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第1話 池田屋①

 透き通るような白い顔、思慮深さを備えた鮮やかな真紅の瞳、首の高さで断ち切られた柔らかな白銀の髪。  微笑めば天女も斯くやというほど美しいはずの細面には、凍てつくような冷たい表情が浮かんでいた。 「――古来からのしきたりに従い、十五の元服を迎えると同時に、そなたはぬしさまにお仕えする『華狐』となる。居を本丸に移し、以後は生涯ぬしさまのお側で、ぬしさまにお仕えして生きるのじゃ」  美しい伯父が語る一族の掟を、小狐丸は神妙な面持ちで聞くふりをしていた。  が、実のところ心は此処に在らず、視線は濡れたように光る唇にすっかりと囚われていた。  元服の式を七日後に控えた朝、小狐丸が伯父に連れてこられたのは、花街の中でもひときわ大きな置屋――池田屋の一室だった。  赤と金とで飾られた、けばけばしいまでの派手な装飾。部屋にあるのは、煌びやかな蒔絵の物入れに、螺鈿細工の煙管箱や重たげな金襴の打掛など、由緒正しい大社の生まれである小狐丸にも馴染みがないものばかりだ。ここは花街随一と謳われる太夫が構える、色事を営むための部屋だった。  贅を凝らした部屋の中で、しかし小狐丸が一心に見つめるのは、上座で足を崩して座る部屋の主でもなければ、見事な道具類でもない。それは、正面に座って語り掛ける伯父の白い顔だった。  白い膚に白い髪、神秘的な紅い瞳。それは小狐丸も同じだ。六の君と通称されるこの伯父は、一族に稀に現れる白髪赤目の男子『小狐丸』だった。小狐丸の髪は腰まであり、伯父の髪が首のあたりで断ち切られている以外はそっくり同じである。――だが伯父は、果たしてこれが生きた人間かと目を疑うほど、麗しかった。  不惑を疾うに越えたとは思えぬ、若々しい細面。透き通るような白い膚にも、よく通る低い声にも、老いの影は少しも認められない。スッと通った高い鼻梁に、幾分気難しそうな眉。切れ長の紅い瞳は人の心の内まで見透かしそうに鋭い。人ならざる美貌だった。  まるで白い神狐の姿を持つという明神が、そのまま人の姿を取ったかのようだ。気高く厳粛で、血が通わぬような冷たさを感じる。しかし同時に、短く断たれた髪が白い首筋にまとわりつくさまは、妙に色めいた気配をも感じさせた。それは小狐丸の一方的な願望なのかもしれない。 「――聞いておるのか」 「あ、は……はい!」  不意に一際冷たい声を掛けられて、小狐丸は正座したまま小さく身を縮めた。間近で見る伯父の美しさに見惚れていて、話など聞いていなかったとはとても言い出せない。けれど、話を聞こうと思っても頭は伯父の事ばかり考えてしまうのだ。  小狐丸は神妙そうな顔を作りながら、伯父の麗しい顔を再び見つめた。見れば見るほど、視線を絡め取られる。まるで魂を呪縛されたかのように。  ――この伯父は、一族の間では畏怖をもって避けられる存在だった。  平素は本殿から遠く隔たった離れに居を構え、姿を現すことはほとんどない。だが何事か起こった時に一族を統制するのはこの伯父だ。ぎゃまん細工のように繊細に見えて、本性は研ぎ澄まされた刃の如く豪胆。  小狐丸は数度顔を合わせただけのこの伯父を、憧れと、ほんの少しの淡い恋心を抱いて、以前から見つめていた。その伯父が、手を伸ばせば触れられるほど近くにいる。しかもここは置屋だ。  色事のための部屋の中に、俗世の欲望には程遠い伯父が端座している。派手な部屋の装飾さえ、伯父の地味な鋼色の羽織袴を引き立てるための小道具にしか見えない。場違いすぎるその装いが、却って小狐丸の胸を高鳴らせ、落ち着かない気分にさせていた。 「子供が好奇心一杯なのは仕方の無いことさ」  取りなすように言ってきたのは、この部屋の主の日本号だった。  がっちりとした逞しい体に金糸銀糸で描かれた傾き模様の打掛を纏い、脇息に凭れかかって寛ぐ姿には、鼻持ちならないほどの傲慢さと同時に、こなれた婀娜っぽさがあった。獰猛な野生の獣のようでもあり、飼い慣らされて飾り立てられた愛玩動物のようにも見える。  口元に含みのある笑みを浮かべた日本号は、芝居がかった仕草で大振りの扇をバサリと開いて、それを隠した。 「そう眦吊りあげて怒ってやりなさんな、稲荷の六の君」   伯父を呼ぶ日本号の親しげな口調に、小狐丸は上座の太夫を睨み付けた。  たかが遊女の成り上がりごときが、この伯父に向かって気安い口を利くなど無礼千万。小狐丸は言外にそう咎めたのだが、日本号は知らぬと言わんばかりに、扇を緩やかに煽って視線をいなした。  