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知りたいと、思った。

 両親はいない。  それを周りが知った途端、周りは俺に対して態度を変えた。なるべく触れない様にする。壊れ物に触れる様に。見下すように。恐れる様に。俺との距離を、測り直す。  幼かった俺は、それに苛立ちを感じた。  気にしなければ良い。確かに、その通りだ。だけどそれは、面倒な事になりえる可能性を否定出来ない。  イジメ。とか。  だから、【俺】は【僕】になった。  いつも、いつも。微笑みを絶やさずにいれば、周りに優しくいれば、敬虔な存在するか分からない神の信徒の様に、静かに微笑んで相槌を打っていれば、余計な事を考えなくて済む。  周りも、俺に対して何も考えない。その変にいる、一般市民だと思う。  だから、【俺】は【僕】になった。  ***  俺には、高校に入って仲良くなった友達がいる。  そいつは、顔が綺麗で頭も良くて、男女問わず優しい奴。  上田春哉。  そいつの名前だ。  初対面は入学式の教室。席が前後だった。俺が伊崎龍司で、あっちは上田春哉。その日は、話しかけなかった。だって、本読んでるんだもん。邪魔出来なかった。  ただ、読書する姿が様になってるな。とは思ってた。  初めて話し掛けたのは、入学式から暫く経って、委員会とかが決まって本格的に高校生を始めた頃。バスの中でだった。上田春哉は2人座れる席で、やっぱり本を読んでいた。  「委員長。」  そう声を掛けた。クラス委員なんだ、こいつ。今は、春哉って呼ぶけど。  ふっと、顔を上げにっこりと笑って「おはよう、伊崎。」って言ったんだ。  「うん、おはよう。お前も、バスなの?」  「そうだよ。」  詳しく聞けば、俺が乗る4つ前の所だった。けっこう離れてるなって言ったら、困った様に笑って「ちょっとね。」と言ったんだ。  「隣り、良い?」  「良いよ。」  そう言って鞄をどかして、座らせてくれたのが初めてちゃんと話した日。基本、俺が喋ってたんだけど、委員長は微笑みを崩さず聞いてくれていた。  俺がこの学校を選んだ理由が、じいちゃんの通ってた学校なんだと言えば「そうなんだ、何かそういうの良いね。」と笑ってくれた。  じいちゃんが使ってた古い校舎の話をすれば、「お昼休みに使えそうだね。」とか。その古い校舎の教室に向かう階段の踊り場に、ステンドグラスがあると言えば「綺麗なんだろうね。」と笑う。  俺を名字で呼ぶから、「龍司で良いよ。」って言えば「ありがとう。龍司。僕も春哉で良いよ。」と笑う。  それから、俺はこいつと一緒にいる。話したら普通に気に入ったんだ。  勿論、古い校舎にも連れて行った。ステンドグラスを見て、綺麗だと笑った。そこには、クラスの友人達もいた。今は昼休みに皆でそこで飯を食べたり、校舎の前で下らない遊びもする。  楽しい日々だと、1年経った今もたまに思う。  だって、この学校人数少ないからクラス替えが無いんだ。3年間、同じクラスメイトと一緒なんだ。仲間意識って言うの?目覚めちゃうよね。  ***  2年になって、すぐ。いつもの様に昼休みを過ごそうとしたら、気が付けば春哉がいなかった。あれ?と思い見渡せば、少し後ろで女子に捕まっていた。しかも、2人に。  咄嗟に俺は友人達を校舎に連れ込み、こっそりと様子を伺った。勿論、他の奴らも。  「……あ、あれ隣のクラスの女子じゃん。」  「でも、付き添いっぽい。」  「みたいだな。つうか、女子の顔が見えない!!誰だよ相手!!」  「春の奴、絶対わざとあの位置立ってるよ!!」  