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#1

 この屋敷の家臣として仕えていた父が亡くなり、肩身狭く女中として働いていた母も亡くなり、居場所を無くした少年ーー蜜は、屋敷の離れにある物置で暮らしていた。  生かせてもらった。  蜜はそれだけを感謝して生きることにした。  成長期のため、もう丈が合っていない着物を着て、裸足で庭を歩く。残飯を漁り、下水処理の仕事を押し付けられ、ろくな防寒具も無く凍えながら眠る。そんな日常。  ーーその日は朝から騒がしかった。  何かあるのだろうか、自分には関係のないコトだ。今日もひっそり屋敷の裏庭で1日を終えるだけなのだから。  そこへ男数人が裏庭にやって来た。その内の1人は久しぶりにお目にかかるこの家の主人だった。蜜は深々と首を垂れた。 「やあ、蜜。是非ともキミに…、いやキミにしか頼めない仕事を、持ってきた」 「…喜んで、何でもお受けします。ご主人」 「おいで」  そうすると連れ立った男が蜜の両側に控え、腕を捉える。まるで連行されるかの様に蜜は連れて行かれた。  敷地内の大きく開けた場所に、鳥居がある。その鳥居の奥の道は、注連縄が何重にも巻かれ塞がれていた。さらにその奥にある社には、お札が張り巡らされている。  以前はこんな注連縄とお札はなかった。それに、こんなおどろおどろしい雰囲気の場所ではなかった。蜜は不信ながらに主人を見た。 「ここに、魔の物を封印した」 「魔の物…?」 「出来れば手懐けたいと思っている」  あたりを見渡すと、霊媒師のような…巫女のような…そんな方たちがかなりの人数いる。    魔の物…。妖怪の類いだろうか…。本当にいるんだ、そういうの。恐ろしいな、と蜜は思った。  主人は、珍しいペットが手に入ったとでも思っているのだろうか…。 「キミには魔の物の世話をして欲しい。」 「…なっ」 「捕らえたはいいが、その姿は我々もまだ見ていない。今あの社には封印が施してある。魔の物は逃げ出すことは出来ない。  まずは中の様子を見てきて私に教えて欲しい。」 「…はい」 「なに、安心してくれたまえ。君の身の安全は保証するよ。何かあった時は彼らがいる」  と主人は笑う。その後ろには火縄銃を構えた私兵たちが並んでいる。  …なるほど。何かあった時は僕ごと撃ち殺されるのか…。  蜜は社に向けてチカラなく一歩を踏み出した。 『…旦那様。やはり…封印したばかりでは、まだ近づくのは危険かと…』 『なぁに大丈夫大丈夫。それより私は早く自分が手に入れた物が見たいのだ』  背後でそんな会話が聞こえたが、蜜は気にしないで…気にしない振りをして、社に向かった。  注連縄をくぐり社に近づくと、どんどん空気が重くなってきた。呼吸も苦しい。社に着いて一旦深呼吸をし、入り口に手をかける。ゾッとした冷たさがカラダを巡った。不安が湧き上がり、チラリと主人の方を見れば「早く行け」と手を払っている。  やめるという選択肢は選べない。意を決して社の扉を押し開ける。  すると隙間風が吹き、蜜は吸い込まれるように社の中に引きずられた。 「わっ、っ痛…」  そのまま転んで膝を打った。背後の扉がバタンと閉まる。 「え?」  立ち上がり、扉を引くが開かない。鍵はないはずなのに、びくともしない。 「…」  距離的に、主人たちが扉を閉めたわけではないだろう。これは魔の物…の仕業なのだろうか?大丈夫なのだろうか。主人たちは助けにくる気配もないが…。まだ、緊急事態というほどではないのか。  …外の音が一切聞こえなくなった。鳥の声も風の音も、人の気配も消えた。静かだ。この社の中は、外界と壁一枚隔てて別世界のようだった。  社は入ってすぐ地下へ続く階段が広がっていた。暗く深い階段が広がっていた。   「小さな建物だと思っていたけど、そういうことか…」 蜜は納得した。魔の物を閉じ込めるにしては狭い建物だと思っていた。地下は広いのだろう。そう考えながらゆっくりと階段をおりていった。 階段が終わると洞窟のよう岩が剥き出しの場所に、牢獄が並んでいた。壁の四隅に、申し訳程度に灯りがついている。薄暗く、しんとした空間。 「先刻は、居なかった人間だな。」  蜜はギクリとした。牢獄の奥から低く冷たい声がした。暗くてよく見えないが男が1人座っていた。  …魔の物と言うから、妖怪の類い、動物の類いだと思っていた。まさか言葉を喋る…人間だったとは。…いや、人間ではない。社に入ってから空気が重く、寒さとは違う冷気がカラダを纏わり付く。そこにいる男は人間と異なる気配を振り撒いていた。  蜜は一呼吸置いて言葉を発した。 「…お初にお目にかかります。