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君にすくわれた僕は。

「…んっ、あぁ…」 紫苑の胡座の上に水原が腰を下ろしている。水原は紫苑の首に腕を絡め付け、全身で紫苑を感じている。 一方、紫苑は驚くほど冷えた表情で、何もない一点を凝視していた。 何なんだ、このグニョグニョした物体は。 全然手応えもねーし。 「面白くもなんともねー」 急に立ち上がったので、上に座っていた水原はひっくり返った。裸のままうずくまる水原を、紫苑は見ようともしない。 「早く静流くんのことなんか忘れてよ――私待ってるから…」 水原の懇願の目を見ることもなく、煙草をくわえると紫苑が言った。 「死ぬまで待ってな。――それに、もし俺がしず忘れるときが来たら、お前の役目も終わるとき、ってことじゃねぇの?」  「紫苑…」 はっと赤面して目覚める。自分の寝言に起こされてしまった。 女々しすぎる…自己嫌悪に陥りながら冷蔵庫に向かう。 見ると、紫苑が自分用に冷やしておいた缶ジュースが目に付いた。ご丁寧に、「紫苑の!」とマジックで缶に書いてある。 もう、いいよな、飲んでも。どうせ、紫苑が飲むことはもうあり得ない。ここにくることも、あり得ない…。 タブを開け、一気に飲み干す。わけもわからず悲しくなる。 ――ダメだよ、当分立ち直れそうにない… 部屋の隅に屈みこんだ。  僕の性格をこんな風に形成した家族を恨む  最後まで殻を破れなかった自分を恨む  僕を裏切った紫苑を―――  …愛してるよ。今でも。 そんな考えに至る自分を、つくづく馬鹿だと思った。 僕は一生、あいつに縛られて生きよう。  そう思ったとき、いつか言われた言葉を思い出す。 『一生お前の頭ん中に住み着いてやる』  客に抱かれているときだけ紫苑のことを忘れられる。それも今となっては救いとさえ思える。  僕は、君を一生忘れられないことを、僕は嬉しく思う。  「おはよう、紫苑」 にっこり一般用のスマイルを浮かべる静流。 「ん…」 つられて思わず微笑を返してしまう紫苑。 俺はどこまでバカヤローなんだ。この期に及んでまだしずの笑顔…嬉しい。 いいかげんにしろ。俺は、必要とされなかったんだぞ。 「紫苑くーん!!」 リクルートスーツに身を固めた水原が、嬉しそうに走ってくる。 「ほら、早くしないとセミナー始まっちゃうわよ!」 「出ねぇって俺は!」 「早く早く」 強引に引っ張られながら紫苑が呼んだ。 「しず!」 「え?」 「ばいばい!またな!」 幼さの残るやんちゃな笑みを見せ、手を挙げた。  それは、静流が今まで何度となくメロメロにされた、一番好きな笑顔だった。 「――ばいばい」 静流も微笑んで、小さく手を振った。 【完】

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