小さい声で言い合いながら、俺達は少し離れたその光景を見つめていた。春哉の手には弁当と本。告白しているだろう女子の姿は見えないが、付き添いの女子は2人の横にいるのが分かる。  ふと、春哉が半身でこちらを見て、しっしと手を動かした。バレバレだった。  「教室から見るか。」  俺が提案した途端、皆で階段を駆け上がり、教室から見下ろす。やっぱり隣りのクラスの女子だった。ボブカットで、淡い桃色のカーディガンを着た女子が、委員長の目の前に立っていて隣りで見守る女子にせっつかれてる。  「何て言ってるのかな?」  「この距離で聞えるわけねぇだろ。」  「つうか、春さぁ。この学校で何人に告られてんのかな?」  俺の記憶じゃ、これで4人目。そう言うと1人が、「やっぱりさぁ、いるのかな。他校に。」と呟いた。  そう、いるのかって噂が立ってる。仕方ない。だって今までの4人、全員断ってるんだから。理由を本人に聞いても、『今は、良いかな。』なんて言っちゃうんだ。しかも、断り方が丁寧らしく、恨み言を言う女子なんていない。  「ん、終わったっぽいな。」  告白をした女子は、泣き笑いしてる。やっぱり、断り方が丁寧なんだろう。付き添いの子も、怒っている様子はない。やんわり笑って、泣いてる子を慰めてる。  俺の携帯が鳴った。春哉だ。  「もしもし?」  『こっち来てくれる?2人と、校舎の近くまで行ってくるから。』  「あー、うん。」  何でそこまですんのか分からなかったけど、俺は弁当を置いて教室を出た。階段を駆け下りて、春哉の傍に行く。  「本とお弁当、お願い。」  「うん。」  「食べないでね。」  「食わないよ、バカ。」  くすくす笑い、踵を返した。女子2人の横に立ち、にっこり微笑みながら春哉が歩いていく。俺も踵を返し、弁当と本を持って皆が待つ教室に向かった。  ふと、今何を読んでいるんだろうと本を見た。いつもころころ変わるし、ジャンルがバラバラで、ある日気が付いたらラノベを読んでて驚いた事もある。  「みだれ髪。」  まじか。自分から買って読む事は決してないと言い切れる類の本。あいつ、今こんなの読んでんのか。教科書でちらっと読んだけど、むず痒かった記憶がある。  軋む階段を上がり、教室に入る。皆はもう、自分の弁当と話しに夢中になっていた。  「あれ?春は?」  「校舎の近くまで2人送るって。」  弁当と本を自分の隣りにある机に置いて、無事だった自分の弁当を広げる。椅子が小さく悲鳴を上げたが、結構丈夫だ。  「何それ、イケメン。」  「気遣い出来る男ってか。まじイケメン。」  「彼女いんのかねぇ。」  それぞれが思い思いの言葉を口にしながら、弁当を食べている。暫くすると春哉が戻ってきた。  「僕のお弁当、食べてない?」  「食べてなーい。」  「食わないっての。」  なんて。皆笑ってる。春哉本人は、俺の隣りの席に腰を下ろし弁当を広げている。  「なぁ、春って彼女いるの?」  「いないよ。いただきます。」  律儀だな。そう思っていたら、質問が飛び交い始めた。  「いつも断るよな、春哉。」  「んー、今は良い。こうしてる方が楽しいし。」  「ちょっと、奥さん。今の感動シーン見まして!?」  そう聞かれ、俺は乗っかって大げさに振舞う。  「勿論ですわよ!!脳裏に音声付きで録画しましたわ!!」  げらげらと笑いが巻き起こる。隣りで春哉は「気持ち悪なぁ。すぐ消して欲しいね。」なんて言いながら、微笑んでいる。いつも、いつも。神がかった微笑みを、絶えずその顔に浮かべている。柔らかい、微笑みを。  