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第1話
小学生の時、2つ下の弟がいじめられていた。丹波は見つめているだけだった。野暮だと思った。わざわざ年上が口を出すことが。弟が手前でどうにも出来ないのならそれまでの男なのだと言い聞かせて、丹波は弟が複数人に囲まれて、怯えながら蹲っているのを遠くから見ていた。あれが弟だと同級生に思われてしまうのがどうしようもなく恥ずかしかった。何の反撃も出来ない弟が。一緒に帰る約束を交わした友人と他人のフリをして丹波は弟を囲む人集りを横目に校門へ歩く。
「何をしてるんだ、寄って集 って恥ずかしくないのか」
小難しい単語を知っているものだと思った。弟に群がる弟の同級生たちが散らばっていくのを見て、丹波は弟への興味を失った。聞き流していた友人の話へ意識が映る。
「あいつスゲーよな、父ちゃん理事長で兄ちゃん高等部の生徒会長らしいじゃん」
一緒に帰っていた友人が言った。へぇ。丹波には興味がなかった。
「丹波くん」
初めて話しかけられた。苗字に小学生の馴れ合いのような「くん付け」が気恥ずかしくて丹波はこう呼ばれるのが嫌だった。
「海都でいい」
誰だか知らんけど、と付け加えて突然やって来た違うクラスの少年を向くことなくそう要求した。
「じゃ、じゃあ、海都くん、君の弟のことなんだが…」
堅苦しい話し方をするヤツだと思った。丹波は、何、と素っ気ない調子で話を促す。
「どうやらいじめられているらしい。君の方からも注意してやってくれないか!」
丹波は怠そうに呻くような声を上げる。
「どっちを。いじめられて何も出来ないバカな弟を?1人じゃ何もしてこないダセェいじめっ子を?」
丹波は名も知らない相手に臆することなく横柄な態度をとった。この者が誰の子で誰の弟なのか、知っていても下手 に出る筋合いはない。
「自分の兄弟だろう?どうしてそう冷たいんだ」
「手前の弟だからだよ。俺の弟なら殴るなり蹴るなりしてみやがれ」
説得を諦めたのか、来訪者は顔を曇らせて丹波の元から去っていく。
小西との出会いはそのようなものだった。クラスが同じになったことがない。学業成績に大きな差があったからだ。同じ高等部でもクラス分けで大きな優劣を付けられる。小西は最高クラスで丹波は下から2番目のクラスだ。少し高かった声は男性的な声へと変わった。
「待たせてしまったか」
いつの間にか小西とは親友と呼べるほど近しい間柄になっていた。
「べ~つに」
同じクラスの女子とは仲が良かった。丹波は異性によく好かれた。小西を待っている間女子と他愛もない話をしていた。流行りの曲、近くのファミリーレストランの新メニュー、小テストの難問、共通の友人の恋愛事情。話すことは尽きない。
「行こうぜ、腹減った」
何故か一緒に帰るのだ。どちらかの家で勉強するわけでも、どこか寄る予定を立てていたわけでもない。ただ暗黙の了解でどちらかがどちらかを待ち、それが出来なければもともと約束などなかったが今日は帰れないのだと伝えに行った。
小西は丹波と関わるまでは帰り道にファストフード店へ寄ったことはないらしかった。下校になれば真っ直ぐ帰るらしい。本屋ならとにかく、ファストフード店やファミリーレストランに寄るのは躊躇いがあるらしい。最初は小西は臆していたが数を重ねるうちに何も言わず丹波に付き合うようになっていた。学園の近くのファストフード店へ向かった。入ろうとした時、小西が丹波の腕にしがみついた。恋人にすりように、というよりは情緒のない乱雑さのある握力と勢い。なんだっ!?と丹波は驚いて肩が跳ねた。
「小西?どした?」
強く目を瞑り、眉に皺を寄せている。目にゴミでも入ったのか。掴まれたままの腕を揺さぶる。
