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番外編 - 夢 -

「なぁ、俺ってホント……しょーもねえバカだよ……な」  ディナーを共にした帰り道、一之宮紫月がポツリと呟いた。冬の夜空を見上げるその表情は苦そうで、そしてとびきり寂しそうでもあった。 「何だ、急に――」  氷川白夜はクスッとおどけ気味でそう言うも、内心では少々心配しつつ彼の顔を覗き込んだ。 「ここさ、遼と一緒によく歩いたんだ。今夜みてえに一緒にメシ食いに行った帰りにさ」  遼というのは彼の最愛の恋人だった男の名だ。氷川にとっても大切な親友の一人だった。名を鐘崎遼二といい、氷川は彼ら二人が男同士でありながら愛し合っていることも知っていた。  そんな遼二が交通事故で亡くなったのは、半年前の夏のことだ。恋人である紫月を庇って、自らが盾になるようにして他界してしまったのだった。  遼二を亡くした紫月は、感情を失った人形のようにして呆然と日々を送っていた。自暴自棄になり、つまらない諍いに巻き込まれて命を落としそうになったこともあった。氷川はそんな紫月を叱咤し、また励ましながらもずっと寄り添って今日まできたのだ。  その甲斐あってか、ここ最近では紫月も自分自身を取り戻しつつあり、時折は笑顔も見せるようになってくれた。まだまだ永い年月が掛かるだろうが、彼が遼二を大切な思い出として受け止められるようになるその日まで、氷川はずっと傍で見守り続けていこうと決めたのだ。  その紫月が寂しげに苦笑いながら肩を落としている。遼二が亡くなってからまだ半年程だ、それも致し方なかろうが、それにしても今夜の彼はいつもと少し感じが違う気がしてならない。 「なぁ、氷川――」  未だ空を見上げたままで紫月が言う。 「何だ」 「俺――俺さ、あいつを……遼を忘れねえって誓った。生涯、遼だけだって約束もした。なのによ――それなのに……」 「一之宮――?」 「寒くて仕方ねん……だ。寒くて……誰かに温っめて欲しくて……仕方ねえ」 「一之……」 「だってさ……だって、どんなに寒くても、どんなにあいつを好きでも……遼は……もう俺を温っめてはくれねえもんな。すげえ……辛えんだ」  紫月が呟いたその内容にも驚かされたが、もっと驚いたことには、突如として身を翻し、彼が抱き付いてきたことの方だった。 「一之宮――」 「暖っけえ……」  氷川よりも身長も低く華奢な紫月は、すっぽりと腕の中へと収まってくる。 「バカだろ、俺――。どうしょーもねえクズ野郎だ……」  苦しげに瞳を濡らしながら笑う彼を、氷川は思い切り抱き返した。 「一之宮――もう苦しむな。いつか――天国に行ってカネに会った時は、その時はどんな詰りも制裁も全部俺が受ける」 「氷……川……?」 「だからもう無理をするな。寒いなら俺が温めてやる。こんな俺でいいなら――いつだって俺は……」 「氷川……」 「お前は何も悪くない。カネを裏切るわけじゃない。全部、俺のせいだ。お前を温めたいと思うのは俺だ。お前を包みたいと思ったのも俺――。だからお前は悪くない」 「氷川……」  彼の顎先を掴んで持ち上げれば、涙に濡れた瞼が閉じられ――と同時に色白の頬が薄紅に染まった。 「一之宮――俺はお前を……」 「……ん、俺も……」  あふれ出る想いのままに唇を重ねんとした瞬間――そこでハタと目が覚めた。  まただ。  頻繁に見る同じ内容の夢――。  夢から覚める箇所もいつも決まって同じだった。  夜明け前――ベッドから抜け出して、シガーを銜えながら眼下に広がる蒼い街並みを見下ろした。深く一服を吸い込み、紫煙をくゆらせば、刻一刻と夢から現実へと引き戻されていく。  頻繁に見る同じ夢に、何度心を掻き乱されたことだろうか。氷川白夜は、立ち上る煙と共に窓ガラスに映った自らの横顔を目にしては、苦い笑みを浮かべたのだった。 「あれからもう二十年も経つってのにな……」  鐘崎遼二の後を追うようにして、一之宮紫月もまた事故で亡くなったのは、今から二十年前の晩冬のことだった。  なあ、カネ――もしもあの時、一之宮が事故に遭わずにいたら――お前は……あいつが俺と共に歩むことを許してくれたか?  つい、そんなことを訊いてみたくなる自分にも苦笑の思いでいた。  もしかしたら遼二は『お前に託すから、紫月のことを頼むな』そう言ってくれたかも知れない。だが、氷川には分かっていた。仮にし、そんな未来があったとしても、おそらく一之宮紫月は鐘崎遼二以外の誰かと共に歩むことは望まなかっただろう。だからいつも同じ箇所で夢が覚めるのだ。  また一服――深く煙を吸い込んだ。  窓の向こうの空は蒼から黄金色へと変わろうとしていた。  もうすぐ陽が昇る。金色の雲間を縫って、今日もまた新しい一日が始まるのだ。  どんなに寂しかろうと、胸を締め付けられ掻き毟られるような日々が続こうと――前を向いて生きていく。いつか再び、彼らに笑って会えるその日の為に――。何の曇りもなく、後ろめたい思いなど微塵もなく、心からの笑顔で再会する為に精一杯生きていこう。  そう自分に言い聞かせる氷川の横顔に、やわらかな朝の日射しが降り注ぐ――。  奇跡ともいえる出会いが、もうすぐ間近に迫っていることを、この時の氷川はまだ知らなかった。 - FIN -

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