だから俺は、気が付かなかった。1年、一緒にいたくせに。  あいつの家の事。中学の事。あいつの、両親の事。  あいつ自身の事。  知ってるあいつの事と言えば、用事とかで放課後に遊べない事。皆で塾か何かだろうと気にしなかった。あとは、機嫌が悪い時に口調が少し荒くなるだけ。それだけ。誰にでもあるだろ、そんな事。  俺が知ってるのは、本当にそれだけだった。  ***  春が少し過ぎて、桃色から緑色に景色が変わろうとする頃。週明けの月曜日。バスに乗り込むと春哉がいなかった。  どうしたんだろう。  そう思ってたけど、寝坊か。なんてありえない事を考えながら、バスに揺られ学校の目の前に到着した。玄関で靴を履き替え、教室に行こうとしたらスラックスの右側のポケットに入れていた携帯が唸った。震える携帯を見ればラインの着信で、相手は春哉だった。  【風邪ひいた。熱はもうないけど、念のため休む。】  それだけ。風邪引いた事こそが珍しい。俺は【ノートは任せろ。】と返信をして、意気揚々と教室に向かった。いつもの面子に春哉が風邪で休むと言えば、早速誰がその授業のノートを取るかの相談を始めた。ちなみに、俺は古文だけ。  そんな1日を過ごして、皆からノートを預かって、ぼんやりと聞いた家の場所を思い出しながら先生の話を右から左に流して、さて帰ろうとした。  「伊崎、職員室。」  まじかよ。何で、こんな日に。今ん所何もしていないぞ、俺は。多分。それでも仕方ない。呼ばれたのだから。  俺はさっさと暑くて脱いでた茶色のカーディガンを羽織って、リュックを持って、教室を出て行く先生の後について行った。もうね、俺をバカにする奴らが多すぎ。  「拉致じゃん、龍司。何した?」  「ばーか、何もしてねぇよ。」  そんな会話を廊下で同級生と歩きながら交わして、先生と職員室に入る。先生の席は、一番奥だ。  「で、何すかね。」  「うん、お前上田の家分かるか?」  「ぼんやり。」  「そっか、地図書くからプリント届けて。」  「良いっすよ。」  そう答えると、先生は一枚のプリントを差し出した。今朝配られた、三者面談の紙。  「……明日でも良くない?」  「あー、そうなんだけどな。」  先生は何かを言い澱み、机に体を向けてしまった。さらさらと何かを紙に書きつけ、「ん。」と寄越してきた。住所と、簡単な地図。ぼんやり聞いた場所と、頭の中でリンクする。あぁ、この辺かって。  「でも、何で?」  「何が?」  「今日渡さないと駄目なんすか?」  「それはついでだ。様子見てきてくれ。」  「様子って。熱ないけど念のため休むって、朝連絡来たけど。」  「それならそれで、良いんだけどな。見舞い行ってやれ。」  「まぁ、行くつもりだけど……。」  「宜しくな。」と、この話はもう終わりだと言わんばかりに、先生はまた俺に背中を向けてしまった。  「はーい。」と返事をして、「また明日な。」って言われて、俺は職員室を後にした。  ***  ぐだぐだと、何で様子見て来いなんて言われたのか考えながら、地図を眺めながら、バスに揺られる。春哉がいつも使うバス停で下りて、簡素な地図を片手に散歩でもする速さで歩く。  「あ。」  コンビニ発見。俺は早速携帯を取り出しながら、コンビニの中へと入る。でかいペットボトルのお茶をカゴに入れつつ、春哉の番号に掛ける。  『はい。』  「どうよ。」  『どうって……もう、熱はないよ。』  「そうでした。俺さぁ、今どこにいると思う?」  『どこって……もう学校終わりでしょ?放課後だし、遊んでるんじゃないの?』  