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第3話

それは半年ほど前の入浴時だった。 伊集院家には大きな風呂場があり、それに伴う風呂番が数名いる。 清様のいらっしゃる離れにも専用の風呂場が存在し、入浴の介助も俺の役目だった。 髪を拭いたり背中を流すくらいで、あまり呼ばれることはなく入口で控えることが多かった。 その日は、珍しく清様から髪を洗ってくれと頼まれて浴室へ入った。檜の香りがする浴槽は清潔で、ふんだんに湯が張ってある。世の中にはこんな立派な風呂が存在するんだと初めて見た時は感嘆の声が漏れた。 西洋から取り寄せた液体の石鹸を泡立てて髪を洗う。風呂椅子に座る清様は華奢だ。傾きかけた日差しが入るなかで、裸体が白く浮かび上がるように輝いて見えた。ちょこんと乗った柔らかそうな小さなお尻に生唾を飲んだ時だった。 左背中の肩甲骨辺りに紅い痣を見つけたのだ。降り積もった白い雪に散った血液みたいなそれは、肩や背中に複数箇所確認できた。 虫に刺されたかと思えば違う。明らかに内出血の跡だ。 「どうした。手が止まっておるぞ」 「…………すみません」 凝視をしていたら清様に注意された。俺は髪の毛を洗うべく、慌てて手を動かす。 一抹の不安が胸をよぎり心がどす黒く染まっていく。それは使用人の間でまことしやかに囁かれ、今では暗黙の了解となっていた。 清様は性に奔放で暇つぶしの如く相手を変えられるからお前も気をつけろと、使用人仲間から何度も注意されていた。 とある庭師の姿を清様の離れ付近で見かけることが多く、相手にも合点がいく。ちょうど昨日もいた。あいつだろう。 「清様…………この痣はどうされましたか」 「ああ、それか。どこかで()つけたか、質の悪い虫にでも吸われたかな」 この痣は誰かが故意的に付けたものだ。俺は無意識に跡を指先でなぞっていた。使用人は主人の私生活に立ち入ってはならない。沸き起こる感情を必死で抑えた。 「あとで手当てしましょうか。痛そうです」 「よい。放っておけば治る。それより出たら安西を呼んでくれ」 「安西……もう夜になりますので、明日で構いませんか。お身体に障ります」 安西とは忌々しい庭師の名前だ。 「俺が呼べと言っている。お前には関係ないだろう」 ぴしゃりと強い口調で閉ざされ、俺は黙って髪の毛に付いた泡をお湯で流した。 濡れた身体に張り付く長い黒髪を大切に拭くと、清様は自室へ戻られる。不本意ながら、庭にある倉庫で作業をしている安西に声を掛けると、奴は喜び勇み、離れへ駆け足で向かっていった。 何故俺ではなく安西なのだ…… その夜は悔しくて眠れなかったのを覚えている。何度も反吐が出そうになり、気持ち悪くて安西に殺意さえ覚えたのだった。

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