「こ~にし」
「っ、か、海都…すまない」
はっとして小西は目を開ける。血の気の引いた顔。小西は特別色白というわけではない。色黒いというわけでもなく、かといって日焼けしているわけでもない色をしていた。だが色白とは違う、不健康そうな白い顔をしている。丹波はそれを体調不良の時に長風呂をしてしまっていた姉で見たことがある。
「体調、悪いのか?」
「すまない、海都。今日は…その、」
「帰るか?ヤバげ?」
生唾を飲む小西の喉が動く。腹痛だろうか。丹波は大丈夫か?と前のめりになった小西の肩から提げていたカバンを押さえる。
「今日はファミレスのほうにするのはどうだろう?」
てっきり帰りたいと言うのかと思っていた。誤魔化すような、あまりしない小西の愛想笑い。
「俺は別にどっちでも構わねぇけど、小西は大丈夫なのか?腹痛いんじゃねぇの?」
「ああ。すまない。急に、ファミレスが良くなった」
何も追求するなという無言の圧を感じて丹波は何も言わず、ファミリーレストランへ向かう。小西はそのあとは、いつも通りだった。
「た~んば」
丹波は呼ばれ、振り返った瞬間拳が飛んでくる。寸前で避けた。口元にピアスを開けた男が口の端を吊り上げる。丹波や小西のいる科とは違うが同じ校舎を使っているクラスがある。
「花塚 …」
丹波は結構な挨拶だな、と呆れたように笑った。花塚はいかつい顔立ちをくしゃりと潰したように笑う。そうすると印象が随分と変わった。
「学食行こうぜ!」
「イヤだね」
わははと花塚は笑ってばしばしと丹波の背を叩く。理由は分からないが丹波はこの花塚という男に気に入られていた。会うたびに学食や授業放棄 に誘われる。"丹波のスカした態度がイイ"らしい。
「海都!」
「ぉっぷ」
決して小柄ではない男が丹波の背中に激突する。丹波は呻いた。突然の横隕石が、すまない滑ってしまったと丹波の前へ出てこようとして、動きを止めた。
「巴 …」
「…っ」
「ってぇ…ンだよ、知り合い?」
丹波は背を撫でながら首を傾げた。だが流れる空気は知り合いという関係にしては重い。見つめ合う花塚と小西を丹波は見比べる。
「っつかトモエって誰だよ」
「オレ」
小西と見つめ合ったまま花塚がそう答えた。猫の喧嘩を見ているような感覚だった。花塚とは些細な出来事で知り合ったが下の名は知らなかった。
「あ、そ。あ~、まあいいや、小西。飯行こうぜ」
花塚は不快感を露わにした表情を小西に向け、小西は怯えているとも傷付いてるともいえる表情で花塚を見ている。丹波は溜息をついて小西の腕を掴む。背を向け、花塚に雑に手を振った。
「小西?」
花塚から離れても無言の小西。普段は並んで歩いているが丹波が腕を放せば、小西は立ち止まってしまいそうだった。
「ああ、いや。なんでもない」
「打ち所悪かったとかじゃないよな」
丹波は自身の頭を指先でとんとんと叩いた。
「違う。それは大丈夫だ。海都こそ、腰は大丈夫か?」
「大丈夫」
小西は必死に、無理矢理気分を変えようとしているように丹波には見えた。
「海都は…あいつとはどれくらい仲が良い?」
「仲良くはない」
「そ、そうなのか…」
「知り合い程度。ただあいつがたまに突っ掛かってくるだけで」
丹波は肩を竦める。学生食堂まではあと少しだ。小西は暗い顔をしていた。花塚は素行不良の生徒だ。小西のようなタイプとは相容れないのかも知れない。
「そういう小西は?花塚と喧嘩でもしてんのかよ?」
雰囲気が仲が良さそうとは思えなかった。たとえどう返されても踏み込むつもりはない。
「いや…いつの間にか、嫌われてしまって…」
小西は自嘲した。笑っているが、本心ではないのだろう。
「へぇ、バカで単純そうなあいつがねぇ」
