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第2章6話
少し前から気づいていたけど、信広が何も言わないので水兎も黙っている。車は彼のマンションの駐車場で停まり、エンジンが切られた。さっさと運転席から降りた信広が、閉めかけたドアをもう一度大きく開き、覗き込んでくる。
「おい、降りねーの?」
「あ。うん」
言霊に操られ、助手席から降りる。大股でエレベーターに向かう後姿を、水兎も大股で追いかけた。
音を立ててスニーカーを脱ぎ捨て、信広が部屋に上がっていく。脱いだダウンを放り投げて、こちらを振り返った。
「お前学校は?」
「…火曜日から」
「今日は休みか。ま、とりあえずさ、ここにいろ」
よほど不思議そうな顔で見返してしまったのかもしれない。信広は顔をしかめて、気だるげに首を鳴らした。
「一人にしとけねぇだろ…好きに使ってな、寝るならそっちの部屋。俺風呂入るから」
「ねー…」
「何だよ」
「誘ってんの?」
疲労の濃かった彼の表情に、一瞬、意地悪な笑いがひらめく。信広は人差し指を水兎に突きつけて、破顔した。
「バーカ」
信広がバスルームに消えて、しばらくすると水音が聞こえる。何となく眺め回したリビングに、特に変わった所なんてなくて。いつも通り奇妙に片付いた部屋だ。相変わらず温かみのない部屋も、生活音がしているだけで、どこか違って思える。
示されたドアを開けると、大きめのベッドに、抜け殻みたいによれた上掛けが乗っかっているから、笑ってしまう。適当にベッド・メイキングをして、一度膝を乗せると、しっかりした弾力。水兎は邪魔な服を脱ぎ、アクセサリーを外すと、ベッドにもぐり込んだ。
その内に水音が止み、リビングのほうで物音を聞く。床を踏みしめるような足音が次第に近づき、ドアを開けた信広は失笑したかもしれない。ベッドの端が沈むので、寝返りを打つ。目の前に裸の背中がそびえていた。彼は煙草を吸っていて、うっすらと煙が流れている。滑らかな筋肉が、わずかな身じろぎでも様子を変えて、すごくセクシーだから。上掛けから手を出して、触れる。逞しい腕がヘッドボードに伸びて、煙草を揉み消すと、振り向いた信広が可笑しそうに言った。
「誘ってんの?」
「うん」
入り口からベッドまで、道しるべのように、着ていたものを点々とばら撒いておいた。上掛けから覗く水兎の肩を撫でた信広が、左腕を引き上げると…手首の包帯は、取ることができないままだ。癒えない生傷があるから、取れない。
「…萎える?」
「ん?」
「だって、やっぱさ。俺がノブヒロさんにしてあげれることって、これくらいしか思いつかない。ねー、めんどくさかったらマグロでいいから、させて?」
信広の腰に抱きつき、見上げる。
「色気ねー誘い方」
「じゃあやりなおすから。どんなのが好き?」
質問には答えず、水兎の額をぐいっと押し返す。信広は、長い手足を駆使して水兎に覆いかぶさった。
間近で喉仏が上下する。
「悪いけど、リードされんのは好きじゃねぇの」
うっとりと笑った口元から、赤い舌が覗く。それはすぐに水兎の唇を舐め、数ミリ開いた唇の隙間に挿し込まれるものとなった。
重ねて、濡らして、吸って…吸って。
絡まっていた舌が離れて、は…苦しい息が漏れる。信広の唇が、頬、顎、首に触れながら移動し、上掛けを剥がしたところで、止まる。ネコ科の肉食動物っぽく細まる目。
「…これ、いつから?」
あ、その訊き方、慎と同じ。慎には答える前に触られたから、喋れなくなったんだけど。
「十二月の、真ん中くらい」
「去年?」
「うん」
「一ヶ月弱ってとこか…」
じっと観察されるだけでも、勃ち上がりそう。水兎は一度彼を見上げ、
「だってつけたら触ってくれるって――言ってねーよ、わかってるよ、勝手にやっただけ」
目を逸らした。
信広が憶えている保証もない。耳につけていたピアスがその時たまたま、本来はニップルピアスという代物で。乳首につけないのかと揶揄われたので、つけたら触ってくれるのかと答えたら、興ざめした顔をされた。それだけのこと。だけどそれだけのことが、その後、水兎をピアッシングスタジオに向かわせたのだ。
片眉を上げた信広が、水兎の胸に触れる。結果として叶ったのだから、構わなかった。
「…治りきらねぇな、一ヶ月だと。痛かった?」
トーンは無邪気だけど、ピアスを摘んで引っ張り、乳首を動かす指は、たっぷりと意図を含んでいる。
「んっ…」
「なぁ」
「死ぬほど痛かった…ぁ」