少し掠れた優しい声にニヤつきながら、実はと今いる場所を伝えた。  無言。  おや?と思ったら息を吸う音がして、搾り出すように『そう……。』と吐き出した。何故かまずいと感じて、とにかく何か食べたい物はあるかと聞いた。多分、抹茶アイスとか言うはず。  『抹茶アイス。』  ほらね。  『高いのが良いな。3つ位。』  そうきたか。まぁ、俺は優しいから。買うけどね。自分の分も買うよ、勿論。普通の安いやつだけど。  幾分元の優しい声に戻った事に安心して、俺は他に何かいるかを尋ねた。  『大丈夫、ありがとう。』  「あー、うん。じゃぁ、あの、会計してくる。」  『うん。じゃぁね。』  ぷつん。と切れた。何と言うか、何度も電話はしているんだけど、今日は何故か緊張した。無言が挟まった辺りから。  とにかく俺は会計を済ませて、コンビニを出て、アイスが溶けない内にと少しだけ足を速めた。  ***  マスクをつけて、軽く整理する。入れるつもりは更々ないが、あいつの事だ。無理矢理にでも入ろうとしてくるだろう。  「困るな……。」  1人きりの室内で呟きながら、どうしようと考える。  「……まぁ、良い。」  適当にあしらおう。入ろうとしたら、その時はその時だ。仕方ない、離れてしまおうがどうなろうが、知ったこっちゃない。  俺は、1人でも大丈夫だ。もう1つの部屋の扉を閉めながら、自分にそう言い聞かせた。  ***  おー、予想外の外見。名前にアパートとあったから、まぁ、何だ。普通のコンクリート的な?マンションのちっちゃい版だと思ったら。予想外の外見。あれよ、すこし古めの2階建てのあれ。  地図には203とある。階段を上がり、扉の前に立ってチャイムを押す。少しの時間差があって、がちゃっと扉が開いた。銀色のチェーンの向こうに、春哉の目が見えた。  「なんだ、本当に念のためなんだ。」  顔色がいつも通りの春哉を見て、俺はそう言った。  「うん。」  「……え、チェーンは?」  「入るの?」  「おい、まじか。色々渡すから入れてくれよ。アイス食ってお茶飲もうよ。」  春哉の眉間に一瞬、本当、一瞬シワが寄った。俺は見逃さなかった。何をそんなに嫌がるのか分からなかったけど、入れてくれともう1度頼んだ。渋々、と顔に出てるよ春哉君。1度扉が閉まって、ガチャガチャと聞えた。また扉が開いて「どうぞ。」と言ってくれた。ジーンズに、ポロシャツから伸びる七分丈のシャツ。俺が電話したから、着替えてくれたのだろうか。  「お邪魔します。」  そう言いながら入って、すぐ。違和感。何だ。  靴を脱ぎながら足元に荷物を置こうと目線を下げて、気付いた。靴が少ない。親は共働きか?いや、それにしたって少なすぎる。小さい下駄箱に4足って。しかも、1足子供用だぞ、このサイズ。後、ローファーとスニーカー3足。でも、これじゃない。違和感は別だ。視線を上げて、荷物を春哉に渡す。  「ありがとう。」  いつもの微笑み。と、違和感。何だろう、気になる。  「奥で、適当に座って。」  「うん。」  玄関の左側には台所、冷蔵庫やらなんやらがあって右側にはトイレと風呂の扉やら、洗面台やら。その奥に、低いテーブルと押入れ。あと、別の部屋の扉。  あぁ、そうか。大人の生活感がないんだ。親の匂いというか、何と言うか。親の温かみとも言っても言い。それが無いんだ。  春哉の横を通るのと同時に、台所をちらりと見た。  ほら、食器が少ない。子供用の少し小さい食器と、茶碗とか木製の器とか。少ない。少なすぎる。  「……春哉。」  思わず立ち止まって、端正な横顔を晒す春哉を見て、呼んだ。