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1 女装バー 1

「今日はだめかな……」 水割りをちびちび飲みながら、思わず俺はそうつぶやいていた。 金曜日の夜、誰かと一晩楽しみたい気分だった俺は、ゲイの出会いの場――ぶっちゃけて言えばヤリ目的の男達が集まるバーに来ていた。 自分で言うのも何だが、俺は綺麗系というか、それなりに整った顔立ちをしているので、こういう場所にいると黙っていても誰かに誘われる。 それにそうしょっちゅう来ているわけではないが、このバーにはもう何年も出入りしているので、会えば気楽に誘いあえるような相手も何人かはいる。 けれども今夜に限って、そういう顔見知りは一人もいなかった。 誘いをかけてくる相手もよくない噂があるやつばかりで、俺から声をかけたいと思えるような男もいない。 ここでの出会いにこだわらなくても、この街には他にも似たようなバーがいくつもあるのはわかっているが、やはり一夜限りの相手を探すのに初めてのところは不安がある。 今夜は楽しみたい気分なのは確かだが、どうしてもというほどの差し迫った欲求があるわけではないし、今日はもう帰るかと残った水割りを飲み干した時だった。 「ハル、暇してんの?」 「ああ、ショウか」 声をかけてきたのは顔なじみのショウだった。 顔なじみとはいっても、俺はショウの好みからかけ離れているので、寝たことはない。 けれども何となく気があって、連絡先を交換して一緒に飲みに行ったりもしているので、知り合ったのはこの店だが、肉体関係や恋愛感情が絡まないゲイ友達とでもいうような存在だった。 さっきからショウもこの店で何人かに声をかけているのを見かけていたが、俺に声をかけてきたということは、ショウの方もいい相手が見つからなかったのだろう。 「今日はいい相手いないから、他の店に行こうと思ってるんだけど、ハルも行かない?  色モノだけど、一応ここと同じ出会い系の店だからさ」 「色モノって?」 ショウの言い方にひっかかって聞き返すと、ショウはにやっと笑った。 「女装バーなんだ」 「女装バー……ってニューハーフバーみたいなものか?」 「ニューハーフバーはニューハーフが接客してくれる店だろ?  そうじゃなくて、客が女装するバーなんだ。  店で女物の服や化粧用意してて、女装趣味の男に女装させてくれんの」 「……俺、別に女装趣味はないんだけど」 確かに俺はどちらかと言えば女顔ではあるが、別に女になりたいとか女装してみたいと思ったことはないし、それはショウも知っているはずだ。 俺が思わずむっとした顔になっていると、ショウは「俺にもないよ」と笑った。 「メインの客層は女装したい男なんだけど、そういうやつとヤリたいって普通のゲイも出入りOKなんだよ。  店内にヤリ部屋もあるしさ。  女装してるの素人ばかりだから、会社で課長でもやってそうな普通のおっさんもいたりしてさ、そういうやつを言葉責めしながらヤると、すごく恥ずかしがってかわいくてたまんないんだよね」 「あー……お前はそういうの好きそうだな……」 タチネコにこだわらず年の近い男と楽しむのを好む俺とは違い、ショウはSっ気のあるバリタチで、うんと年上の地味目のおっさんをヒーヒー言わせるのが好きだから、女装のおっさんなんて格好の獲物だろう。 「ま、それはともかくとして、おっさんだけじゃなくて若いやつも結構いるし、もしナンパする気がないんならカウンター席はナンパ禁止になってるから、普通に飲んだり話したりも出来るよ」 「ふーん……それじゃあ、行ってみようかな」 正直、女装の男にとくに心惹かれるというわけではないが、たまには目先の変わったところで飲むのもいいかもしれない。 そう考えた俺は、ショウと共に女装バーに行ってみることにした。 ________ 金曜日の夜だけあって、店内は結構にぎわっていた。 