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第1話
午前二時五十八分――。
高いビルが建ち並ぶオフィス街のメイン道路の路肩にタクシーを停めて、月見里優弦 は先ほど乗せた客の行先と料金を営業日報に記載した。
本日の帰庫予定時間は午前五時。あと二時間、次の客を乗せるかを考える。先ほどの酔客は東方面の客だった。
(今度は西方面で、営業所の近くに降りる客なら嬉しいんだけどな)
そんなに都合のいいことは滅多にないが、歓楽街に近い中央通りへ車を移動させようかと優弦は考えた。膝の上に置いていた制帽を被り、白い手袋を嵌め直して右のウインカーを点灯させようとしたとき、
――コンコン。
助手席の窓を軽く叩かれて優絃は視線を向ける。ドアの向こうから、ひとりの背の高い男が体を屈めて車内を覗き込んでいた。
(こんな時間に珍しいな)
ここは広島の中心部だが、繁華街とは離れた官公庁や大きな企業のビルのあるオフィス街だ。当然、気軽に飲めるような店は皆無で、おまけに今夜は週末だからビジネスマンの多くは歓楽街に繰り出したか、早めに帰宅をしたはずだ。
助手席の窓を叩いた男と目が合った。男はにこやかに運転席の優弦に向けて軽く会釈をする。少し疲れたような表情ではあるけれど、夜目にも高そうなスーツをきちんと着込んでいるのがわかる。黒髪も襟足がすっきりと綺麗に整えられていて、悠然と笑みを浮かべる男からは危険な匂いはしなかった。優絃は左側の後部座席のドアを開けた。
「すみません、いいですか?」
男が安堵の声色で聞いてくる。その声は低く、とても明瞭に車内の優弦に届いた。
「はい、いいですよ。どちらまで行きましょうか」
「ああ、よかった。ちょっと待ってください。連れがいるので」
男はスーツの胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、どこかに電話をかけ始めた。すると、すぐに目の前のビルの裏手から三人の男女が優絃の車に近寄ってきた。
「すんません、櫻井 さん。タクシー捕まえてもろうて」
「ほんまに助かったあ。でも、ほんとは丸山 くんが手配するべきなんじゃけえねっ。櫻井さんにこんなこと、させちゃダメなんじゃけえねっ」
うう、すんません、と若い男がうなだれる。四人の男女はタクシーのどの座席に乗り込むかを議論し始め、それは簡単に決着がついたのか、最初に優弦に声をかけた男が後部座席の運転席後ろ、ちゃきちゃきと場を仕切っていた若い女は真ん中に、彼女に怒られていた若者が助手席に乗り込んだ。真ん中の彼女が、
「櫻井さん、チャドさんにどこのホテルに宿泊しているのか聞いてください」
優弦はルームミラーで後部座席を確認する。彼女の左側、助手席の後ろの席には大柄で彫りの深い顔つきの、浅黒い肌をした男が座っていた。どう見ても、その顔は日本人ではない。彼女の右側の男が流暢な英語で大柄の男と話を始めた。
(東南アジア系の人かな? 稲荷町 のホテルに宿泊しているのか)
短い英会話を優弦が耳に拾っていると、
「平田 さん、チャドは駅前のアピホテルに来週末まで滞在するって」
平田と呼ばれた若い彼女は、はい、と健気に返事をして、
「じゃあ、運転手さん。まずは稲荷町から観音本町 、それから新井口 経由で……」
「宮島 方面へお願いします」
最後の言葉はあの男の声だ。かしこまりました、とアクセルを踏むと優弦は小さな幸運に、にやけそうになる顔を引き締めた。
(ラッキーだ。思っていたことが本当になるなんて)
車が発進すると途端に、はあっ、と車内が安堵のため息に満ちる。四人の会話から、優弦に声をかけた男が櫻井、若い男女は丸山と平田、外国人はチャドという名前だとわかった。
「……櫻井さあん。これから毎日、こんな時間になるんですかあ?」
真ん中の平田が、少し鼻にかかった声で隣の櫻井に問いかける。櫻井は、まさか、と言いながらも、
「でも、しばらくは今夜に近い状況が続くかもね。もちろん向こうの開発部隊には、夜間テスト中は必ず立ち会うように改善はしてもらうよ」
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