丹波は呟いた。小西は、参ったな、と言ってまた笑う。小西が一瞬だけ泣きそうに表情を歪めたのを丹波は気付かないふりをした。
「お~た~んば!」
丹波は呼ばれ、振り返る。いつも通り、右から拳が放たれ、避けた。だが左手が待っていた。マジか、と思った瞬間、額がとん、と突かれる。人差し指が眉間に突き立てられている。
「花塚…」
呆れながら花塚の左腕を払う。
「…あ~、なんだ、ちょっと話あんだわ」
「俺はねぇけど?」
「オレにはあるって言ってんだろ。ちっとは話聞け」
「せんせの話マトモに聞かないあんたには言われたくなかったな」
花塚は露骨に顔を顰めたが、後頭部を乱雑に掻いて花塚のいる教室のベランダに誘われる。荒れたクラスだと聞いていたが本当らしかった。
「万里 …とのこと」
「万里 って誰」
「おめぇの友達」
「やっぱり」
「あいつ何か言ってたのか?」
花塚が片眉を上げた。丹波は知らんぷりで空を仰ぐ。
「何も」
「仲良いのか?仲良いんだよな。仲良いよ」
花塚とはあまり話さない。花塚が丹波に絡んで、中身のないやり取りをして、それで解散する。だから花塚が人懐こく、いかつい素行不良児ということしか知らない。
「知るかよ」
丹波の返事に花塚は不服そうだった。
「つまんねーやつ」
「仲直りしてぇならストレートにいけばいいだろ」
「ああ!やっぱなんか聞いたんだな?」
裏切られた!とばかりに花塚は大袈裟な声を上げて丹波を指で差す。その指を払う。
「聞いてねーよ。あんなミョーな空気ならフツー何かあったんだなって思うだろ」
「嘘だ」
「嘘じゃねぇって。自覚ねぇのか?なんか"すっげぇお前のこと不愉快なんですけど"オーラ出してたかんな、あんた」
花塚は口を尖らせる。野性味と鋭さのある端整な顔が情けなく見えた。
「そういうんじゃ、ねーよ」
心なしか、花塚の顔が赤い。
「じゃあ俺には関係ないな」
丹波は眉を顰めて花塚から顔を逸らす。
「…トモダチ少ないだろ」
花塚が、べぇ、と舌を出す。図体だけが育った子供だ。
花塚のいる科は、丹波や小西のいる総合科の者たちから恐れられていた。それには敬遠や畏敬というには、軽蔑や侮蔑が含まれている。偏差値が大幅に離されているにも関わらず、同じ高校名を冠する。階段に繋がる廊下によって、この2つの科は別れていた。
「海都」
小西が教室から出てきた。偶然だった。どこから丹波が来たのか、嫌でも分かってしまう。丹波のクラスは花塚のいる科の2クラスとは方角が真逆で、戻るには小西のいるクラスの前を通らなければならなかった。
「おっ、小西」
小西は表情を曇らせていた。
「海都…、今日は一緒に帰れそうにない」
「そうか。残念」
「…」
小西は何か言いたそうではあったが結局首を振って、何も言わなかった。丹波も小西の気持ちを忖度 し、花塚と会ったことを言うつもりはない。2人の問題なのだろう。
「生徒会の仕事か?頑張れよ」
「…ああ」
小西の目が泳いだ。
「丹波~」
ふざけた調子で花塚の声がする。玄関は科に関係なく入り乱れる。
「ンだよ、しつこいなあんた」
今回は後ろから殴り掛かろうとしてこない。
「いや、今日は万 …小西いないのな」
きょろきょろとしてそう訊ねる姿には揶揄や戯 けた様子はない。普段のわざと上擦らせた声ではなく、地声だ。耳に心地良い声だったが花塚はいつでもふざけている。
「そんな好きならコクったらいいだろうが。今日は生徒会の仕事だったよ、生徒会室にでも行ったら」
「生徒会室?」
「あ~、もぉうっせぇよ。行ったれ行ったれ」
花塚の表情が強張った。丹波は花塚の肩を掴んで生徒会室のある方向へ向かせると背を押す。
「丹波、ちょっと来い」
花塚は真面目な口調で丹波の腕を掴んだ。丹波は、ああ?と訝しむ声を上げたが花塚の横顔は緊張しているらしかった。花塚に引き摺られてきたのは生徒会室のある寂れた廊下だった。このまま進めば生徒会室しかない。