だって、いつもの春哉と何か違うから。泣きそうというか、困ってるのか?半々だな。  「何?」  俺に背を向け、冷凍庫にアイスを2つ入れる。台所には、抹茶とバニラとスプーンが2本にお茶の入ったコップが2つ。  「春哉。」  パタンと冷凍庫の扉を閉めて、やっと俺を見た。いつもの微笑み。  「だから、どうしたの?」  違う、誰だこいつ。こんな怖い笑顔じゃない。冷たい微笑みじゃない。  背筋が、ぞくりとした。  「……お前、誰と住んでんの?」  きょとんとした表情をして、お盆にアイスやらを乗せながら春哉は言った。  「……龍司、あまり踏み込まれたくない事は誰にでもあるよ。」  静かに答えた春哉の顔は、いつもの温かい微笑みに変わってた。  「そう、だけど……俺は、お前の親友だろ?」  「親友、なんだ。」  「そうだよ。」  「そう、ありがとう。」  「さぁ、座って。」と、お盆を持った春哉に促され、テーブルを挟んで向かい合って座った。そしたらさっさと出せと言わんばかりに催促されたので、先生に様子見て来いって言われた事を話しながらコンビニでコピーしたノートやら、プリントやらをテーブルの上に出した。  「ご苦労様。ホント、ありがとう。」  アイスのフタを剥がしながら言われた。が、プリントに目をやって、もの凄く嫌そうな顔をした。  「……春哉。」  プリントを睨みつける春哉を呼ぶが、「何?」と視線はプリントに向けられたまま。  「この家、誰と――」  住んでるの?と続けようとしたら、ガチャリと扉が開いた。  「ただいま!!」  活発な女の子がいた。ランドセル背負った、女の子。ばちっと俺と目が合って、たたたと春哉の傍に駆け寄り、背中に隠れてしまった。  「……春にぃ、友達?」  「そうだよ。アイス買ってくれたから、お礼言って。抹茶味だよ。」  さらりとした髪の毛は、春哉と同じ。真っ黒で、さらさらしてる。春哉の背中から顔を出して、俺を見て、「ありがと。」と言った。何これ、天使じゃね?可愛い。  「あ、うん。どーいたしまして。」  「……食べて良い?」  「手ぇ洗って、うがいしたらね。」  春哉が女の子の頭を撫でながら言うと、満面の笑みになってランドセルをその場で下ろして洗面台に向かった。俺がじっと眺めていると、春哉はランドセルをわざとらしくテーブルの上に置いた。  またぱたぱたと動き回って、冷凍庫を開けて「高いやつ!!」と喜びながらアイスとスプーンを持って、こっちに来て「あっ。」って顔をした。アイスとスプーンを春哉の隣りに置いて、ランドセルを掴んで隣の部屋に行ってしまった。  あの子の部屋か。  なんて、ぼんやり思ってたらニコニコと春哉の隣りに座った。「いただきます。」って、春哉と同じように言って早速食べ始めた。  「おいしい!!」  「良かったね。」  「うん!!」  なんて。微笑ましい事この上ないね。うちの弟も、こんだけ可愛げあれば良かったのに。あの野郎。小学生の頃に戻って欲しいわ、まじで。  「……俺のバニラ、一口食べる?」  「いいの?」  女の子は春哉を見上げて、春哉は1度頷いた。許可が下りたらしい。「もらう!!」って、元気に言ったから俺はバニラのカップを女の子の方に押しやった。  「ありがとう。」  「いーえ。」  スプーンで掬って、一口。「んー、おいしい!!」だって。まじ天使じゃね。  ……つうか、この子誰の子?まさか、春哉の?いやいや、ないわ。高校生真っ只中だぞ、春哉は。見た目1、2年生位じゃん。ないわ。10歳ちょっとで生ませたとかないわ。つう事は、あの茶碗の人か。大人いるじゃん。1人だけど。  