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side:吉川(11.5)

藤本さんのことに関しては、いくらでも欲張りになってしまう。 最初は単なる片思いで、会社でその姿を隣の部署から眺めているだけで満足だった。 それなのに、あのバーで偶然会ってあんなことになってからは、毎週末のように抱いていてもまだ足りないと思ってしまうし、藤本さんの部屋で話す練習に付き合ってもらっていても、出来ることならもっと彼の個人的なことを聞きたいと思ってしまうし、彼の部屋に泊まってみたいとも思うし、もっと言えば二人で一緒に暮らして毎日こんなふうに一緒に食事したりたわいないことを話したりするような仲になりたいと思う。 ただの片思いだった時のことを思えば、セフレ状態の現状で、十分満足するべきなのだ。 それなのに俺は、藤本さんと恋人同士になりたいと、藤本さんのことを独り占めしたいと願うほどに欲張りになってしまった。 今だってしょっちゅう二人きりで会ってセックスもしているのだから付き合っているのとほとんど変わらないし、仮に藤本さんに他にセフレがいたとしても今は会う暇もないだろうとは思う。 それでもやはり、形だけは恋人っぽくても本当の恋人ではない今の状態ではだめなのだ。 藤本さんは本当に素敵な人で、本来なら俺にとっては高嶺の花だ。 けれども、わざわざ俺の話す練習につきあってくれたり、ネックレスをくれたりするあたり、藤本さんの方も俺のことをただのセフレ以上に思ってくれているのだと期待してもいいのかもしれないと思う。 今までの俺なら、そんなふうに望みがあるかもしれないと感じても、怖くて、自信がなくて、とても告白なんか出来なかっただろう。 けれども今の俺は、他ならぬ藤本さんのおかげで、以前よりもずっと、勇気と自信を持つことが出来ている。 今なら、ちゃんと藤本さんに自分の気持ちを伝え、付き合って下さいと言えそうな気がする。 けれどもその前に、俺には乗り越えなければならない問題がある。 他ならぬ、女装のことだ。 確かに藤本さんは俺の女装を受け入れてくれてはいる。 けれどもやはり藤本さんが本当に求めているのは、男の俺、本来の俺なのではないかと感じることがあるのも事実だ。 それに俺自身も、女装せずにはいられない情けない自分ではなく、そのままの男の姿の自分で藤本さんと向き合いたい。 藤本さんがくれたネックレスのおかげで、この前は男の体のままで、藤本さんと触れあうことが出来た。 それでもまだ、メイクもウイッグもつけない、完全な男の姿になる決心はつかなかった。 自分が女装をせずにいられない、その大本の問題はカウンセリングを受けるまでもなく、自分でわかっている。 一番の問題は自分自身の弱さだが、それだけではなく、一番身近な女性である母や姉たちに対する強い憧れ――要するに、マザコン、シスコンなのがまずいのだと思う。 学生の頃から自分でもこのままではまずいと思っていて、就職を機に母や姉たちから離れて自立しようと一人暮らしを始めたのだが、姉たちが合い鍵を使ってしょっちゅう訪ねて来ては家事をやっていってくれるので、結局今も自立出来ていない状態だ。 藤本さんと今のような関係になってからは、藤本さんのことで心の中が占められていて、前ほどには母や姉に対する憧れは強くなくなっているように思うけれど、それでもやはり、ちゃんと自立して自分の中でけじめをつけなければならない。 そんなわけで、姉たちにもう家事をしに来なくてもいいと宣言しようと決心して、俺は仕事帰りに実家によることにした。 「あら、衡(ひとし)。  連絡もせずに来るなんてめずらしいわね」 「ご飯は食べたの?  肉じゃがまだ残ってるわよ」 みんなが美容院を閉めて食事を終える頃を狙っていくと、ちょうど母とまだ結婚していない姉3人がそろって食後のお茶を飲んでいるところだった。 俺が実家に着くと、さっそく姉たちが俺の世話を焼こうとしはじめる。 