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【蜘蛛】蜘蛛っちゃうナ/擬人化蜘蛛×大学生

俺が住んでいる木造アパートの一室は蜘蛛屋敷と呼ばれている。 ちっちゃな蜘蛛がわんさかいて壁や畳の上を四六時中ウロウロしているのだ。 遊びにきた友人は状況を知るや否や長居するのをたいてい嫌がる。 どんなに酔い潰れていようと「安達(あだち)の部屋は勘弁」と休んでいくのも拒否される有様だった。 もしも襖の奥にいるアレを目の当たりにしたら、皆、失神するのは間違いないだろう。 立て付けの悪い襖を開けるとソレは橙色の明かりの元へのっそり這い出てきた。 「ただいま、今日も疲れたよ」 近所のコンビニエンスストアでバイトを終えてきた俺はご褒美の缶チューハイを開けた。 万年床に胡坐をかいて、冬真っ只中、乾燥していた喉へ一気に流し込む。 ほっと吐き出した白い息がまだ暖まっていない部屋に溶けていった。 足元で大人しくしているソレに俺は笑いかける。 「お前、寒くないのか? 明日は雪らしいぞ。積もったらいいよなぁ」 部屋の隅に追いやっていた電気ストーブを近づけた。 ソレの全身に生える黒い産毛が際立って見えて、何だか愛らしい。 座敷蜘蛛(小さい蜘蛛のことを俺はそう呼んでいる)が相変わらずウロウロしている。 蒲団の上でも何匹か飛び跳ねていた。 ソレはウロウロと這い回る座敷蜘蛛よりも遥かにでかい図体の蜘蛛だった。 だいたい炊飯器くらいのサイズだろうか。 三年前、この部屋に引っ越してきた初日に何気なく襖を開いて見つけた時、俺は情けなくもその場で失神してしまった。 目覚めると開いたままのはずの襖は閉められていた。 恐る恐る開いてみるとやはりソレはそこにいた。 何だか申し訳なさそうに縮こまっていて、その様子に恐怖心は和らいだ。 もしかしてどの部屋にもいるのかな。 俺はさり気なく周囲の住人に聞き込みし、余所には座敷蜘蛛一匹すらいないと知り、ああ、コイツは俺の部屋にしかいないのだな、という結論に至った。 田舎で育った俺は虫などの生き物には十分免疫があった。 犬も飼っていたし、温和な性格のソイツとはうまくやっていけそうな気がした。 「……あれ、もしかして」 蒲団の柔らかな手触りと日向の匂いに俺は気がついた。 「蒲団、干してくれたのか」 そう。 何とコイツは家事も手伝ってくれるのだ。 俺が大学やバイトに出かけている間、時々掃除や洗濯を済ませてくれていたりする。 一体どうやってこなしているのかと疑問に思う事もあったが、便利には違いないので、然して気に止めなかった。 お化け蜘蛛が出たと騒ぐ奴もいないし、まぁ、無難にやっているんだろうな。 「いつもありがとな」 俺がそう声をかけるとソレは長い筋張った足の一本で畳を軽く引っ掻いた。 嬉しい時の癖だ。 褒めたり撫でたりしたら、いつもそうやってカリカリするのだ。 コンビニエンスストアで温めた弁当はすでに冷えていて、広げたティッシュの上におかずを分けてやりながら、俺は思う。 八坂(やさか)にならコイツを見せていいかもしれない、と。 八坂は大学の講義で度々一緒になる知り合いだった。 色白で、能面みたいに表情が乏しい奴で、幽霊みたいに存在感がない。 いつの間に隣の席に座って斜め下を眺めている。 教科書もノートも広げずペンすらとらない。 こいつ単位は大丈夫なのかと毎回心配したくなるヤル気の無さだった。 「安達の隣に座ってる奴、名前呼ばれてるか?」 「てか、あいつってどこのゼミ所属なの?」 友人に問われて俺は八坂に尋ね、その名前とゼミを知った。 そんなゼミあったか? と友人は顔を見合わせていたが、八坂が言うのだからちゃんと存在しているのだろう。 八坂だけは俺の部屋を嫌がらない。 おかげで座敷蜘蛛達が主人の俺以上に懐いてしまった。 人懐っこい一匹が白い手の上でじっとしているのを奴は無言で見下ろすばかりだった。 