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第1話 ハッピーバースデー

 好きで好きでたまらない人がいる。  とても大切で、失いたくない――そんな人が、いる。  けれど、この想いは伝えてはいけない。  なぜなら自分は男で、その人も、男。  そして、忘れてはいけない理由が、あとひとつ。    叶うはずのない恋だった。だけど、忘れるには辛すぎる恋だった。  だから決めたのだ。  叶わない恋ならば、せめてあの人の傍で笑っていよう、と。  それだけで、自分も幸せなのだと、柚原紫乃は自分に言い聞かせていた。  深夜0時。時計の針が重なる音が、静かな部屋に響いた。  その瞬間、テーブルの上に置いていたスマートフォンがひっきりなしに鳴り始める。ソファで丸まってうとうとしていた紫乃はその音に気付き、慌ててスマートフォンを手に取った。  今日は特別な日なのだ。日付が変わった瞬間を狙って、何人もの友人たちから一斉にメッセージが届く。 『紫乃ちゃん、誕生日おめでとう!』 『ハッピーバースデー! 紫乃!』  今日は俳優・柚原(ユズハラ)紫乃(シノ)の三十回目の誕生日。次々送られてくるあたたかい言葉に、紫乃は柔らかな笑みを浮かべた。  本当なら、仲間たちと一緒にどこかの店を貸し切って騒ぎたかったが、舞台の本番を控える身としては、羽目を外すわけにはいかなかった。  たくさんのメッセージに目を通していると、ある人からのメールが飛び込んできた。 『誕生日おめでとう、紫乃。お祝いメールがいっぱい来るからって、夜更かしはするなよ。これ読んだら、ちゃんとベッドで眠ること』  差出人の名前は、藤城(フジシロ)(アキラ)。十歳年上の先輩俳優だ。紫乃は、そんな藤城からのメールを何度も何度も読み返す。自分のことを思ってこのメールをくれたのだと思うと、嬉しくて、くすぐったくて、どうしようもない幸福感に包まれる。  なぜなら、紫乃は藤城に恋をしているからだ。 「輝さん――」  名前を呼ぶだけで、ドキドキと胸が高鳴る。破裂しそうな胸を押さえ、紫乃は過去に想いを馳せた。  初めて舞台に立つ藤城の演技を見たとき、紫乃は一瞬で心を奪われた。そして、彼のようになりたいと思った。それはなぜか。そんなこと、分かるはずがない。恋に落ちるのに、理由なんてないのと同じだ。  しいて理由を挙げるとするなら、そこに藤城輝がいたから。  そして、彼との出逢いがあったからこそ、紫乃はいま、俳優という仕事をしているのだ。 「大好きです、輝さん……」  飾ってある写真立ての中から、一つを選んで胸に抱く。二人で肩を組んで写っている、一番お気に入りの写真だった。紫乃はまだ顔つきがあどけなく、藤城もいまよりずっとエネルギッシュな表情をしている。これは、初めて二人が共演した時に撮った記念写真。紫乃の、宝物の一つだった。

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