は何度も瞬きする。 何も覚えていない、でも……。 澄んだ双眸から一筋の涙を頬に伝わらせて、少年は、ジェイドは虚空を見つめた。 「僕、誰かを探していたような気がする……」 恐ろしい「それ」が手を伸ばしてやってくる。 この心臓を狙って、虚無が、終焉が、かたちを成してできたような「それ」が追いかけてくる。 すべてを呑み込もうと口を開いて呪いの声を上げながら。 青い光が「それ」を打ち砕く。 いつの頃からかジェイドが見続けている夢だった。 「あの子は呪われている」 「隣村の生き残りだろ?」 「村人全員食い殺された」 「鋭い牙の獣に皆が……」 何故一人だけ生き残った? 祖母を弔う間、ずっと聞こえていた会話。 いや、この村にやってきてから、ずっとだ。 この村へやってきた当初、ジェイドは全ての過去を忘れていた。 だが日々が経つにつれて少しずつ記憶は蘇り、家族や自分の生まれ育った村のことなどを徐々に思い出していった。 ただ「村人全員食い殺された」という事件当時の記憶はハサミで断ち切られたかのように抜け落ちたまま。 ジェイドは背後で交わされる会話に何も言い返せなかった。 「神の御名と共に」 祖母の眠る棺桶が土深くに沈められ、黒服を纏った十八歳のジェイドは神父と共に祈りを捧げた。 この村を去るべきかもしれない。 だけど、どこへ行こう? 俺を待ってくれる人など、もう、どこにもいないというのに。 独りになった。 風が墓地を吹き抜けた。 切れ長な双眸に溜めていた涙を拭い、乱れるセピア色の髪を押さえ、ジェイドは祖母の葬列に加わる村人達の顔を眺めた。 孤立感を増幅させる、恐怖と怯えの入り混じった表情に、改めて胸が軋む。 一人だけ彼らとは違う眼差しを持つ者がいた。 墓地を囲うようにして広がる常緑樹の並木、その間から黒衣の葬列を遠巻きに見つめる男。 ふとジェイドは彼に気がついた。 月と同じ色をした短い髪が曇り空の下、憂鬱な色合いの外気に映えている。 黒い外衣の裾が風に翻っていた。 「では黙祷を」 集まっていた参列者が目を瞑って項垂れ、ジェイドも、遅れて彼らに続く。 次に目を開ければ男の姿はその場から消え失せていた。 ジェイドはまた夢を見た。 祖母がいなくなり、森の麓にある木造小屋で一人、長椅子に座って虚ろに暖炉の炎を眺めていたはずだった。 とりあえず遺品を整理し、それなりに旅支度は整えたものの、行き先をどうするか考えながら。 ふと睡魔に襲われてまどろんでいたらいつの間にか夢の出入り口に立っていた。 干乾びた木々。 波打つ霧。 霞む月。 やがて恐ろしい「それ」が手を伸ばしてやってくる。 この心臓を狙って、虚無が、終焉が、かたちを成してできたような「それ」が追いかけてくる。 すべてを呑み込もうと口を開いて呪いの声を上げながら。 鼓動が早まる。 魘される。 瞼が痙攣する。 ジェイドはそこで目が覚めた。 だがしかし夢の産物であるはずの「それ」が現実に目の前に迫っていた。 消えた暖炉。 轟く地響き。 震えるガラス。 長椅子で凍りつくジェイドに「死」は手を伸ばす。 ジェイドは咄嗟に身を翻すと裸足で外に飛び出した。 村の集落ではなく、緑深い夜の森へ。 まだ夢を見ているのだろうか? それとも、すべて、まやかしだった? まるで記憶にない両親の死と生まれ育った村の死滅。 本当は、この先にまだ村があって、みんなそこで昔と同じように穏やかな暮らしを……。 それこそ、きっと、まやかしなのだろう。 凍えた夜気の中をジェイドは悲鳴も涙もなしに、ひたすら、駆け抜ける。 剥き出しの足首が棘や枯れ草に傷ついて鮮血を幾筋も滲ませた。 吐き散らされる白い息が闇へと溶けていく。 俺はどこへ逃げているんだろう。 そんな問いかけが浮かんだ瞬間、ジェイドは、走るのをやめた。 振り返れば「死」が長い長い両腕を広げていた。 この絶望から逃れようと、ジェイドは、その両腕に抱かれようと、目を瞑って……。 凄まじい咆哮が夜の闇を切り裂いた。 驚いて目を見開いたジェイドの前には一頭の獣がいた。 