今日も八坂は部屋に来ている。 俺は意を決して襖の扉を開いたのだが。 「あれ?」 襖の奥には何もいなかった。 たまにアイツは外へ出かけるようだ。 今日は運悪く外出の日だったらしい。 決まり悪そうにする俺を八坂は黙って眺めていた。 「安達君、今日もついてるよ」 バイト先の店長に言われて俺はジャケットにしがみついていた座敷蜘蛛に気づいた。 「毎回くっつけてくるよねぇ。それ、ペットなの? ちゃんと持って帰ってよ?」 「はい。多分、ずっとジャケットにくっついていると思うので」 仕事が始まった。 客がいない間、レジカウンターでぼんやりしたり雑誌を整理したり、店長と無駄話をして夜は過ぎていった。 招かれざる客が来店したのは零時手前だった。 包丁を突きつけられた時点で強盗だと嫌々思い知らされた。 金を出せという欲求に戸惑って隣の店長を見る。 先端恐怖症の店長は硬直してしまっていてどうにもならなかった。 早く。 早くしろ。 強盗の声と手が震えている。 突き出された包丁も虚空を引っ掻き回すように忙しなかった。 ここで本当に金を出していいのか。 店長はもう白目を剥きかけていた。 ああ、早く救急車を呼ばなくては。 色々考えていたら包丁が虚空を切った。 頬も、少し切れた。 脅しじゃないんだ。 は、早く金を。 出せ。 強盗の可哀想な声と頬の痛みに促されて俺はレジに手をかけようとした。 気がつくと強盗の真後ろに八坂が立っていた。 こいつ本当に存在感がないんだなぁ。 突然の八坂の登場に呆気にとられていたら、俺の目線を追って強盗も八坂の存在に感づいて、包丁を。 「あ」 八坂が刺された。 胸に深く刃が埋まっている。 ああ、痛いだろ、八坂。 ごめんな。 俺が早く金を渡していればお前は刺されずに済んだのに。 「八坂、ごめん」 八坂は何も言わなかった。 無言でその場から掻き消えた。 強盗も一緒に。 ただ、未だ自動ドアにされていない出入り口の扉が強風に煽られたように大きく開かれて、音もなく閉まった。 あれ? 二人はどこへ行ったんだろう。 戸惑って店長に尋ねようとしたら店長は俺の隣でいつの間にか失神していた。 警察の事情聴取というやつに付き合わされて帰宅が随分遅くなった。 疲れたし眠たいし、腹も減った。 でもあんまり食欲がない。 きっと強盗のあんな姿を見たからだろう。 白い無数の糸にぐるぐる巻きにされて強盗は店の裏に打ち捨てられていた。 店長のように白目を剥いてやっぱりガタガタ震えていた。 あ。 もうすぐ夜明けか。 部屋に帰った俺は畳に点々と残る血の跡にまず視線を奪われた。 跡を辿って、閉められていた襖の前に立ち、躊躇なく開く。 暗がりの中に八坂が蹲っていて俺は思わず笑ってしまった。 「八坂、間違えてるよ」 いくら勘の鈍い俺でも、もう、わかっていた。 ぐるぐる巻きにされて息も絶え絶えの強盗を見て二つの存在が一つだったという事に。 本来なら襖の奥にいる時は蜘蛛の姿なのに。 刺された八坂は、きっと、気が動転してしまったのだろう。 でも笑っている場合ではない。 八坂は無事なのだろうか? 「八坂、大丈夫なのか?」 笑いを引っ込めて俺は襖の奥に問いかける。 すると八坂はのそりと這い出てきた。 血は止まったようだ。 シャツの破れ目から、座敷蜘蛛がびっしりと白い肌に集っているのが覗いていた。 きっと友達の止血をしてやっているのだろう。 「ごめんな、八坂。痛かっただろ?」 八坂は無言だった。 俺は電気ストーブをつけて奴の前に置き、背中を擦ってやった。 ジャケットにくっついていた座敷蜘蛛の一匹が飛び降りて白い手の上に乗った。 「ありがとう、守ってくれて」 八坂は無表情のまま人差し指で畳をカリカリ引っ掻いた。 外では雪が音もなく静かに降り始めていた。 end

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