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第55話
駆け足で水道場を探しに行った京の後ろ姿を見ながら、少し憂鬱になっている自分を落ち着かせる。ごちゃごちゃと考えるのはもはや癖だ。
わざとらしく大きなため息をついていると、向こうの茂みで争う声が聞こえる。いつもなら絶対に行かないが、見知った声が聞こえた気がして興味本位で近づく。
「……ちょ…………め……〜〜〜」
争い元は男子1人に女子2人、聞き覚えのある声なのは男子のほう。ただ、もう少し近づかないと見えないし会話も聞こえない。
「や、やめろって、いって、おい……っ!」
突然大きくなった声と同時に、一人の女子がその男の口をキスで塞いだ。
「!?!?」
そしてもう1人の女の子が男の子に背後から抱きついていた。
「……っは、修羅場?」
浮気がバレてよくわかんない状況になっているんだろうか。いや、偏見は良くない。もしかしたら3人で付き合ってるのかもしれない。
近づくにつれ、顔立ちも見えてきたし、声もちゃんと聞こえるようになる。見知った声の主は本郷だった。
「やめろ、ほんとに、やめ、って」
両手に花だなと呑気なことを考えているが、本気で嫌がってそうな本郷に助太刀をするか迷う。後ろの子が本郷に抱きついているのは、キスしている子に負けたくなくて対抗しているのかと思ったが、見方によっては逃げないように抑えているようにも見える。
どんどん顔色が悪くなり、足の力が抜けたのか本郷がふらっと姿勢を崩す。女の子達が嫌がる本郷を地面に寝かせ、1人が本郷の中の上に股乗りをし始める。もう1人が本郷の両手を押さえつけている。
「ひ、無理……ほんと、やめろって……」
完全に拒絶している本郷に構わず、股乗りしている子が本郷の服のボタンを外し始める。外からわかるぐらいに本郷は震えていた。いや、さすがにこれを見て見ぬふりはやばい気がする。
どうしたらいいんだろうと考えている間に、ついに嗚咽が聞こえ始めて本郷が泣いているのがわかった。学校でいつも気にかけてくれている彼をそんな姿にさせるのは、ちょっと嫌だった。考えても解決策なんて浮かばなさそうなので、勢いで隠れていた木の茂みから飛び出して、股乗りの女の子に思いっきりタックルをくらわす。なんだか野太い声が聞こえた気がしたが、かまわずもう1人の子から本郷を掴む手を振り払おうとして彼女の上半身を思いっきり押した。
「へ……あ……佐倉……?」
ボタンが取れて、上半身が見える状態の本郷が涙に濡れた顔で俺を呼ぶ。
「ごめん」
フラフラしている本郷を無理やり立たせ、手を引っ張る。走りだして気づいたが、体力がなさすぎてあまり長く引っ張れそうにない。
「……っはぁ、本郷、……っ前、走って」
助けに来たのに格好がつかないとは思いながらも、途切れ途切れにそう言えば、目の端にあった涙を強引に拭いた本郷に強く引っ張られる。
ダサい、とガッカリする暇もなく、思った以上に上がったスピードに引き摺られるようにその場から逃げる。かなり離れた場所で足を止め、後ろを振り返ると女の子達はいつの間にか見えなくなっていた。森に入ってしまったらしい。
「一体なんだったんだよ、ぉあ!?」
力任せに引っ張られた俺はいつの間にか本郷の手の中にいた。
「はっ?え、あ」
抱きしめられる力が強すぎて折れそうだ。離せ、と言おうとしたが、頭の上から聞こえる嗚咽に出しかけた声を噤んだ。肩に水滴が落ちる。
「だ、大丈夫、多分、あいつらもういないし」
なんて頼りがいない励まし声なんだ。背中にポンポンと腕を伸ばす。ビクッと震えた本郷に自分もビビる。せっかく伸ばした腕は直ぐに俺の横に戻ってきた。励ますなんて芸当は無理らしい。
ズルズルと近くにあった木に背を任せた本郷が、腕の内の俺と一緒に座り込む。
「佐倉、佐倉……っ」
小さい声で呟くように名前を呼び続ける本郷に、一体何をしたらいいのか戸惑う。
根気よく、取り敢えず落ち着くのを待った。
「もう、大丈夫?」
幾分か緩まった腕の力にそういえば、力なく本郷は首をふる。
「……まだ、もうすこし」
こうやってて、と震える声が今にも泣き出しそうで、俺も振り払えずにいた。
「警察呼ぶ?」
そう問えば、ピクっと肩を揺らして思い切り首を横に振った。なにか事情があるらしい。
「そう」
それから沈黙が落ち、長い間、2人とも口を開かなかった。本郷が俺を離すこともなく時間が過ぎる。
夏だし正直暑い。あと、少しうっとおしい。京ならずっと抱きしめて欲しいと思うのに。本郷に抱きしめられてもダメだった。やっぱり俺には京しかいない。
京、今何してるんだろう。勝手にいなくなったりして俺の事嫌いになっていないだろうか。俺のせいでりんご飴を洗いに行くことになったのに、原因の元が洗いにもついて行かず、勝手にいなくなるなんて。