俺もシスコンだが、姉たちの方も俺にはたいがい甘いと思う。 「いや、食べてきたからいいよ。  それより今日は話があって」 「何、話って」 母の言葉にうながされ、俺は空いている席に座って口を開いた。 「俺、今まで姉さんたちが家事をしてくれるのに甘えてたけど、もうやめようと思うんだ。  これからはちゃんと自分で掃除するから、姉さんたちも俺がいない間に勝手にうちに来るのやめてもらえないかな。  あと合い鍵も返して欲しい」 俺が思いきってそう言うと、姉たちがざわっとした。 「ええ? いきなりどうしたの?」 「……女ね」 ぼそっと告げられた次女の言葉に、俺は思わずうろたえる。 「ち、ちがっ……」 「あー、なるほどねー。  どうりで最近あんまり家にいないと思った」 「なんか雰囲気も変わったものね。  色気づいたってわけだ」 「そりゃ、彼女連れ込むのに私たちが入り浸ってたら困るわよねー」 姉たちは俺の否定など無視して盛り上がっている。 俺としては自立したいのが一番ではあるけれども、藤本さんを自分の部屋に招いていちゃいちゃしたいという下心があるのも確かなので、姉の指摘は図星だった。 「彼女出来たんなら一回連れてきなさいよ」 「そうよそうよ、衡って今まで全然女っ気なかったから、悪い女に騙されてないか心配だし」 一応は俺を心配するふりをしているが、姉たちは完全に面白がってしまっている。 3人とも身を乗り出していて、俺の恋人に興味津々なのが丸わかりだ。 「そっ、それはちょっと無理……」 どう考えても、それは無理な話だ。 藤本さんにはまだ告白もしていないし、もし仮に無事付き合うことが出来ても、男の恋人を連れてきたりしたら大騒ぎになってしまう。 「無理ってどうしてよ。  私たちに会わせられないわけでもあるわけ?  もしかしてあんた、不倫とかしてるんじゃないでしょうね?」 「いや、そういうわけじゃなくって……」 「じゃあ、なに?  不倫じゃなかったら淫行?  相手が女子高生だったりしたら犯罪よ」 姉たちはヒートアップして、完全に収拾がつかなくなってしまっている。 と、それまで黙っていた母が口を開いて、一言「やめなさい」と言った。 そうすると今まで騒いでいた姉たちはぴたりと黙ってしまった。 「衡がそういうことをするような子じゃないって、あなたたちもわかっているでしょう?  だいたい、私は衡をそういう子に育てたつもりはないわよ」 女手一つで5人の子供を育てた母の言葉には重みがある。 今まで騒いでいた姉たちも、母の言葉にようやく納得したようだ。 母は姉の一人に「衡の部屋の鍵、持って来て」と言うと、姉が持ってきた鍵を俺に渡してくれた。 「確かに甘えすぎるのはよくないけど、甘えること自体はわるいことじゃないわ。  だって、家族なんだから。  だから、もし何かあった時は、遠慮しないで私たちを頼りなさいね」 「うん、ありがとう」 「それと恋人のことだけど、衡が好きになった人なら、私たちにとっても大事な人よ。  あなたが選んだ人なら、私たちも必ず受け入れられるわ。  だから、衡が大丈夫だと思えるようになってからでいいから、いつか私たちにも会わせてね」 そう言われて、もしかしたら母は俺がゲイだと気付いているのかもしれないと気付く。 母ならば気付いて、そしてそんな俺のことを否定せずに見守ってくれていてもおかしくはない。 「……うん。  いつかきっと連れてくるよ」 今すぐには無理だけど、藤本さんにちゃんと告白して付き合えるようになったら、そして藤本さんが会ってもいいと言ってくれて、俺の方もカミングアウトする決心がついたら、絶対に藤本さんを連れてこようと心に決める。 きっと藤本さんは母や姉たちとすぐに打ち解けるだろうから、そうしたら俺はみんなに藤本さんを取られたような気がして妬いてしまうんだろうなと、そんな先のことまで目に浮かぶような気がした。

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