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涙の決別 2
気が付くと手の拘束は解かれ、誰もいない部屋でひとり目覚めた。
朝日が昇りきる前に、ここを去ろう。もう何もかも捨てて……どこかへ去ろう。
牡丹には、もう抱かれたくない。父でなかった。血が通ってなかった。血が通う父だと思っていたから、 その最後の親子の情が俺をかろうじて繋ぎ止めていたのかもしれない。息子として…… 母上を失った父の抱えきれない歪んだ愛情を受け止め、こんな有りえない仕打ちにも耐えてきたというのに。
もう無理だ──
ただ丈の中将……あの人にだけは迷惑をかけるわけにはいかない。出来ればもう一目だけ逢いたかったが、それは 叶わぬ夢だったな。
「ふっ……」
ふっと肩の力が抜け、寂しい笑みが自然に漏れた。月夜姫とももうお別れだ。 もう女装なんてするものか。もうしたくない。 俺は俺として生きていく。身分も何もかも捨て、どこか遠くで一人生きて行こう。あてもない現実を想い抱き、決意した。
「行こう。もう行かねば……」
女の装束をバサリと脱ぎ捨て、男装束で身を整え、月夜姫の屋敷を後にした。
だが誤算があった。あの門であの人に逢うなんて思いもしなかった。今すぐ消え去ろうと思っていた俺の決心が揺らぐ。
この人には何もまだ伝えていないじゃないか。俺のこの溢れる想いを。
あの人の手が俺に優しく触れた途端、 俺の決意が揺らいでしまった。あと少しせめて一度位は去る前に、 あなたに想い伝えてからでも許されるだろうか。そんな揺らぐ気持ちが募り、俺の疲れ果てた身体はぐらりと揺れ、意識が飛んでいった。
****
布団の上に横たわりながら、昨夜のことを反芻した。ではここはもしや……あの人の部屋なのか。 辺りを見回すと、あの人の香が漂ってきた。
「洋月の君っ……気がついたか」
穏やかな空気を纏ったあの人が、優しい眼差しで俺のことを見つめている。それだけで胸が熱くなる。
「丈の中将……」
俺は慌てて身を起こし、丈の中将の元へ 震える手を伸ばした。
── どうか、どうか……この手を繋いで欲しい ──
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