「あんた…仲直りくらい1人で行けよ…」
花塚は黙っている。丹波はおい、と声を掛けようとして、花塚の口を掌で塞がれる。花塚は自身の唇に人差し指を立てて、黙れ、と伝えている。丹波は不本意だったが数度頷いた。花塚は口元に人差し指を立てたまま生徒会室の扉まで忍び足で近寄り、扉に耳を当てるよう促した。
『有村先輩、大迫先輩、いやです…もう、終わりにするって…』
『いいじゃねーかよ、女みたいなこと言うなって』
『それにもう、花塚とは終わったんだろ?』
小西の声と、あとの2人は知らない。内容からして先輩なのだろう。そして会話に出た、丹波の目の前にいる男。切れ長の吊り目の中の鳶色の眼。終わったって何が?丹波は考えて、そして浮かんだ答えは、"友人関係"だった。
『で、ですが…』
『つべこべうるせぇな。どうせ最後にひんひん鳴いて欲しがるのはお前だろうが』
話が見えなくなってきた。どこか艶っぽい響きを持った言い回しが引っ掛かる。丹波は眉間に皺を寄せ、花塚を見た。花塚は素知らぬ顔をして丹波の制服を引っ掴むと扉の前から去るらしかった。丹波も仕方なく付いていく。
「え、何。どゆこと?」
落ち着いた場所まで引っ張らながら進み、生徒会室から少し離れた場所で止まると花塚の手を制服から振り払う。職員室の真ん前だった。生徒会と職員室は近い方が良いという配置だ。職員室を出入りする教員が珍しい組み合わせに怪訝な顔をしたのは自意識過剰ではないだろう。
「聞いてて分かんないのか」
「分かるかよ」
「マジか。お前結構バカなんじゃないのか」
「うっせぇよ!あんたよりはバカじゃないっての。…なんとか先輩とかんとか先輩と揉めてんの?」
「まぁ、あの2人は結構、あれだから」
職員室の前で大声を出してしまい、丹波はばつが悪くなり無理矢理落ち着かせる。花塚のふざけた調子はなりを潜め、真剣な面持ちだった。真面目に煽られていたらしく、丹波はそれに乗せられてしまった。
「…んで、小西とあんたのお友達関係も終わったと」
「は?」
「何」
「お丹波ちゃんって童貞なん?」
「いきなりなんだよ、セクハラか?」
「いや、あの話の流れでそーゆーふーに受け取んの?」
花塚は嘲笑う様子もなく、本気で丹波を哀れむような目をした。
「あのなぁ、俺は超能力者じゃねぇワケ。1から100、100から10000000 まで説明してくれよ」
花塚は卑屈なのだろうか。卑屈が過ぎて、総合科の人間は天才に見えて、その天才は世の真理、森羅万象の細事を知り尽くした全知全能のだとでも思っているのだろうか。丹波はこめかみが痛くなる錯覚に額を押さえた。
「1コ約束してくんねーかな」
「あんたと親友になる以外なら喜んで」
別に知りたいなんて思ってねぇし頼んでねぇけど。丹波は飲み込んで代わりにそう提示した。本気ではないが。
「かわいくねーな。まぁいいや、そういうとこ気に入ってっから」
「いいから早くしろ」
花塚は丹波の肩を抱いて、職員室と教室棟を繋ぐ渡り廊下に連れられる。窓ガラスを向いて、口元に掌を立ててる。聞かれたくない話らしい。丹波は窓ガラスから校外に見える商業施設を見詰めていた。
「まずは約束!指切拳万 してもらーからな」
花塚が無邪気に小指を差し出す。
「ンだそれ。ってか内容言ってねぇのにいきなり指切りってフェアじゃなくねぇ?将来は詐欺師か悪徳業者か、どっちだよ」
「だ――!細けーヤツだな!はよ指出せ!」
耳元で叫ばれ、丹波は渋々小指を出す。適当に出したため、花塚に反対!と言われ流されるまま逆の手を出した。
「この話聞いても、ば…小西の友達やめないでくれ」
「それあんたが決めるコトなんすか」
