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前編
顔が焼けただれたのは、ずっと昔の火事のこと。カラダも消えない傷だらけ。
そんな自分を人の目から隠すように、山に入った。
本当は死ぬつもりで、山に入った。でも死ねなかった。人の目から離れたら、なんだか死ぬ必要はないんじゃないかと思えた。生きようと思った。山で1人で暮らしていくなんて無謀かな。どうせ死ぬつもりだったんだ。ダメならダメでいい。
山で暮らすコトは、思ったより大変ではなかった。山でどんな過酷なコトが起きても、町での暮らしよりよっぽどマシだと思えたから。
1人は、自由だ。
早朝、水を汲みに川辺に下りた。バケツに水を汲んで、山小屋まで戻る。いつもと同じ朝。…のはずだった。
…人が倒れている。
川辺付近に人が倒れている。すぐ後ろは崖だ。そこから落ちたのだろうか。遭難したのだろうか。死んでいるのだろうか。…生きているのだろうか。
恐る恐る近づいてみる。僕よりも随分背の高いガッチリした男の人だ。手を伸ばし、揺さぶってみても反応はない。まじまじと観察すると、腹が上下に動いてるのがわかった。生きてる。
放っておいたら、いずれこの人は死ぬかもしれない。でも僕は、もう人と関わり合いたくなくて、山にいる。もともと出会わないはずだったんだ。放っておけばよい。関係ない。
ーーでも。
助けて欲しい時に、見て見ぬフリをされるツラさを僕はしっている。だから、助けなきゃいけない。
『誰か、誰か僕を助けて。ねえ、お願い』
今、僕がその“誰か”なのだから。
「ん、ふう、重い…」
気を失った大の男を運ぶのは、自分よりも大柄な男を運ぶのは、至難の技だ。しかし、ここは水汲みルートなので、毎日通っている慣れた道だ。大丈夫だ。ロープで結んで、ほぼ引きずるようにして小屋に連れて帰った。
「はあ、はあ、はあ…疲れた」
いつもは15分ほどの距離だが、今は何時間もかかった。もはや引きずらないで何処かに寝かせていた方が安静だったのではと思った。でも意地で連れて帰った。小屋の奥にある僕の布団に寝かせる。それで、僕も疲れてそのまま眠った。
「ここは…どこなんだ?…暗い…真っ暗だ…」
そんな声が聞こえて僕は目を覚ました。救助した男性が身を起こしている。よかった、気がついたんだ…。
ハッと自分の容姿を思い出して身を固くしてしまう。焼けただれた顔の皮膚を人々はを忌み嫌う。蔑んだ目を当たり前のように向ける。
あの目で見られたら、僕は彼を恨んでしまうだろう。僕の親切は裏切られたと恨んでしまうだろう。僕はそんな感情が出てしまうのが嫌なんだ。
「誰か。誰かいるか?」
困惑と不安を混ぜた声を彼は発していた。
「…います」
自分の闇を封印して、親切にしようと腹を決めた。
「!…よかった。キミは誰?どこにいるんだい?」
「え?」
男性はキョロキョロ辺りを見渡している。僕の方も見ているのに、僕の姿は見えていないような。ーーまさか。
「なぜ、ここは暗いんだ?ここは、どこだ?」
見えていない?