小狐丸の生家は、千年続く社を護る稲荷の一族である。  その中で稀に生まれる白髪赤目の男児は、全員が『小狐丸』と名付けられ、明神からの授かりものとして、十五の年まで社で大切に育てられる。  成人となる十五歳の秋に元服式を済ませると、『小狐丸』は明神の化身である『華狐』と成り、以後は本丸の主の下で五穀豊穣と国家鎮護を祈って過ごすのだ。  その神聖な『小狐丸』である自分たちと、花街の最高位とはいえ身を売って口を養う日本号とでは、そもそもの身分が違い過ぎた。金を積めば男でも女でも相手にする娼夫が、よりにもよってこの伯父に親しげな口を利くなどということは、小狐丸にとっては許しがたい冒涜なのだ。  だが、伯父は太夫を咎めることもなく、その口の利きようを許している様子に見える。――もしや、伯父と太夫はただならぬ仲なのだろうか。  小狐丸は端座する伯父に視線を戻した。伯父は不思議な人物だ。  如何なる理由があって、伯父は『華狐』とならずに社の離れに居を構えているのだろうか。なぜ、あの見事な白銀髪を長く伸ばさないのだろう。滅多と人前に出ず、世捨て人のような暮らしをしているのはどうしてか。問うても教えてくれるものはいなかった。  そして日本号と伯父の関係を問うたとしても、伯父はきっと答えてくれないだろう。七日後には城に行き、二度と戻ってこない小狐丸には、教える必要などないことだからだ。  バチンと硬い音を立て、突然日本号の扇が閉じた。 「口でごちゃごちゃ言うより、実践した方が早いな」  言うなり、日本号はすっくと立ち上がった。座っていた時にはあまり気にならなかったが、立ち上がると驚くほど上背がある。小狐丸も年齢の割には背がある方だが、伯父はそれを超える長身で、日本号はその伯父よりもさらに頭半分ほど背が高い。  立ち上がった日本号が、足元に金襴の打掛を脱ぎ落とすと、中に着ていたのは漆黒の小袖だった。黒地に黒の絹糸で乱れ藤を描き上げた小袖は、一見地味に見えるが、手の込んだ代物だ。だが、小狐丸の目を引いたのは粋で値の張る小袖の方ではなかった。  太く逞しい首、黒衣に隠されていてさえはっきりと分かる厚い胸板と二の腕。長く力強い両脚。日本号は名のある武芸者のように鍛え上げられた体躯を持っていた。  それに目を奪われていた小狐丸は、突然腕を掴んで立たされ、狼狽した声を上げた。 「……ッ、何を……!?」  身構える暇も無かった。  体が軽々と宙に浮き、気が付いた時には小狐丸は床の上に押し倒されて、日本号の大きな体の下敷きになっていた。 「廓に来て、やることと言ったら一つだろうが」  日本号が間近で好色そうな笑みを浮かべる。小狐丸はその言葉に青ざめ、必死になって暴れたが、丸太のような腕はびくともしなかった。 「伯父上!」  両手を一つ纏めに押さえられ、帯を解かれた小狐丸は悲鳴を上げて伯父に救いを求めた。まさか下賤の輩に穢させるために、自分をここへ連れてきたのではあるまいと。  だが振り返って見つめた伯父の顔は静謐で、その白い面には憐れみ一つ浮かんでいなかった。 「大人しくしねぇか!」  雷のような怒声を浴びせられ、反射的に身を竦めた小狐丸は、次の瞬間それを恥じるかのように日本号をキッと睨み付けた。 「無礼者ッ! おぬしのような下郎に従う謂われはない!……放せッ!」  精一杯の虚勢を張って言い放った小狐丸の視界が、急に暗く陰った。それまで黙って座っていた伯父が、行灯の光を遮るように小狐丸の枕元に立ったのだ。  下から見上げた伯父の顔は作り物のように美しく、怖ろしいほど冷徹だった。 「大人しう致せ」  その声を聞くと、水の入った袋に大穴が開いたように、抵抗する気概が失せていく。  小狐丸を見下ろす紅い瞳が、まるで薄汚い虫でも見るように冷たかった。 「……っ……、っ!」  下肢から湧き上がってくる感覚に、小狐丸は薄い胸を波立たせて震えた。  頭上で両手を押さえつける伯父が、感情のない声で小狐丸に課せられた務めを語る。 「ぬしさまはこの国を統べる無二のお方。そのぬしさまに、華狐は神事として純潔を捧げねばならぬ。未通の体に御種を注いでいただいてこそ国家鎮護が叶うのじゃ。それが、生まれた瞬間からそなたに課せられたお役目じゃ」  硬く目を閉じ、歯を食いしばって、小狐丸は漏れそうな声を噛み殺した。  大きく開いた脚の間に、日本号の大きな体が入り込んでいた。尻の中には油で濡れた指が二本入り、腹の内側を擦りながら手つかずの後孔を少しずつ拡げている。異物の不快感を宥めるためにか、硬く反り返った雄芯には日本号の舌が絡みついていた。  