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このような姿で 3

「朝日がまぶしい」  義兄としてあるまじき行為を洋月の君に働いてしまい、自責の念で悶々として一睡もできなかった。あの後、洋月の君は部屋から飛び出し牛車に乗り、そのまま何処かへ行ってしまった。夜遅くまで帰宅を待ったが、朝になっても帰ってこなかった。 「何処かの女子の元へでも逃げ込んだのか」  あんな不埒な行為をしてしまった私とは、もう話しもしてくれないのではと思うと、己がしてしまった行為が滑稽にすら思えてくる。 「あぁ……私は何故あのようなことを」  洋月の君のほっそりとした首筋や気怠げにもたれてくる仕草が、私の理性を奪ってしまった。あの唇は優しくふっくらして、そこからあがってくる吐息は男のものとは思えない程甘美だった。 「信じられない。男の身であのような」  その時、馴染みのある洋月の君の澄んだ春風のような香の香りが、風に乗って届いた。はっとして御簾越しに中庭に目をやると、我が庭のあの大きな樹の下にいつものように洋月の君がもたれていた。その様子はまるで庭に咲いた一輪の花のように、風景に溶け込んでいた。 「いつの間に戻ったのか」  いつものように気怠げに悩ましげに……こんな朝早くから何処へ行って、何をして、どうして此処に戻ってくるのか。どうせ女子を抱きに行ったのであろう。それを見せつけるために我が庭へ? 私のもとに? そう思うのだが、どうも腑に落ちない。 『好きな女子などいない』  昨夜確かにこう言ったではないか。私の口づけも接吻の印も最初は驚いて拒んではいたが、受け入れてくれたようにも感じた。そんな事を自問自答しているうちに、自然に足は洋月の君のもとへ向かっていた。ところが私が近づく足音に目を覚まさない。どうやら今日は一段と疲れているように見える。ほっそりとした首を樹にもたれさせ、まるで一晩一睡もしていないかのように、今はぐっすりと眠っている。  明るい陽射しの下でまじまじとその姿を見つめると、いつものように麗しい艶やかな姿ではあるが、髪も乱れ、心なしか直衣も乱れている。そして……直衣から見え隠れする手首には強く握られたかのような、痕があった。  これは一体どういうことなのか。  昨日あんなに気にして怯えていた「牡丹」とは一体誰のことなのだ? 私はぐっすり眠っているのをこれ幸いにと、昨日私がつけた印を確かめたくて、洋月の顎をそっとあげ、その首筋を確認した。 「えっ!」  確かに、私がつけた印は残っていた。しかしそれをかき消すほどの、他の者からの印が首筋に多数付いていたのだ。思わず眉を潜めてしまった。こんな光景は見たくなかったというのが本音だ。一体どんな破廉恥な女子だ?男の躰にこんなにも接吻するとは? 征服欲が強いのか。いや強すぎる。  どうにもしっくりこない。  その時、はっと洋月の君が目を覚ました。 「……んっ……丈の中将?なっ何を……」  私の手が顎を支え、私の目が首筋を凝視しているのに気付き、顔を真っ赤に染め慌てて立ち去ろうとした。 「洋月の君! 待て!」  私はその手首を捉え留めると、洋月の君は首筋を手で隠すように覆い、気まずい表情で震えている。 「洋月の君……あなたは夜な夜な女子と遊んでいるのかと思っていた。如月、月夜、朝顔……君と噂になった女子の名をあげたらきりがない、しかしその接吻の痕……そうではないのか。まさかとは思うが牡丹と呼ぶのは男なのか。君は一体誰を想っているのか。何故何も言わない? もしかして言えないようなことをしているのか」  私は、私以外に洋月の君に触れた男がいるような気がしてその存在に苛立ち、痕を付けさせるほどの接吻を許した洋月の君にすら苛立ちを感じて、きつく攻めるように詰め寄ってしまった。 「なっ……何てことを!」  その途端、洋月の君の顔は蒼白になり唇をわなわなと震わせたかと思うと、ありったけの力で、私の腕を振りほどいた。いつもの澄んだ眼は、どんよりと曇り、目じりには涙を浮かべている。 「君には到底わからないことだ!」  そう言い捨て、踵を返し、足早に去って行ってしまった。 **** 「あれから2週間も経ってしまったのか」  その後どんなに待っても洋月の君は、もう中庭には現れなかった。それどころか我が家に一切近寄らなくなってしまった。 「参ったな……」  私は気まずさから、どう対処してよいのか分からない。あの日、勝手に相手を男だと決めつけ、きつい言葉で責めてしまった。帝の御子で尊い血筋であるのに、あんな蔑むような言葉を一方的に投げつけるなんて、後悔している。  私はどうして、あんなに儚げで消えそうなほど疲れていた洋月の君を、優しく何も言わずに胸に抱いて休ませてあげられなかったのか。弟君のように労わってやればよかったのだ。  そんな後悔ばかりが募り、ここ数日はとうとう夜な夜な洋月の君の邸宅近くを彷徨い歩く始末だ。見上げると、さっきまで夜空に浮かんだ月は静かな月光を降り注いでくれていたのに、いつの間にか厚い雲に隠れ見えなくなっていた。  月明かりの届かない暗黒の地に立っているような気分になる。  まるでこの重たい石を抱えたような私の心の行く末を、見透かされているようだ。  月も俺の味方はしてくれないのか……洋月の君の邸宅の方を見つめるが、いつまで待っても誰も現れない。 「洋月の君……君に逢いたい。今何処で何をしている?」  己の身からは、後悔と深く長い溜息しか出てこない。   『このような姿で』了

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