251 / 269
破片
疲れ果ててベッドの上で寝息を立てる皐月の頬を撫で、俺はようやく安堵した。
さっきまでは錯乱状態に陥り誰も手をつける事が出来なかったから。
叫んではなんてことをしたんだって訴えかけてくる。
真っ赤な目を見るのが辛くて、俺は何度か目を逸らしてしまった。
「……ごめんな、何も理解してやれなくて。」
どれだけ愛していても、どれだけ愛しくても。
俺は皐月の心の中を覗き見ることは出来なかった。
腹の中で後悔と罪悪感に襲われていたって同じように苦しんでやる事は出来ない。
今はとにかく、何よりも傍に居ることが大切だ。
…仕事よりも。
今日の進路相談の最後は千葉だった。
成績は中の中。
志望校も普通より少し頭がいいか、くらいの大学だ。
淡々と進路相談を終え早く帰ろうとした時だった。
『どうしても中央病院に行かないといけない用ができたんですが、送ってくれませんか?』
なんて言い出した。
理由を聞いても教えてはくれない。
だが、それでも「足がない」「どうしても行かなきゃならない」とくり返し言うものだから断ることも出来ずに一緒にここまで来てしまった。
病院へついた後、千葉はすぐに1人でナースステーションに向かったためその後どうしたかは分からないが今思えば少し妙だった。
「…ただの偶然か。」
目を閉じたままの皐月にそう呟くが返事は無い。
時々、苦しそうに瞼が揺れるが目覚めはしなかった。
俺が病院に着いた時、何故か病室には奏斗も皐月もいなくて。
散歩にでも出てるのかと階段に向かうと下の階へ向かう踊り場に2人が横たわっているのが見えた。
すぐに医者を呼び、奏斗と皐月は運ばれたが二人分の衝撃を受けた奏斗はかなりの重体で皐月は精神的ショックで暫く落ち着かないままだった。
何もかもが悪い方向へ転げているような気がする。
誰も、幸せにはなれていない。
椅子の背に体重を預け、うたた寝でもしようかと目を閉じる。
が、数分も置かずにノックの音が聞こえてくる。
「…はい。」
皐月を起こさないよう、扉に近づいてからそう返事をする。
向こうから返事は無くそのまま扉が開けられる。
と、そこにはまるで表情のない千葉が立っていた。
「お前、なんでここが……」
楠本が入院しているという事も、俺がその見舞いに来ていることも知らないはずだ。
たまたま千葉が私用でここに来ていようが俺達は出会わないはずだった。
それなのに、千葉は当然のようにここにいる。
「皆木先生。俺、帰りますね。」
「………はぁ?」
「貴方が思っているよりも厄介な事になっています。悪いことは言わないので、時枝先生とは会わないでください。そして、楠本から目を離さないで。」
「どういう意味だ?」
千葉は無表情のまま俺を見つめた。
いや、俺のもっと後ろで眠る楠本を見つめたいたのかもしれない。
目が合っているのに合っていないようなそんな感覚に陥る。
「……いえ。ただのお願いです。先生と会わないで、それだけ。」
「なんでお前にそんな事、指図されなきゃならないんだ。」
「俺から理由を言う権利は多分…無いので、言えません。」
千葉はそう言うと、斜め下を向いて口を結ぶ。
…どういう意味かさっぱりわからない。
そもそもコイツは何者だ?
奏斗とも皐月ともそれほど深い仲ではないはずだ。
もちろん、俺とも。
それなのに何を知っている?
どうして妙に達観した物言いをするんだ?
「…奏斗とどういう関係なんだ。何か、知ってるのか?」
「言えません。」
「俺が許可する、話せ。…いいから言え。」
奏斗とのこと。
皐月の状態。
それから、千葉の態度。
少しイライラしていた。
正常な判断ができなかった。
俺だって少しは楽になりたかった。
だから、コイツにキツイ言葉遣いと八つ当たりをしたのかもしれない。
教師らしからぬ言葉でそう言うと千葉は暫く黙っていたが少しして口を開いた。
「俺は、…時枝先生を好きなだけの生徒です。なんでもありません。ただ、少し話をするだけ。
今も先生の病室にいました。貴方が、何年越しの親友に目もくれずに今の恋人に寄り添っている間にも話をしていました。」
「……どういう、つもりで…」
「皆木先生。時枝先生は、楠本を守るために自分を盾にしました。その結果頭を強く打ち、外傷以外にも障害が残っています。」
千葉は真っ直ぐに俺の目を見つめた。
ブレない、淡々とした言葉を繋げて。
「記憶障害。あの人は、貴方の事を覚えていません。」
大切にしていた物が砕けるのは存外、一瞬だ。
けれど、今になってふと思う。
俺は本当に 奏斗の事を大切にしていただろうか
と。
ともだちにシェアしよう!