87 / 146
第87話
一方、乱闘状態の中にあって、春日野は、とある思いに焦燥していた。
頃は二月半ば、もうあとひと月を待たずして卒業を目前に控えたこの時期――
不可抗力の成り行きとはいえ、こんな所で皆の未来を潰してしまうわけにはいかない。同じ学園の仲間内である桃稜生はもとより、それこそ何の関係もない隣校の遼平と紫苑、そして彼らの保護者だという倫周というこの男。自らの危険を顧みず、わざわざこんな場所に飛び込んで来る、人の好さや優しさを絵に描いたようなこの人に危害を及ぼすわけにはいかない。だが、目の前の乱闘騒ぎを鎮めようにも手立てなど思い付く暇もない。素手で殴り掛かってくる程度ならまだしも、白井らの手には鉄パイプなどの凶器が握られており、勢いをつけて振り回されるそれを避けるだけでも息切れを余儀なくされる。まかり間違って当たり所が悪ければ、最悪の事態にだってなり得るのだ。
一瞬たりとも気が抜けなかった。
そんな春日野の焦燥をよそに、今度はバイクのエンジン音が耳をつんざく。割合広い倉庫故、加速したバイクで走り回られては歩が悪過ぎる。仲間を守るどころか、自分の身すら儘ならない。冷静な春日野でも、己の非力さに唇を噛み締める思いだった。
ふと、ある思いが脳裏に浮かぶ。
かつて、遠い昔に自分と同じ桃稜学園にいたという伝説の男。今のこの状況と同じか、もっと歩が悪いような危機を前にして、たった一人でそれらを退け打ち勝ったという伝説の白虎――
二十年前、彼は本当にそんな偉業を成し遂げたというわけか。
「なぁ、織田、如月――」
「ああ!?」
「こんな時……伝説の白虎だったら、やっぱり簡単にこいつらを片付けちまうのかな」
「はあ!? おま、余裕ブッこいたこと抜かしてる場合じゃねえ……って、おわッ!」
飛んできた拳を避け、蹴りで薙ぎ払いながら相槌ちを返したのは紫苑だ。
「大丈夫かッ!?」
「わっ……っと、ダイジョブじゃねえよ! 余計なこと……くっちゃっべってるヒマがあったら……とりあえず倫周さんをどっか安全な場所に……」
確かにそうだ。今は余計なことを考えている場合ではない。
「クソッ、この人は……倫周さんは何が何でも……俺らが守るって! じゃなきゃ、氷川の……オッサンにー……」
自らを奮い立たせんとする紫苑の言葉に、
「ああ、申し訳が立たねえしッ……ってなっ!」
体当たりで突進して来た敵の脇腹に重い蹴りを一撃くれてやりながら、遼平も信念を貫くような眼差しでそう返した。
と、その時だ。
またひとたび、間近に落雷があったかのような轟音と共に入口のシャッターが開かれたのが見えた。開かれたというよりは、ぶち壊された、と言った方が正しいだろうか――
と同時に外の強風が一気に倉庫内へと舞い込み、台風並みの暴風が吹き荒れたのに、誰もが一瞬動きをとめた。手で顔を覆うようにしながら視界を確保し、
「今度は何だっ!」
それまで若い不良連中の暴走を面白おかしく眺めていたヤクザの男たちが振り返る。さすがに警察がやって来たのかと思ったのは束の間、そこにはたった一人の男が佇んでいるのみだった。
ともだちにシェアしよう!