ショウが言った通り、多いのは女装した男だが、普通に男の格好をしているやつもそれなりにいて、女装の男を熱心に口説いていたりする。 女装している男達は、若くて華奢な女装が似合うタイプの奴から、全く女装が似合ってないおっさんやごつい奴まで様々だ。 けれどもその誰もがきちんとメイクをして、体型や雰囲気にあった服を着ているので、似合ってない奴らもそれほど見苦しくはない。 おそらくこの店では、プロのメイクなりスタイリストなりを雇って、女装趣味の男たちの綺麗になりたいという願望を満たしているのだろう。 そう考えると、この店がこれだけ賑わっているのも納得だった。 「……あいつ、いってみようかな」 そうつぶやいたショウが見ているのは、黒髪ロングのウイッグをつけて淡い色のワンピースを着たおっさんだ。 誰とも話さず、一人きりでうつむいて落ち着かない様子の男は、まさにショウの好みにぴったりだ。 「ハルは? 誰か気になる奴いた?」 そうショウにうながされて改めて店内を見回してみたが、特に声をかけてみたいと思うような相手は見当たらなかった。 「んー……ちょっといないかな」 「じゃあ、とりあえずカウンターで飲む?  せっかくだからマスター……じゃなくてママに紹介するよ」 俺がうなずくと、ショウはカウンターに向かった。 マスターは確かにママという方がふさわしいゴージャスなドレスにきっちりメイクの……ただし間違っても女には見えない、長身で筋肉質の男だった。 「あらショウちゃん、いらっしゃい。  そちらの方ははじめましてよね?」 「うん、俺のゲイ友のハルだよ」 「あらー、かわいい方ね。  その顔なら何を着ても似合いそうだわ。  せっかくこの店に来たんだし、よかったらハルさんも女装してみない?」 「いえ、申し訳ないんですが、俺はそっちの趣味はないんで」 ママの言葉に苦笑しつつそう答えると、ママは心底惜しそうな顔になった。 「まー、残念。でも気が変わったらいつでも言ってね。  ところで二人ともご注文は?」 ママにうながされ、それぞれに酒を注文すると、ショウはさっそく目を付けた男の席へと向かった。 俺はそのままママの前のカウンター席に座る。 出会いの場でもあるというだけあって、ナンパ禁止のカウンター席に座っているのは俺の他には一人だけだった。 ショートボブのウイッグをつけたその男は、リクルートスーツのような紺色のかっちりとしたスーツを着て、濃いめのメイクをしている。 女性でも一歩間違えば野暮ったくなるような服装なのに、俺より背が高くてガタイもいいその男の女装には不思議と違和感がなかった。 いくら女装をしていても、体格からして男であることは隠しようがない。 それでも彼の女装姿に違和感を覚えないのは、顔立ちが男らしくはあるが整っているのと、膝をきっちり揃えて軽く流した足や、グラスを持つ指先といった、細かい部分にまで女性らしさが感じられるせいだろう。 ずいぶん女装慣れしているみたいだな。 常連なのかな。 そんなことを考えながらその男を眺めていると、視線を感じたのか、男がふとこちらを見た。 「えっ……」 俺を見てなぜか驚いたように声をあげた男は、みるみるうちに濃いメイクの上からでもはっきりとわかるくらいに青ざめていった。 どうして、と思いつつこっちを向いた男の顔を改めて正面から見ると、どことなく見覚えがある気がする。 まさか、知り合いか? そう思ったが、女装した上にメイクまでしていて元の顔とは変わっているせいか、誰だかわからない。 けれども目の前の男が狼狽した様子で涙目になり始めたところで、ようやく俺はぴんときた。 「よ……」 思わず相手の本名を呼びそうになったが、ここが一夜限りの出会いの場でもあることを思い出して、辛うじて最初の一文字で止めた。 「藤本さん……」 けれども相手の方は──同じ会社の隣の部署の吉川は、呆然とした様子で俺の本名を口にした。

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