8 / 9

嘉平

湯浴みを終えた嘉平が如月に連れてこられたのは、あの運命みたいな夜を過ごした離れだった。あの夜のことを思い出してしまい、少し目尻に涙が滲んだ。その涙を、如月は優しい手つきで拭う。 「泣くな、嘉平。目が赤くなって兎になるぞ」 「如月さんでも、可愛いこと言えるんですね」 「俺をなんだと思っているんだ」 こんな冗談を言えるほど、嘉平は落ち着いていた。風呂場ではあんなに緊張していたのに。この離れに来た途端、その緊張がやんだ。ここは、鬼月がいた場所なのだ。だからきっと大丈夫。 下唇を噛み締めて自分に言い聞かせている嘉平の前に、如月が一枚の着物を見せてきた。女物の着物で、黒地に赤い椿が描かれていた。そして肩に当たる部分には、月が描かれている。 「これは?」 「お前のために、作らせていたものだ」 如月の言葉を聞いて、嘉平は首をかしげた。なんで僕に、作るのに時間がかかる着物を?それを聞こうと嘉平が口を開いたと同時に、如月が後ろを向けと言ってきた。まるで、嘉平の問いかけようとしたことの答えを言いたくないように。 ここで逆らっても、何の特にもならない。嘉平はそれを分かっていたから、黙って如月に背を向けた。背を向けると、ふわりと肩に着物をかけられた。 「着物に袖を通したら、少し緩めに帯紐を結ぶ」 「はい、」 「化粧も何も要らない。ただ、着物を着たらここで待っていろ」 それだけ言うと、如月は部屋を出た。如月に言われた通りにしてしばらく待っていると、障子が開く音がした。待てと言われただけで、男娼の作法など何も聞いていない。どうしよう。障子を開けた人を見ることなんて出来ず、嘉平はただ俯いていた。 「久しぶりだね、嘉平」 聞き覚えのある声。勢いよく顔をあげれば、そこに立っていたのは鬼月だった。驚くことしか出来なかった。もう会えないとさえ思っていた。これは夢だ。ぎゅっと瞳を閉じて覚めてしまえと思った。でも、そんな嘉平を抱き締めてきた温もりは夢ではなかった。 「泣かないで、嘉平」 鬼月の言葉で、自分が泣いていることに気づいた。自分で涙を拭おうとしたが、鬼月にそっと止められる。 「きづきさ、」 「暁。俺の本当の名だ。そう呼んで、嘉平」 言われた通り、何度もその名前を呼んだ。暁さん、暁さん、暁さん。 「どうしても忘れられなかった。だからここに来た。ねぇ、嘉平。俺のものになってよ」 多くは語らない。でも、掠れた暁の声に突き動かされて嘉平は頷いた。

ともだちにシェアしよう!