そんな事考えていたら、目の前では女の子が今日学校で何があったかを嬉しそうに春哉に向かって話している。仲良いな。「春にぃ。」って呼ぶって事は、やっぱりもう1人の住人の子供なんだろう。親か?靴は男物のスニーカーだったけど。  「あ、心は心って言うの。」  突然、俺に向かって言って来た。  「ぅえ?あ、ココロちゃん?」  「心臓の心だよ。」  春哉が指摘する。なんなんだ、俺の言葉が吹き出しで見えてるのか?  「あぁ、心ちゃん。俺はね、イサキリュウジだよ。」  「イサキリュウジ君?」  「そう、リュウジ。」  もうねぇ、自分がにやにやしてんの分かるよね。むっちゃ可愛い。父親がデレデレする気持ち分かるわ。  「リュウジ君!!」  「はぁい。」  けらけら笑ってる。春哉は、困った様に笑ってる。  「リュウジ君は、春にぃの友達。」  「そだね。」  「じゃぁ、心の……友達にもなってくれる?」  「なるなる。」  「やったー!!」なんて、まじかよ。天使がいる。絶対小さい羽が背中に生えてるよ。ぱたぱたしてるよ、絶対。  そんな事考えながらアイスを食べてたら、無くなってた。無意識すげぇ。  「春哉、ゴミどこ?」  「後で一緒に捨てるから、そのままで良いよ。」  困った様な笑顔はどこへやら、いつもの優しい微笑みに変わっていた。  「あ、ありがとう。」  「うん。」  「あ、春にぃ宿題出た。」  「そう、お夕飯の後にやろうか。」  「うん。」  「龍司、課題出た?」  「え?俺に聞く?」  「……ノート任せろって言ったの誰だっけ?」  「俺ですね。課題っつっても、何も無かったと思う。多分。」  「多分……まぁ、良いや。やっぱり、他の人に聞く。」  「俺にも教えて。」  「お断り。」  「酷い。」  俺と春哉のやりとりを見て、心ちゃんが笑った。「仲良しだね。」だって。そりゃぁね。俺は親友って思ってるからね。春哉は違うっぽいけど。  「リュウジ君は、お夕飯食べて帰るんだよね?」  おっと、嬉しいお誘い。ちらりと春哉を見たら、睨まれた。無言の圧力。「帰れ。」ありありと顔に出てますぜ、お兄さん。  「ごめんね、今日は様子見に来ただけだから帰るんだ。」  「……そっかぁ……。」  悲しげな表情を見せる心ちゃんに、胸が痛む。でも、仕方ない。あまり春哉に歓迎されていないんだから。  「ごめんねぇ。」  「んーん。」  気付けば3人共アイスを食べ終わっていて、春哉も気が付いたのか立ち上がって片付けてくれた。それを視線で追う。台所でスプーンを軽く流してシンクに置いて、カップをゴミ箱に捨てた。こちらに戻ろうとしたから、咄嗟に心ちゃんの方に視線を向けた。テレビ点けようとしてる。  「心、龍司送るけど家にいる?」  「え、心も行く!!」  ぷつっと、テレビはすぐに消されてしまった。つうか、帰らそうとしてる。こいつ。帰るけれども。  春哉は立ったまま俺を見下ろしている。帰るってのに。俺は後ろに置いていたリュックを背負って、立ち上がった。目が合ったけど、春哉の視線はすぐに心ちゃんの方に移動してしまった。  「立って、心。」  「うん!!」  差し出された春哉の両手を、心ちゃんが嬉しそうに掴む。春哉がその手を引っ張って、ぴょんっと立ち上がる心ちゃん。そのまま2人は手を繋いで、玄関の方に行こうとする。俺はそれを追う。  テーブルに置かれた箱の中から、春哉が鍵を持って先に行けと目で指示される。一気に不機嫌になってるな、春哉。  「お邪魔しましたー。」  そう言いながら、俺はローファーを引っ掛けて玄関の扉を開けた。