丹波の答えに花塚は不満そうだった。
「まぁ、家放火されたとかじゃなきゃ大概嫌いにはなんねぇと思うケド?」
「お前いいヤツだな」
「は?あんた短気なんじゃないの。じゃあどうすりゃあんたに嫌われんだよ」
花塚の小指がしっかりと丹波の小指を抱き込み、離そうとしない。骨を折る気かもしれない。骨を故意に折られても嫌いになるだろう。具体的な例は極端なものしか浮かばない。
「それに友達ならあんたがなってやればいいだろ、他力本願寺(たりきほんがんじ)かよ!」
「なんだよそれは!」
低レベルな争いをしている。丹波はここは自身が引くべきだと迫 り上がる言葉を飲み込む。
「いいか、生徒会室で万 …小西は抱かれてんだよ」
「だか…だかれ…?」
「エッチしてんだよ!言わせんな!」
「なら言うな!ってか、え!」
小さい頃から言われ続けてきた、"言葉の暴力"。いじめられっ子の弟がいたためその単語は何度も聞かされたことがある。だが丹波にはその意味が分からなかった。物理的なものでないなら暴力になるはずがない。受け取り手のご大層な妄想力、深読み力をこちらが推し量る必要はない。身に覚えのない誹謗なら受け流せばいいのだ。丹波はそう思っていた。だが今、顔面を殴られ目の前で星が散ったような気がした。言葉の暴力とはこのようなことを言うのかもしれない。丹波はそう思った。
「おい、丹波、どこ行くっ!」
花塚の腕を掻い潜り丹波は生徒会室に走る。
ガララ…
丹波は生徒会室の扉を開けた。
「小西!」
ソファに倒れていたらしい小西の上体が起き上がる。上半身は裸だった。
「おいばか!ばか丹波!」
花塚が追いついたが、小さく、あちゃーと聞こえた。聞き捨てならない単語も今は丹波耳をすり抜けた。
「巴…」
小西は生徒会室の入り口に立って頭を抱えた花塚に目を見開く。
「あーなんだ、先輩方、すんません。復縁しよーかなーってカンジなんでほんと」
花塚が丹波にするよりもおどけたやうな、どちらかというとあしらうような態度で丹波は見知らない2人の先輩を追い払おうとしている。
は?聞いてねぇんだけど?
じゃあ今言いました。
丹波は生徒会室から2人を追い出す花塚と上半身裸でソファに寝転がっていた小西を茫然と見ている。
「どうなってんの?」
「どーもこーも、こーゆーこと」
「海都…巴…なんで…」
小西が怯えた目を向ける。中性的でもなくそれなりの体格のある小西の、弱々しい姿。だが丹波は花塚を睨む。
「っつかあんた俺のことバカって言ったろ」
「いやふつーにバカだろ…」
「じゃああんたは親友が嫌々ヤられようとしてるの黙って知らんふりしてろって?」
小西はびくりと肩を震わせる。
「そーは言ってねーよ!ただ、ば…小西の気持ちは考えてやんねーのかって話!お前は貞操 がマジでやべー時、友達に見られてーのかよ!」
「頭悪ぃくせに難しい言葉使おうとしてんじゃねぇよ!大事なのは結果だろうが!」
「巴!海都…!やめないか…」
小西の声は小さくなっていく。
「海都にはきちんと話すよ。…それとも巴から聞いてるのか…?」
「この人頭悪すぎて、何ひとつ要領を得ないんだよ…」
丹波は花塚を視界から追い出して小西に向き直る。小西はシャツを抱いていた。小西は醜悪というわけでもないが特に秀でた容姿をしているわけではない。鼻梁は通り、切れ長の瞳をして、唇は薄く形はよく、顔立ちは端整であるが、存在感として丹波のような華がない。そのような男だった。
「…巴、いいのか?」
「いちおー、オレからは話したつもりだしな」
花塚は両手を後頭部に回す。
「単刀直入に言う。おれと巴は前に付き合ってた」
「なっ!、へ…?」
丹波は間抜けな声を上げる。花塚は丹波に渋い表情を向けた。
「って言っても形式的だ。おれを守るために、付き合うというかたちをとった」