じゅるじゅると音を立てながら吸われ、絡め取られると、心地よさのあまり声が漏れそうになる。己の手で放埒を迎える時とは比べものにならぬ快楽だった。  伯父の前で醜態を晒すまいと、小狐丸はぎゅっと目を閉じる。舌を使っていた日本号がそれを見て嗤った。 「……お前さん、こいつを自分の手で慰めたことがあるんだな」  淫靡な音を立てて芯棒を舐りながら、日本号が揶揄うように言葉を放った。言い当てられて、羞恥に頬が火照りを帯びる。  小狐丸は守り役から『不浄の場所ゆえ、ここには己の手で触れてはなりませぬ』と教えられて育った。だが年頃になって精を放つことを知ってしまって以降、小狐丸は毎日のように人目を忍んでこれに触れ、己を慰めていた。その時に脳裏に思い浮かべていたのは遠目に垣間見るだけの冷たい美貌だ。  その相手は今、小狐丸の両手を頭上で押さえつけ、肉欲に喘ぐ浅ましい姿を余すところなく見据えていた。 「ぁ、んん―ッ」  腰から走り抜ける快感に、ついに耐えかねて小狐丸は泣き声を上げた。前を嬲られながら尻奥を擦られると、痛みと異物感しかなかったはずの場所から震えが走るほどの快感が押し寄せてくる。  隠したいと恥じ入る意思に反して、腰が強請るように揺れてしまう。伯父の前で無様を晒してはならじと、力を入れれば入れるほど、尻に呑んだ指の存在は小狐丸を追い立てた。 「我慢汁が垂れてきたか。そのまましっかり堪えておけよ」  日本号が笑いながら滲み出た雫を舐め取った。 「六の君の前でお漏らしなんぞしてみろ。堪え性のない小僧がどんな厳しい仕置きをされるか、こいつは見物だぜ」 「く、ぅ……!」  恥ずかしくていたたまれなくて、一層硬く目を閉じる。伯父がどんな顔で己を観察しているのか知るのが怖くて、目を開けることができなかった。  必死で悦楽から逃れようとする小狐丸を嘲笑うように、日本号に嬲られる下腹の熱は勢いよく高まっていく。  放出を迎える直前の、覚えのある感覚に総身を震わせた時、突然日本号の舌はいきり立った雄芯を離れていった。 「……あ……?」  助かった……。そんな思いが困惑に変わる。  尻の中を緩やかに擽る指の動きが、前を舐められていた時に劣らぬ疼きを生み続けていたからだ。 「……は……っ、ぁ……っ」  敏感な若い雄芯はすっかり放置されている。なのに、漏らしてしまいそうな甘い疼きはどんどん強まるばかりだ。  もう出る、もう出てしまうと思うのに、解き放たれる寸前の切なさばかりが襲い来て、最後の一線を越えられない。温かい蜜が快感を伴いながら、先端の小さな穴からトロトロと伝い落ちていくのが分かった。 「どうやら後ろは手つかずだったようだな。どうだ、前を扱くのと同じくらい気持ちいいだろう」  体内で指を蠢かす日本号が勝ち誇ったように言う。そんなことはあるはずがない、と小狐丸は首を振った。こんな不浄の穴を弄られて、今にも漏らしそうになるほど気持ちいいなど、あるはずがないと。  その悪足掻きを、色を売る娼夫は下卑た言葉で嘲笑した。 「おいおい、こんなに濡らしておいて嘘つくんじゃねぇ。気持ちいいんだろうが。お前さんも城に上がってひと月もすりゃ、自分から股を拡げて強請ることになるさ。『どうかお願いします。このいやらしいホトの中に、ぬしさまのおのこを入れ……』」 「日本号」  淫らがましい太夫の言葉は、伯父の鋭い叱責が遮った。 「無駄口は要らぬ。己の勤めを果たさぬか」  底冷えするほど厳しい声だった。小狐丸は目を開け、頭上で両手を拘束する伯父を見上げた。  凍てつくような気配を持つ伯父は、赤と金で飾られたこの部屋にはあまりにも不似合いだ。――なのに何故か、真っ赤な絹の布団の上に白い裸体を横たえ、男の逸物を身の内に咥え込む伯父の姿が、小狐丸の脳裏にまざまざと浮かんできた。  臈長けた美貌を朱に染め、きつい眦には涙を浮かべて、腹の底から押し寄せる快楽に身を任せる伯父の姿。硬質な声は今にも泣き出しそうな甘さと媚びを含んで男の劣情を誘う。伯父を征服する相手はそれに応えてしなやかな体を蹂躙し、伯父は尻奥から湧き上がる悦楽に、ついに甲高い屈服の悲鳴を上げて――。 「ぁ、ぁああ……っ!」  小狐丸は高く叫んで腰を跳ね上げた。触れられもしない雄芯が揺れ、腹の上に白く濁った精を飛び散らせる。尻の中に埋まる指を締め付ければ、悦びは更に大きく深くなった。 「逝……く……ッ」  伯父の視線を感じながら、小狐丸は自ら腰を振って日本号の指を擦りつけた。

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