左右両方に開けたから、死ぬほど痛いのが、二回。最初のうち、歩く振動だけでも痛かった。だけど愛撫されると、それを思い出させるような新しい痛みが生まれて、快感は普通の二倍では済まない。浅い呼吸を繰り返す水兎に、信広が笑う。
「セカンドピアスは買ってやるよ」
「ぁ…は」
「ミト?」
んくっ、と、喉が鳴る。水兎は自分からその指に胸をこすり付け、それから、彼の肩に添えていた手を厚い胸板に這わせた。硬い乳首を弄って煽っても、愛撫の手つきはそれ以上激しくはならない。
「ミト、ダメ」
「や…」
「嫌、じゃねーよ。今壊したら無駄になんだろ?」
完治しないピアスホールを、強烈に疎ましく感じた。
「次、リングにしようぜ…もっと使いやすいように」
尾てい骨あたりから、ぞくぞく、電流が走る。わざわざ火を点けるようなことを言ってから、胸を解放するのだ。確信犯だってこと、この顔を見ればわかるけど。腰が抜けてしまったように脱力した水兎に、それをなじることはできなかった。
一度頬を撫でられて、途中まで剥がされていた上掛けが全部取り払われる。
信広の腰にはバスタオルがぞんざいに巻かれているだけで、ただ引っ張るだけであっさり外れる。やや角度のついたペニスの、くすんだ色とか、尖った形とか、透明に光る先端とか。全部、水兎を恍惚とさせる存在感。
「誰が、マグロでいいって?」
上から降ってくる揶揄に、力の入らない両腕をゆっくり伸ばす。降りてきた顔が、ふとまた浮上して、ヘッドボードの奥を探し始めた。
「あぁ…そうだ、お前ゴム要るんだよな」
「いらない」
「絶対つけさすんじゃなかったっけ?」
そんなこと、何で憶えてるんだろう。水兎は息遣いに合わせて動く信広の胸を触って、肩をつねった。
「いいよ…ノブヒロさんは、客じゃないから」
「――ほんと、バカなやつ」
そう、馬鹿馬鹿しい。信広は深く笑って、ベッドボードから手を退かした。太股の下に手を入れられるので、彼の力加減を察しながら、自分で膝を立て、腿を開く。
「ん…ぁっ…ぁ」
指で入り口を広げる、くすぐる程度の動きで息が息上がる。やがて生暖かさと、ぬるりとした感触がそこを塞いで。
「種付くかもよ?」
「…さいあく」
卑猥な言い方に感じてひくついたのを、気づかれなかったわけない。ぐり、とねじ込み、信広が腰を落とす。身体が竦むような痛みが走り、それを通過すると、スムーズに滑走する。
「っ………ひぁ…っ」
全部飲み込んでしまった時の例えようのない違和感が、声になる。信広は証明するように最奥をつつくと、抜ける寸前までバックし、また、突いた。
「ぁふっ…」
逞しい首に右腕で縋りつき、耐える。
迷ったけど、左手を枕の下に隠そうとすると、阻まれ、ベッドに縫い付けられた。観賞価値さえある肉体美の、力強い腹筋を思い知らせるようなストローク。水兎の中を、何度も、徐々にスピードアップしながら往復する。
「やっ、あっ、あっ、ふっ、ふぅんっ…」
悲鳴じみた声と、しゃくり上げ、むせ込むような息が、ぐちゃぐちゃに混ざる。硬くて熱い塊が、決して中で溶けずに、内壁をこすることでどんどん存在を際立たせていく。きゅううっ、と、酸素を求めて喉が鳴り、ふあっ、はっ、はっ、飲み込み過ぎた酸素を吐くために胸が大きく上下するのを、制御できない。
「ミト」
「…ぁんっ」
腰を押し付け、埋め込んだものをグラインドさせながら、信広が囁くけど。まともな返事にならないもの。
「ミト?」
熱い息がかかって、前髪をかき上げられる。涼しくなった額を撫でたのは、指だろうか唇だろうか。汗が湿度を上げて、全身を包んでいるからわからない。薄っすら目を開けると、睫毛が絡まりそうなくらい近くに信広の顔があった。
「息できてる?」
とか笑いながら、今度はその場所を小刻みに振るから。内側にある生理的なポイントを刺激され、それに直結する現象…股の間の自分が、一気に熱くなった。
「…ゃっ」
喉が反り返る。痺れる下腹部が、信広を締め付ける筋力になり、中の存在感が膨張する。
「んっ…」
信広の顔が、肩口に埋められる。胸が合わさると、彼だって激しく呼吸しているのがわかる。熱風みたいな息遣い。水兎は銀髪頭を両腕で抱きしめて、入り口をすぼめた。
「つ…っ」
ピストンがほんの一瞬静止し、どくり、射精する。流れ込む精液の勢いだって、水兎にとっては愛撫になる。種付くかも、なんて冗談がフラッシュバックする中、一億個のおたまじゃくしの幻覚に満たされながら、
「……いく」
達した。
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