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玄関に荷物を置いたまま、2人でリビングへ向かう。
帰ってきたばかりの家は蒸し暑くて早々と手がクーラーのリモコンへ伸びた。
「何か飲むだろ。何がいい?」
「んー、…はちみつレモン飲みたい。」
「お前本当それ好きだな。冷たい方がいいよな。」
「ん。」
短い返事でそう答えると、皐月は台所に向かう俺に途中までついてくるが途中で角を曲がると大泥前のカウンターに座った。
カウンター越しに俺をじっと見てくる。
「作り方覚えるか?そっちの方がいつでも飲めるだろ。」
「別に好きな訳じゃないからいい。」
「はぁ?」
「あれ飲むと、アンタといるって感じがして落ち着く。」
「妙に素直だな。」
「…五月蝿い。」
少し照れたように顔を半分腕で隠すと、拗ねたように隙間から俺を見た。
あんな事ばかりで、俺達はほぼまともな会話すらしていなかった。
ここで一緒に生きていた時は多少は話していたけれど本当にそれ以来かもしれない。
こんな当たり前の会話に胸を打たれるとは思っていなかった。
「ここで飲むか?テレビは?」
「こっちがいい。」
「わかった。」
ようやくクーラーの効き始めた部屋で二人で並んで冷たいはちみつレモンに口をつける。
グラスに大きな丸い氷がひとつ浮いてクルクルと回る。
この甘酸っぱい味が俺たち2人の一番綺麗な思い出な気がした。
「なぁ、お前は兄貴の事嫌いだったか?」
「…嫌いじゃない、かも。」
「そうか。それじゃ良かった。」
グラスを机に置き、不思議そうな顔をする皐月に兄から電話の事を話す。
家族に会いに行く前にまずはアイツと話をするのが安全策だろう。
「お前に会いに行く少し前に兄貴から電話があったんだよ。弟が帰ってこないって。…その後、とあるきっかけでアソコにいることがわかった。それはまた今度、ちゃんと話す。
お前の兄貴との関係は知らないがアイツはそれなりに反省してるらしい。会ったら、またちゃんと話をしてやってくれ。」
「…俺も話したい。兄ちゃんは、唯一……」
皐月の言葉が止まる。
いつも、傷ついている事は知っていた。
母親のこと、父親のこと、どういう人間なのかは知らない。
虐待を受けている事や深く考え込んでいることは分かっていてもはっきりと態度は知らなかった。
俺は皐月にただ一言、「教えてくれ」とだけ言った。
「…兄ちゃんは唯一、俺とちゃんと話してくれたから。父さんはまともに話してくれなかったし、母さんは本当はずっと俺を嫌ってて最近はいないみたいな扱いだった。
もう1人の兄ちゃんは高3になってすぐくらいに家を出て言ったからもう会ってない。
兄ちゃんは怖かったし、痛かったけど。…でもなんか、ちゃんと扱ってくれてた…気がする。」
「褒められた事じゃないけどな。レイプをしたのはあの兄貴か?」
「そう。香月の方。」
「…兄弟みたいな名前だな。」
「いや、ちゃんと兄弟だから。」
皐月がそう言って顔をしかめる。
確かにそうだが。
俺が言いたかったのは、親が名前をつけた時にちゃんと…揃えて付けたってことを言いたかった。
が、まぁいいか。
「で、問題はその先だ。お前がいなくなった連絡が来た後、1度だけ話をしたがその後もう電話は繋がらなかった。」
「…居留守?」
「さぁ。とにかく、繋がらない。携帯が音信不通だ。家に電話はまだかけてない。」
「うちは多分、100%母さんが出る。」
「あー…困ったな。」
少し薄くなったはちみつレモンを喉に流し込む。
一筋縄じゃいかなそうだ。
まずは、こいつの家の問題を何とかしたかったがそうもいかない。
両手でグラスを持ち首を傾げる皐月を見ながら俺は仕方ない、と呟く。
「家に行くか。」
「……強行突破すぎる。」
顔を顰める皐月を見てケラケラと笑う。
もう、正直コイツは攫っていくつもりだ。
なんとかなれば、それでいい。
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