考えれば考えるほど落ち着かなくなってきて、本郷から離れたくなってくる。本郷は俺の変化に気づいたのか、少し腕の力を強めた。
嫌だ、離れたい。
この落ち着かない雰囲気を破ったのは、花火の音だった。
「もう、こんなに暗くなってたのか」
賑やかな夕日はとうに沈んでいて、暗がりのひっそりとした森の中に座り込んでいた。
鬱蒼とした空気を散らすかのように、鮮やかな赤や黄色、オレンジや緑が空で光を散らす。
「綺麗だ」
少し涙の跡が残る顔を煌めかせ、本郷は夜空を食い入るように見る。魅入る俺も同じような感想だったが、口には出さなかった。俺はこの景色を見に来たんだった。彼に連れられて。
「京……」
小さく漏れた声に、少し強くなった腕の力に視線を落とせば、本郷が不安そうな、泣きそうな、それでいて悲しげな顔で見ている。
無理やりあんなことをされるのは、確かに怖いんだろう。相手は女の子でも、力の敵わない相手に無理やり嫌なことをされるのは恐怖があるのも知っている。
でも甘ったれるなとも思う。殴られてないならいいじゃないかと。あれはダメだ。頭がチカチカして、吐きそうになって、死にそうになる。
分かっている、本郷と俺は違う。本郷は誰が見ても酷い状況だ。未だに震えが治まっていないし、顔面蒼白で倒れそうで、噛んだのか唇から血が流れている。少し乱れた服から、小さな鬱血痕がいくつか見えた。
こんな状態の本郷を置いていくのか。行かないで欲しいと、口に言わなくてもわかるぐらい憔悴しきっている彼に、俺は。
「本郷、俺行かないと、抜け出してきたから」
考えたのは一瞬だった。するりと出た言葉に本郷はまた唇を噛む。頭ではわかっていても、身体が京に嫌われることを拒んでいた。
俺のわがままで俺から離れた京は、今頃俺を探しているんじゃないだろうか。呆れ返って家に帰ってるかもしれない。いや、やっぱり勝手にどこかに消えた俺を嫌いになっているかも。
嫌な想像がいくらでも頭を駆け巡る。もしかしたら、本郷に嫌な思いをさせたあの二人が近くにいるかもしれない。そもそも俺は足が遅いし、逃げる時に足でまといになるだろう。本郷には俺なんていてもいなくてもどっちだって……。
背中の服をぎゅっと強く握られる。言い訳をしているのは分かっている。
「京と見に来たから」
そう言って、力任せに腕から抜けるが、いつの間にか右手首を強く握り締められていて前に進めない。
「本郷、離して」
「嫌だ」
「俺は」
「聞きたくない……っ!」
そう大声を出して近づいてきた本郷の顔は、俺の顔にあと少し、という所で止まる。
今までに見た事のないほど険しい顔をした彼と目が合う。戸惑うように揺れる瞳から、悲鳴が聞こえる。行かないで、怖い、助けて。それから“佐倉”と、さきほどの悲痛な呼び声が頭に繰り返される。
反射的に目を逸らした。
掴まれた右手首にギリッと力がこめられる。痛みに顔を歪めると、本郷は我に返ったように手を離した。
「……やっぱり、行っても、いいよ」
やっと離してくれた、と一瞬でも思ってしまった自分は最低なんだろう。だけど、俺は自分が可愛いのだ。傷ついている本郷だって大事だが、それ以上に京に嫌われた自分を見たくない。
洋を家に入れなければ嫌われると思った。なのに、本郷を守ろうとはしない。今ここに京がいないから。
緩くなった力から抜け出す。下を俯く本郷がどんな顔をしていたのか、もう分からない。元来た道を戻り始める。暗い枝が、顔に冷たく当たり、鈍い痛みがする。薄情者、と怒られているかのようだ。それでも構わず進み、振り返ることはなかった。
心の中では謝っている。それなのに体が伴わない。戻ろうとも思わない。京はどこだろう。あれからどれくらい時間が経っただろう。
申し訳ない気持ちはあったはずなのに、それは直ぐに消えて不安が広がっていった。
京、お願い、嫌いにならないで。
京、お願い、京·······。
もう自分が本郷を思い出すことはなかった。
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おまけ 〜灰人が去った後の本郷〜
腕の中の温もりは、既に消え去って、暑苦しい季節とは反対に、森の奥から流れる隙間風に身震いする。
小さな、俺にとっては力強い背中が、去っていくのを、力ない顔で見送る本郷は静かに目を閉じる。
強く瞑られた目元から小さな雫が一欠片零れ落ちた。
空にはまだ花火が上がり続けている。本郷は眩しいだけの光から、鬱陶しそうに目を逸らした。
「ほんっと俺に興味ないな」
悪態を着く彼は、溢れる涙に気づかないのか、拭いもせずに膝を抱えて蹲った。
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