「さ、さいですか…」
「おれは…」
「万里 は狙われてんだよ、先輩たちから」
「そんな物騒な話があんのか」
「命じゃねーよ、ケツな」
「具体的に言うなって…」
花塚はあくまで真剣だった。
「巴の知り合いだったから…巴と付き合うことで、赦してもらってた…」
小西は俯いたままシャツを抱き締める。滑らかな肌に浮き出る背骨。
「小西が何かしたのか?」
丹波は花塚に問う。
「万里 は巻き込まれただけ。万里 の兄貴、知ってっか?」
そういえば小西には兄がいた。小西はあまり兄の話を出さなかった。
「いるのは知ってるかも」
「兄が…少し、彼らに厳しかったみたいで」
「厳しいって言ったって、ああいうヤンキーはなぁ」
花塚がそう言って、丹波は内心、あんたが言うのか、と思った。
「っつーか、小西の兄ちゃんがいた世代って俺らとカブらなくねぇ?」
「兄の、後輩なんだ」
「万里 …もしかしてオレと別れてから、これが初めてじゃない…?」
小西は唇を噛み締める。花塚のいつになく低い声。責めるような眼差し。答えない小西に花塚は焦れたらしかった。掴み掛かろうとでもするのではないかと思って丹波は花塚と小西の間に割って入る。
「花塚、顔怖ぇよ」
「もともとこういう顔だ…」
花塚の声は戻るが、拗ねている雰囲気があった。
「すまない…」
沈黙の中で小西は小さく謝る。それは花塚の問いに対する肯定と受け取れた。
「なんで、言ってくれなかった…」
「ちょっと花塚?」
丹波の思った通り、花塚が小西に掴み掛かろうとして丹波は花塚を止めた。
「花塚!あんた…まだよく事の経緯理解しきれてねぇけど、少なくともあんたらが気安く相談できるような雰囲気お互い出しちゃいなかったことだけは俺にだって分かる」
丹波は捲し立てた。花塚は痛いところを突かれたとばかりで、気まずそうに小西を見つめる。
「違うんだ、海都…おれが悪いんだ。暫く音沙汰もなかったから、もう大丈夫だろうと思って、おれが別れようと言って…都合良く利用した」
「利用したされただなんて思ってねーよ。ただやっぱオレはこんなだからお前に嫌われちまってんだなーって思っただけで」
丹波は花塚と小西のやり取りを遠い目で見ていた。
「嫌われた云々、利用した云々いうけどよっぽどじゃなきゃ付き合わないと思うけど…?だってリスキーじゃね?オープン派なら別だけど」
左右から投げられる悔恨と自責の言葉を断ち切るように丹波は呟いた。
「え…」
「迷惑になるし、釣り合わないと思ったから言えなかったけど、オレはただ形式(けーしき)だけじゃなくて…」
「ちょ、タンマ。あとは2人で片付けろ」
丹波は首を捻って2人の纏いはじめた粘ついた甘さを振り切るように手を上げて生徒会室から出ようとする。
「待って海都」
「生徒会の仕事がないなら一応教室で待ってようかとは思うんだけど?」
丹波は振り向かずに言った。
「いや、先に帰っていてくれ。ただ、ありがとう、と…本当に助かった」
「いんや?そのバカに教えてもらっただけだから。じゃあな」
また明日、とは言えなかった。場合によっては小西は自身とは帰らないかも知れないという可能性が丹波の中で浮かんだからだ。小西とはクラスが違う。小西が会いに来るか、それか下校時くらいしか一緒にはならない。
暫く教室の窓から田舎の風景を見ていた。田舎とはいえ、その中でも栄えた街だ。高校の周辺は東西で大きく田園風景か住宅街かで別れている。暫く頭を休めるため、空を見つめていた。丹波の癖だった。難しい勉強や、衝撃的な映画を観たり、単語を大量に暗記した後など、空を見つめる。
「よっし」
呟いて、帰路に着く。
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