ぼんやりと外を眺めていたら、がちゃがちゃと聞えた。鍵閉めてる。心ちゃんが。  それから階段を下りて、歩き出す。2人の背中を見ながら、俺も歩く。春哉は心ちゃんと手を繋いで、微笑み合いながら歩いている。  ぎしり。  俺の中の何かが軋んだ。なんだろう、むちゃくちゃぎしぎし言ってる。痛、くはないな。うん。  はっと気が付いたらバス停に着いていて、2人は俺を振り返って見ていた。春哉と心ちゃんに送ってくれたお礼を言って、「もう、大丈夫。」と続けた。でも、春哉はじっと困った様に微笑みながら俺を見ていた。それから心ちゃんを見て、自分の方に移動させた。心ちゃんの背中を、自分の方に引き寄せて肩に両手を置いて見下ろす。  「心、ちょっと龍司と内緒の話があるから、耳塞いでてくれる?」  そう言った。心ちゃんは素直に「いいよ!!」と頷いて、手を耳に当てた。春哉はそんな心ちゃんの目を、やんわりと両手で塞いだ。そして、俺を見た。  「今日は、ありがとう。」  囁く様な声。よく聞えないから、俺は一歩踏み出す。心ちゃんを潰さないような距離まで。  「でも、来て欲しくはなかったな。」  「あー、うん。そんな感じした。仕方ないだろ、先生にも言われたし。」  「そうだね……さっきの質問だけど。3人だよ。僕と、この子と、この子のお父さん……僕の、兄だね。」  「……両親は?」  「いないよ。でも、今ここで話すつもりもない。」  「聞かせたくはないからね。」そう言って、心ちゃんを見た。すこし伏せられた春哉の目を見て、また俺の中の何かが軋んだ。  「ごめんね。」  ふっと顔を上げて、俺を見て、悲しそうに微笑んだ。  ぶわっと、何かで見た聖母マリアを思い出した。ぞわぞわってする。何だ、こいつ。こんな顔、初めて見た。  傍に、いないと。こいつの傍に。  咄嗟にそう思った。何で?俺にも分かんねぇけど、そう思ったんだ。何かが未だに軋んでるし、痛くなってきたし。ワケ分からん。  「……でも、俺は知りたい。言ったろ?親友じゃん。何でも話せよ。」  そう口にしたら、春哉は表情を変えないまま1度だけ頷いた。お互い見詰め合っちゃったりして、自分の言葉に無性に恥ずかしくなって、俺から目を逸らした。  「俺の事知っても、お前には嫌われたくないな。」  そんな穏やかな声が聞えた。でも、からかってる雰囲気も入ってる。それにしても、【俺】だって。俺。いつも、僕なのに。  それに気が付いて、はっと顔を上げると春哉はもう心ちゃんの方に意識を移していた。何だか不思議な感覚になった。白昼夢みたいな、不思議な感覚。夕方だけど。  春哉の後ろから、バスが見えた。傍に停まって、扉が開く。  「バイバイ、リュウジ君。」  「ばいばーい。」  ぐしゃぐしゃっと、心ちゃんの髪を掻き混ぜる。きゃっきゃっと笑ってくれた。柔らかい。子供の髪の毛。あと、頭小さい。加減間違ったら恐ろしい事になりそうだと、考えてしまった。  「じゃぁ、明日な。」  そう言いながら春哉の顔を見た。いつもより更に温かい微笑み。あれ、こいつ、こんなにキラキラしてたっけ?  「うん、また明日。」  「……ぁ、うん。じゃぁな。」  俺はバスに乗り込んで、窓から2人を見る。心ちゃんと春哉が、手を振ってくれた。2人に手を振っていたら、バスが走り出した。それでも2人はそこにいて、俺に手を振っていた。心ちゃんなんか、飛び跳ねてる。  キラキラしていた何かと、ぎしぎし軋んでいた何かが消えて、何だか無性に泣きたくなった。

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