僕は、ご主人の命令により、これから貴方のお世話をする者です。」 「世話、だと?」 「はい。ご主人よりそう伺っております。ご主人は貴方を飼うおつもりのようです。」 「飼う、だと?私をか?…ククク…ハッハッハ。人間が。よくやってくれる。人間の罠に嵌っただけでも十分に屈辱だったが、さらに侮辱をうけるとは!」  愉快そうに笑う男の声は怒気を含んでいて、蜜は圧倒された。薄暗い牢獄で目が慣れてきた蜜は男の姿の輪郭は捉えたが、表情までは確認できない。蜜は、ただ立ちすくんでいた。 「…お前」 「…はい」  話しかけられ、カラダを強張らせる。 「生きてここから出たいだろ?」 「…え」  暗闇で紅く光る物がある。…瞳だ。二つの瞳が紅く輝いている。…綺麗だ、と思った。  その瞳はユラユラと此方に近づいてくる。 「…」  牢の柵の前まで男はやってきて、柵の間から手を伸ばし、蜜の方に差し伸べる。蜜は、なぜだからわからないけど、男のその手を取らなければと思った。勝手に動く。その紅い瞳はとても綺麗で、目が離せない。フラフラと足を進め、差し伸べられた手を掴む。すると乱暴に掴み返され、牢の柵にぶつかる勢いで身を引き寄せられた。 「っ痛」 「生きてここから出たかったら、私の言うコトを聞け」 「…ぁ」 「この社に張られている札を全てはがせ。出来ないとは言わせない。お前がのんびりしている間に呪いをかけさせて貰った。私の命令に背くと首が締まる呪いをな。」 牢ごしに顔を近づけられる。男は2メートル以上はある長身で髪の黒さが深くて、綺麗だった。 「さあ、行ってこい」  男は蜜を突き飛ばす。蜜は岩肌が剥き出したゴツゴツした床に倒れる。  お札を剥がしたら、僕は主人に殺されるんじゃなかろうか。でも剥がさなければ、今この男に殺されるのだろう。  もしもの時は、この男と僕もろとも私兵たちに撃ち殺される。…いや、目の前の男に銃が効くとは思えない。それほど彼は人離れした雰囲気をまとっていた。  …なんだ、結局どうなっても死ぬのは僕1人じゃないか。  生きていたいと思っていたけれど、何だか疲れてしまった。 主人から放って置かれるならまだ耐えられたが、死んでも良い人間だという現実を突きつけられてしまった訳だし。  …もういいのかなあ。そう蜜は思った。  俯いたまま動かない蜜を、魔の物は冷めた目で見つめた。 「!?…っぐ…は…」  蜜は急に呼吸が出来なくなった。喉に圧迫感を感じる。  ーー呪いをかけた。魔の物は先程そう言っていた。息が出来なくて、カラダが伸び切る。苦しさの中、男に目をやると、冷たい紅い瞳が蜜を見下ろしている。その紅は本当に綺麗で、この世で最後に見た物がそれで良かったと思った。 「っ…!?っはぁ!!っあっ…はっ」  急に喉の圧迫が無くなり、呼吸が出来ようになる。諦めた意思とは関係なくカラダは生きようと肺に酸素を取り込む。咳き込みながら蜜は必死に呼吸した。 「ひっひっ…あっ…げほ、ひっ」  喉を通る息と、震えた声が漏れて、悲鳴にも似た呼吸を繰り返した。 「苦しかったか?怖かったろう?」  それは心配する声ではない。 「それが嫌ならば…札を剥がすんだ」  脅しの声。  でも、脅しは蜜には通じない。なぜなら、僕は、疲れてしまっているから…。 「…」 「…」  床に倒れたまま伏せていると、男が檻から大きな右手を伸ばし蜜の髪を掴んで引き寄せた。 「あっ…」 「お前は…」 「…」 「つまらないヤツだな」 「…」 「先ほどから、一切感情が無い顔で…」  …そうかな?毎日虚ろに生きている僕にしては、今日は驚いたり怖がったり忙しい方だ。 「何も映さない瞳だ…」  映してるよ、その紅い瞳を。  髪を掴んだ手が持ちげられ、蜜は膝立ちになる。それで、男の顔が近づいてきて、檻ごしに口づけをされた。 「んっ…んっ」  乱暴に舌が入ってきて歯茎をなぞり、歯を割ってさらに侵入してくる。あまりのコトに身を引こうとも、男のチカラには敵わずに唇が離れるコトはない。 「っん、ふっ、あ…ん」  先ほど首を締め付けられた呼吸困難とは、また違った呼吸の困難さを感じる。息を取り込もうと口を開ければ、男の舌が蜜の舌を舐めとり、男の口の中に吸われた。 「んんーんんんっ、んーー」  舌を甘噛みし、引っ張る。このまま引きちぎられるのだろうか。噛みちぎられるのだろうか。 「ん、あっ、んっフ…んんーっ」  男の手が急に外され、蜜は床に倒れこむ。 「ひっ、んはっ…はっ…はぁ…はぁ」 「…なんだ、そういう顔も出来るんだな」  男は馬鹿にするように笑う。  蜜は頬を紅葉させ、目から涙をポロポロと流していた。

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