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如月

陽だまりみたいな笑顔が見れると思ったんだ。 如月の人生が狂い始めたのは十の時。暁(鬼月)と出会ったのが地獄への一歩だった。その頃まだ名前のなかった如月。この名前は、暁がつけたものだった。大層な理由はなかったと記憶している。 それからだ。如月が生きるために何でもやり始めたのは。盗みだってやった。暁に命じられるまま、殺しもやったことがある。最初の頃は抵抗していた。名前もない、屑みたいな生活をしていても殺しはいけないことだと分かっていた。それでも、何度も繰り返していくうちに心は壊れた。 『これ、落としましたよ』 そんな生活をしていた時だった。落とした手提げ袋を拾ってくれ、なおかつ渡してくれた。たったそれだけのことなのに忘れられなかった。 自分とは違う、何も汚れていない真っ白のような人。自分みたいな奴が関わってはいけない人。それでも如月は、その人を見つける度に目でおった。 でも、もう話すことなんて出来ないだろう。自分みたいな奴が、関わっていい相手じゃない。そう思ったからこそ、如月は遠くから見つめていた。 そんなある日、如月にとって運命の分かれ道が訪れる。 ずっと目でおっていたその人が、暁が身を置く店の前に立っていたのだ。そして何度も女に「背中に鬼がある人に会わせてください」と頼んでいた。如月は、すぐにそれが暁だと分かった。背中に鬼の絵柄の墨が入っているのは、暁だけだ。 (また、あの笑顔が見たい) 如月の願いは、ただそれだけだった。陽だまりのような笑顔をもう一度見たい。その一心で、一歩、一歩と鬼の元へ足を進めた。それが、陽だまりみたいな笑顔の人―嘉平―を地獄の道に引きずり込むとは知らずに。 (ちっぽけな願いの代償は大きかった) ***** 如月はしんとした廊下を、綺麗な水の入った桶と真っ白い布を持って歩いていた。向かうは、あの離れ。離れの前に着くと、障子に背を向けて座った。 聞こえる。甘い、陽だまりみたいな笑顔の人の喘ぎ声。 聞こえる。獲物を狩る鬼の楽しそうな声。 如月は瞳を閉じてじっと耐えていた。耐えるために噛み締めた唇から、たらりと血が流れる。それでも構わないと言うように、噛み締める力を強くした。 いつの間にか声そんなは止んでいて、障子が開いた。 「入って如月」 現れた暁に言われるがまま、如月は中に入る。中では、嘉平が疲れたように眠っていた。 「如月」 やるんだ。 暁がそう言って如月に渡したのは、小刀。如月はそれを受けとると、鞘を抜いた。まずは、その小刀で自分の左目を突き刺した。 痛みを堪えながら、桶で小刀を洗って、今度はその小刀を嘉平の足の腱に当てた。 自分の左目は戒め。 嘉平を、地獄へ繋いでしまった自分への戒めだった。 END

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