いや、獣ではない。 その名はヴァルコラク。 月を食らうと言われる闇夜の産物。 人の生き血を奪う吸血種。 姿かたちは狼に似、その数倍の大きさである異形のヴァルコラクは地を蹴って「死」に牙を剥く。 世にも陰惨たるおどろおどろしい呻き声が轟いた。 鬼籍に名を刻むもの、汝は、亡者 地上の息吹は許されぬ…… 落ち葉の上で両手を突いたジェイドは噛み砕かれて蹴散らされていく「死」を震える双眸で凝視していた。 『そんなもの、食べない……』 悪夢よりも信じ難い恐ろしい光景を間近にして蘇る記憶。 『己が人間なら、双子か、親子だったかもしれないな』 美しく艶めく漆黒の毛並みに寄り添う、赤。 『お前と出会うために』 父親から放たれた弾丸が貫通する間際に聞こえた声。 ジェイドの双眸から涙が溢れ落ちた。 定められたはずの「死」を再び退けたヴァルコラクは夜の闇に光り輝く美しい目をジェイドへ向けた。 『この目は何色だ?』 「水晶玉と同じ色……」 ジェイドはかつて幼き自分が口にした言葉をなぞる。 どうして忘れていたのか。 誰よりも、我が身よりも、守りたかったものを。 ヴァルコラクは全ての過去を取り戻して声もなく涙するジェイドを見つめていた。 強靭なる四肢で土を踏み締め、長い尾を翻し、すぐそばまでやってきたかと思うと姿勢を低くする。 傷ついていた足を舐められてジェイドは涙ながらに微笑んだ。 「ねぇ、どうして忘れていたんだろう……狼さん?」 手を伸ばして巨躯を撫でる。 掌に伝わる感触は封印されていた記憶をさらに鮮やかに縁取るようだ。 赤いコートを着た幼き自分と、野に横たわる、この獣の姿を……。 「貴方はまやかしなんかじゃない」 ジェイドはヴァルコラクの漆黒の毛並みに濡れた頬を寄せ、囁いた。 「貴方がいてくれる……俺はもう、独りじゃない」 その声は紛れもない希望と、安堵と、恋しさを含んでいた。 鬱蒼と広がる森の奥。 せめぎ合う月影。 深まりゆく夜。 ヴァルコラクの下に沈んだジェイドはその声を耳にして、さらに、凍えていいはずの身を熱くさせた。 「お前がほしい、ジェイド」 「……俺の名前を知っていたの?」 「名前だけでは足りない、お前のすべて、何もかも、ほしい」 「俺を食べたいの? いいよ……貴方と一つになれる、狼さん」 「違う、ジェイド」 ジェイドは切れ長な双眸を瞬かせた。 獣の巨躯から、男の姿へと変わった彼は、降り積もった落ち葉の上に仰向けになったジェイドを一心に見下ろしていた。 「この名はヴィッカスだ」 「早く俺を食べて、ヴィッカス」 「お前の父を、母を、村を殺した」 「いいよ、それでもいい、貴方が今ここにいるのなら」 「お前の死まで我が傲慢さ故に食らった」 「傲慢? どうして?」 「お前を愛しているから」 ヴィッカスはそう告げてジェイドに口づけた。 乱れゆく夜。 「はぁ……」 幾度となく貫かれ、穿たれ、屠られて。 それでもジェイドはヴィッカスを離さなかった。 甘い悲鳴と共に我が身を余すことなく捧げた。 自らもまた求めた。 「もっと……ヴィッカス……」 ヴィッカスは冷めやらぬ熱もつ杭でジェイドを愛し続けた。 時にジェイドの火照りを唇に招いて啜ることもあった。 痛いほどの快楽にジェイドは仰け反った。 「あ……あ……あ」 肉欲の飛沫まで呑まれ、それでも唇は離れず、吸い尽くすように貪られて。 果てても尚、次に飢え、繋がり、揺らめいて。 絡まる下肢は濡れ続けた。 「我が身と一つになるか」 月影の狭間で止まることなく揺れていたジェイドはヴィッカスの問いかけに頷く。 そのままヴィッカスはジェイドの首筋に誓いの牙を立てた。 ジェイドは気の遠くなりそうな痛みと、絶え間ない昂揚感に呻吟し、ヴィッカスを掻き抱いた。 ああ、やっと、貴方のものに。 もう離れない。 愛しい異形よ、永遠に、その胸に抱いて。 end

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