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Turning Kiss 3

「サヨコさんに、悪いことしちゃったな」 自宅までの帰り道、アスカはそんなことをぽつりと漏らす。 その割にはめちゃくちゃ挑戦的だったじゃないか、お前。という言葉を呑み込んで、俺は曖昧に笑いかける。 「いや、俺が悪いんだ」 間に合わせで買った薄手の白いシャツは、アスカによく似合っていた。 「あの人、ワタルさんのことがすごく好きだったんだね」 そうなのかもしれない。だからこそ、あのプライドの高い女が誘えば身体を開いた。俺とよりを戻したいと思っていたから。 「俺のどこがよかったんだろうな。こんな、優柔不断でだらしない男なのにさ」 自虐的なことを言ってみるが、答えは返ってこない。否定も肯定もせず、アスカはただ俺の隣に寄り添う。その距離感が心地いいと思った。 「いい人が見つかって、幸せになったらいいのにな」 そんなことを言うアスカは、何だかとても淋しそうで、抱き締めたくなるぐらいかわいかった。 「ワタルさんもね」 不意にその瞳をこちらに向けるから、俺は不純な考えを見透かされた気がしてどきまぎする。 「え?」 「いい人が見つかって、サヨコさんのことを早く忘れられたらいいね」 「いや、俺は……」 未練はないつもりだった。なのに、身体は忘れることはできなかった。 でも、もしかしたらそれこそが、未練のある証だったのかもしれない。 「そんなによかったんだ、あの人とのセックス」 アスカのダイレクトな物言いに、思わず人目を気にしてしまう。よかった、近くに誰もいなくて。 「……うん。まあ、そうだな」 「じゃあ、あの人よりもっと気持ちいいことしたら、忘れられるかもね」 無邪気にそう言うアスカの顔が、なぜか俺を誘っているように見える。 ああ、俺は何をぐらついているんだろう。この子は男だっていうのに。 不思議な色気を放つ年下の男を横目で見ながら、あのバーへ行ったときのことを思い出す。 PLASTIC HEAVENというバーへ行けば、アスカの四日間を五万円で契約できる。 都市伝説みたいな噂に縋り、あの隠れ家のような店の扉を開けたのはちょうど一週間前だ。 『別れたいんだ。今の女と縁を切って、ずるずる過去を引きずってしまう自分を変えたい』 マネキンみたいに完璧に整った顔のマスターと契約したのは、変わりたかったからだ。 気持ちの伴わないセックスで小夜子を傷付ける自分を、変えたかった。 「ワタルさん、こっち」 すれ違う人とぶつかりそうになる俺を、アスカが引き寄せた。 思いのほかその力は強く、バランスを崩して思わずアスカを抱き締める。 ふわりと花のような甘い匂いが、鼻をくすぐった。 なんだ、この芳香は。 「うわ、ごめん!」 我に返って急いで引き離すと、アスカは俺を見上げながら艶やかに微笑んだ。 「忘れさせてあげようか?」 その美しい眼差しに、吸い込まれていく。 「アスカ……」 どういう、意味だ。 言葉にする前に、アスカが目を逸らす。 「お腹すいたね。早く帰ろう」 指と指を絡めて、手を繋いでくる。まるで、仲の良い子ども同士が家路についているかのようだ。 幼子のように純粋で、蜜のような甘い色気を纏うアスカ。 その手を振り解くことができないまま、肩を並べて歩き続ける。 この四日間で、アスカはきっと俺を変えてくれる。 心のどこかで俺は、強くそう確信していた。 "Turning Kiss" end

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