1 / 26
第1話 ハッピーバースデー
好きで好きでたまらない人がいる。
とても大切で、失いたくない――そんな人が、いる。
けれど、この想いは伝えてはいけない。
なぜなら自分は男で、その人も、男。
そして、忘れてはいけない理由が、あとひとつ。
叶うはずのない恋だった。だけど、忘れるには辛すぎる恋だった。
だから決めたのだ。
叶わない恋ならば、せめてあの人の傍で笑っていよう、と。
それだけで、自分も幸せなのだと、柚原紫乃は自分に言い聞かせていた。
深夜0時。時計の針が重なる音が、静かな部屋に響いた。
その瞬間、テーブルの上に置いていたスマートフォンがひっきりなしに鳴り始める。ソファで丸まってうとうとしていた紫乃はその音に気付き、慌ててスマートフォンを手に取った。
今日は特別な日なのだ。日付が変わった瞬間を狙って、何人もの友人たちから一斉にメッセージが届く。
『紫乃ちゃん、誕生日おめでとう!』
『ハッピーバースデー! 紫乃!』
今日は俳優・柚原 紫乃 の三十回目の誕生日。次々送られてくるあたたかい言葉に、紫乃は柔らかな笑みを浮かべた。
本当なら、仲間たちと一緒にどこかの店を貸し切って騒ぎたかったが、舞台の本番を控える身としては、羽目を外すわけにはいかなかった。
たくさんのメッセージに目を通していると、ある人からのメールが飛び込んできた。
『誕生日おめでとう、紫乃。お祝いメールがいっぱい来るからって、夜更かしはするなよ。これ読んだら、ちゃんとベッドで眠ること』
差出人の名前は、藤城 輝 。十歳年上の先輩俳優だ。紫乃は、そんな藤城からのメールを何度も何度も読み返す。自分のことを思ってこのメールをくれたのだと思うと、嬉しくて、くすぐったくて、どうしようもない幸福感に包まれる。
なぜなら、紫乃は藤城に恋をしているからだ。
「輝さん――」
名前を呼ぶだけで、ドキドキと胸が高鳴る。破裂しそうな胸を押さえ、紫乃は過去に想いを馳せた。
初めて舞台に立つ藤城の演技を見たとき、紫乃は一瞬で心を奪われた。そして、彼のようになりたいと思った。それはなぜか。そんなこと、分かるはずがない。恋に落ちるのに、理由なんてないのと同じだ。
しいて理由を挙げるとするなら、そこに藤城輝がいたから。
そして、彼との出逢いがあったからこそ、紫乃はいま、俳優という仕事をしているのだ。
「大好きです、輝さん……」
飾ってある写真立ての中から、一つを選んで胸に抱く。二人で肩を組んで写っている、一番お気に入りの写真だった。紫乃はまだ顔つきがあどけなく、藤城もいまよりずっとエネルギッシュな表情をしている。これは、初めて二人が共演した時に撮った記念写真。紫乃の、宝物の一つだった。
ともだちにシェアしよう!