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第30話 キーボード

 居酒屋に着くと、マコが仕事を終えるまでの間、店に入って一杯呑む事にした。と言っても、車だから烏龍茶だが。京にも、俺が有無を言わさず烏龍茶を頼む。あんな色っぽい顔を、他人に見せる訳にはいかない。 「俺の前以外で酒呑むなよ、京」 「呑まないよ。お酒はそんなに好きじゃないし」  ストローで烏龍茶に浮く氷を掻き混ぜながら、京は照れくさそうに先日の記憶を辿った。  やがて忙しく立ち働く姿が見え隠れしていたマコが、私服に着替えてやってくる。 「はぁ~い、お・待・た・せ!」  今日も真っ赤なチュニックにレギンスだ。マコも、同僚に酒を頼み、腰を落ち着ける。早速俺は切り出した。 「で、キーボードの出来る女ってのは何処だ?」 「んふっ。此処でっす」  ここ? 一瞬ポカンと口が開いたが、やたらと楽しげなその顔を見て、奴の魂胆がすぐに知れた。 「女だって言ったよな」  胡乱(うろん)な眼差しで睨めつけるが、奴にはちっとも効かないようだった。 「あら失礼ね。これでもレディよ!」  運ばれてきた生ビールを高く掲げ、 「はぁい、かんぱーい!」  と、一人声を弾ませる。俺は頭を抱え、京はキョトンとしたままだった。 「何よ、ノリ悪いわね。呑んじゃおっ」  マコは、嘘を()いていた事を悪びれた風もなく、中ジョッキを一気に半分ほど干した。旨そうにぷはっと息を吐く。 「あー美味しっ。おつまみも頼んじゃおうかしら」 「眞琴さん」 「なぁに?」 「あの……本当にキーボード、出来るんですか」  呆れ果てていた俺の代わりに、京が聞く。  ナーイス、京。俺にはお手上げだ。 「勿の論よ。あたしこれでも、歌って踊れる、アイドルなんだから」 「踊らなくて良い」  テーブルに肘をつき顎を支え、俺は溜め息と共に言葉を吐き出した。行儀が良くないのは百も承知だったが、背筋を正して聞けるような話ではなかった。 「三歳の時からピアノってのも、本当か?」 「ええ。あたし、ライヴ大好きなのよね~。観る方じゃなく出る方になるのも、悪くないわ」  やる気満々で、機嫌良く生ビールを煽る。  ちょっと待てよ。俺は心の中で一人算段する。確かコイツは好きな奴がいるんだよな。てー事は、京に関する心配はなくなるって事だ。そう思うと、変わりもんだが組みしやすい相手に思えた。 「じゃ、聴かせてくれよ」 「良いわよ。その前にあと一杯だけ……」 「バンドより酒が好きなら、失格だ」 「あん、もう。分かったわよ」  バンドより京が大事な自分の事は棚に上げて、マコの言葉を遮った俺は、僅かに口角を上げて自嘲した。  早々に勘定を済ませ、いつも練習に使っている小さなスタジオに車を回す。オーナーとはすっかり顔馴染みの為、飛び込みだったが快く場所と楽器を提供してくれた。 「楽譜は読めるか?」 「当然よ」  京にも練習曲として教えていた、比較的キャッチーな曲のキーボードの譜面を渡す。マコはそれをしばらく眺めていたが、すぐにキーボードの前に座った。 「京はギターなのね。良いわ、合わせましょ」 「すぐ弾けるのか?」  やや面食らって問うと、マコは(べに)をひいた唇で笑った。 「ええ。アンタだってそうなんじゃないの?」  確かに何年もライヴしてきた俺は、譜面を一通り読めば形にする事が出来た。マコもそうだとすれば、即戦力だ。 「面白れぇ。京も、弾けるな」 「う、うん」 「じゃあ俺がテンポ取るから、乗ってきてくれ」  そう言って、ベースのボディを叩いてリズムを刻む。ツー、スリー、フォーと合図をすると、綺麗に音色が揃った。マコを観察すると、しなやかに鍵盤を指で叩いている。合格だ。解散した日に、三人のバンドメンバーが揃った事に、俺は驚きつつも興奮を隠しきれなかった。  最後まで、一音の乱れもなく弾き終わり、俺は思わず口笛を鳴らした。京も控えめに拍手する。 「どう?」  自信たっぷりにニンマリ笑うマコに、俺も口角を上げざるを得なかった。 「決まりだな」

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