1 / 55

第1話

 先輩と初めて出会ったのは校舎裏の北階段。その日は暑く湿った夏だった。煩い蝉の鳴き声、運動場からは野球部の声が聞こえる。そんな中でも彼の声はハッキリと、やけに鮮明に聞こえた。  「ごめん、飽きちゃった」  自分と、その声の主の距離は僅か階段1階分。上を見あげればすぐに見つかってしまうような場所。多分付き合っていただろう恋人を振っている場面なのだろうが、もう少しましな言葉はなかったのか。  案の定泣き崩れる女の子だが、彼はそんな彼女を見て静かに笑っている。心底恐ろしいと思った。むしろ楽しいといった表情に、なんの罪悪感も感じられないから。  何故こんな場所で立ち止まってしまったのかと、この場所から引き返そうとするが、小さな足音に彼が気づく。一瞬目があったと思えば、優しく微笑まれ、階段を上がって近づいてくる。逃げなければと思うのに足が動かない。  「君、俺と付き合う?」  変わらず静かに微笑む彼の笑顔は嘘くさ過ぎて寒気がする。目の前のこいつは男。もちろん俺も男。それに今、女の子を振ったばかりで。だけどそちらの方を振り向けば、そこに彼女はいない。少しだけほっとしたが、緊張していた体が緩んだ瞬間、腕を取られる。するっと肌を触られたかと思うと、耳元で吐息と共に低い声が囁く。  「俺の名前は高良 京(たから けい)だよ」  聞き覚えのある名前に再度顔を見ると、綺麗な顔立ちが目の前にある。思い出した、モデルの高良 京だ。雑誌やらとの取材で、記者がこの前校門前で騒いでいた気がする。  だけどなんで告白なんて。自分があんな場面を見ていたせいなのだろうか。口止めというわけか。  「......言わないから、離せ」  だけど、彼は離してくれず、さらに力強く掴む手が腕に食い込んで痛い。誰かが言っていた。高良 京は優しく、神様みたいな人なのだと。目の前の男は誰だ。この悪魔のような微笑みをする男は。  「付き合うよね、返事は?」  爽やかな面持ちとは裏腹に、強引に迫る言葉は怖いものだった。1度は横に首を振ったものの、また強く握られた腕に怖気付いて頷いてしまう。やってしまったと気づいた時には遅く、獲物を捕まえたライオンの様な顔をする彼に、怯えるだけの無力な自分しかいなかった。

ともだちにシェアしよう!