盲目?いや、もともと見えないわけではないだろう。遭難時の事故だろうか。彼は混乱している。心細いだろう。怖いだろう。僕は男性の側に行き、肩を抱いてやった。
「大丈夫、僕はここにいます。」
「…うん、うん。よかった。」
「今は落ち着いて。少し休んで。そうしたらまた考えましょう」
「ああ、…大丈夫だ。」
男性の背中をさすってやると、少し落ち着いたようだった。
「…あのさ」
「はい」
「俺は、俺の名はヤナギ。…君は…?」
「僕は…ユナ」
「ユナ…ありがとう。キミが助けてくれた」
「僕は、山小屋まで運んだだけですから…」
「…俺は、いま…目が」
「…そう、ですね。…見えていない?」
ヤナギの顔の前で手を振ってみたが瞳に反応はない。
「そうなんだ…見えない、見えないんだ。」
ヤナギのカラダは震えていた。光を認識しなくった世界が怖いのだろうか。
僕はヤナギの手をとり安心させる。
「ショックで一時的に見えなくなっているだけかもしれません。あまり悲観しないで。大丈夫。僕がついていますから。」
「ユナ…」
「今は、休んで。体力を回復させるコトに専念しましょう。まずは山を下らなければいけませんから。」
「山を…この目で?そんな…」
ああ、余計なコトを言ってしまった不安を与えてしまった。
「大丈夫です。回復を待ちましょう。僕がお世話しますから。僕がなんとかしますから!!」
根拠はないけど、今は虚勢を張るくらいの方が良い。ヤナギを安心させられる。ヤナギは僕の手をギュっと握り返して、小さくうなづいた。
ヤナギには動き回らないよう、安静にするように指示をして僕は小屋を出た。小屋を出て1人になって僕は項垂れた。
僕は、正直ホッとしたんだ。ヤナギが目が見えないことに、ホッとした。僕の焼けただれた顔を見ないんだって安心した。最低な思考。ヤナギは視力を失ってショックだろうに。それが良かったと喜んでいる自分の思考がおぞましい。そんなコトも知らずヤナギは僕に感謝している。
暗い気持ちになり、僕は足取り重くトボトボと山菜採りに出かけた。僕と、ヤナギの分の食事だ。
「ただいまヤナギさん」
「ユナ、おかえり…!」
「今ごはん作るから、まだ横になってて下さい。」
「…ありがとう」
「いえ」
「…ユナ」
「はい」
「1人で、心細かった…」
ヤナギの震える声にハッとした。…これは助けを求めている声だ。
僕はヤナギに寄り添った。また肩を抱いてやる。目が見えない彼は、触ってあげないと人を認識出来ないだろう。安心させてあげたいと思った。
「ありがとう…ユナ」
僕は黙ってヤナギの背中を撫で続けた。ヤナギは僕に体重を預けて来た。…暖かい。
しばらくそうしたら、僕は食事を作るためヤナギから離れた。囲炉裏で山菜を茹でてスープにする。魚は1匹しかとれなかった。ヤナギにあげよう。
食事を作っている間、ヤナギはずっと話しかけてきた。
「ユナは山小屋管理の人?」
「え?いや…」
「私と同じように登山客?」
「…いや…」
「違うの?」
「…まあ」
「ユナは山で何をしてたんだい?」
「んー…生活をしているんです」
「…ここに住んでいるのかい?」
「…まあ」
「1人で?」
「はい」
「こんな人里離れた場所で、生活は大変だろう?」
「まあ…」
なんとなくヤナギの質問には口を濁していた。
「いい場所だもんね、ここは」
「…そうですか?」
「僕は登山が趣味でね。1人でよく山に来るんだ。…この山にはよく来るから…大丈夫だろうと気が緩んでしまったんだろうね。ははは」
今の現状を招いてしまった自分を責めるように、ヤナギは力なく笑う。
「でも…」
ヤナギの笑みにチカラが入る。
「だからユナに会えた」
僕は、カラダからボッと燃えるような感覚が湧き上がった。顔が熱い。なんなんだ?ヤナギの笑顔が、まぶしい。
僕は、ブンブンと首を振った。
「ヤナギさん、しょ、食事、出来ましたからっ」
ヤナギの前にスープと焼き魚を置く。
「ここにありますから」
僕はヤナギの手に箸をもたせ、手を誘導する。
「ありがとうユナ」
「う、うん」
僕はヤナギがちゃんと食事できるか見守った。ドギマギしながら見守った。
ヤナギはおいしそうに食べていた。
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