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第2話

乾いて冷たくなった空気の中、耳が痛くなりそうな程の沈黙が続いた。 外はまだ晴れていて、だが遠くの方はほんのりと紅赤色に染まりつつあった。 ふと、時計を見た。 5時半に成りかけの微妙な時間帯だった。 はぁ、と何故かため息が漏れてしまい、さらに空気が重たく感じられた。 ずっと時計を見つめていると、針が揺れ動き、丁度5時半に成った。 「……5時半か」 「…………!」 突然瀬名が口を開いて呟いた。 琳音は瀬名が急に話したことよりも、自分と同じ場所を見ていたことに驚きを感じた。 だがその驚きは直ぐに恥ずかしさを産み出し、琳音は時計からピアノの方に目を移す。 目を移したところで恥ずかしさは消えるはずもなく、琳音の心臓は激しく脈打ち始める。 ぐっ、と下唇を噛むと、何処からかメトロノームがリズムを刻む音が聞こえ、癖でそっちを向いてしまった。 そこには当たり前だが、瀬名がメトロノームを持って自分を妖艶な目で見つめていた。 「な、に……?」 「あー。リズムに合わせて何か弾いてくんねえかなー、って」 「えっと、リズム──……」 云われたことをやろうと、目を閉じてメトロノームが刻む一定の音を聴く。 カチ、カチ、カチ……。 ほんの数分の間、メトロノームの音が音楽室中に響き渡った。 目をゆっくりと開けて、ピアノを見つめると、頭の中にポッと浮かんだ曲をメトロノームに合わせて弾いた。 激情的に上下する音階と、たたきつけるようなオクターブの旋律で広く愛される、左手のための練習曲。 確か、章也が大好きで何回も自分に聴かせてくれてた曲だった気がする。 ショパン、革命のエチュード。 「すげぇ……」 なんて唾を飲み込む瀬名の声が聞こえた気がするが、ピアノを弾き始めると周りの声が聴こえなくなってしまう。 額から冷たい汗が零れ落ち、左の手首が痛み始め、また下唇を噛み締めて鼻で荒い息を吐いた。 早く、早く終わって……っ。 弾き続けている間にそんなことを思ったのは初めてで、この曲はもう二度と弾きたくないと思った。 「……っ、はぁっ、はっ……っ」 弾き終わり、噛み締めた唇からは血が滲み出て、額の汗は倍増して息も荒くなっていた。 瀬名は遅れて拍手を送った。 疲れで頭がガックリと下にさがると同時に、長く深いため息が零れた。 「大丈夫か?」 「ん……だいじょ、ぶ……」 瀬名は流石に心配し、駆け寄って背中を擦った。 だが琳音は首をゆるゆると横に振り、背中を擦るのを止めてと、態度で示した。 それに気が付いた瀬名は、手を離して顔を覗いた。 「変な無茶振りして悪かったな」 「へ……いき…………う″っ!」 ああ、またこれだ。 無理をして弾きすぎると、たまにこうやって猛烈な吐き気が襲い掛かってくるのだ。 ハンカチをポケットから取り出し、口元を抑える。 はぁ、はぁ、と息を荒げながらハンカチを離すと、ドロッとした透明な液体が、唇とハンカチを繋いで距離が離れるとそれが途切れる。 椅子に座っててはダメだと思って、椅子から立ち上がる。 だが脚が思うように動かず、よろけてその場にぺったんこ座りのように成った。 瀬名が肩を支えて立たせようとするものの、どうしても脚が動かず、頭に酸素が行き届かなくなってきた。 くらくらする。 何も聞こえない。 母さんに怒られたときみたいに、視野が狭くなって頭が痛くなった。 「深呼吸をしろ。ゆっくりで良いから」 そう突然聞こえてきた低く甘い声に促され、ゆっくりと深呼吸をした。 ハンカチを胸元でぎゅっと握りしめ、あまりの苦しさにひゅうひゅうと喉を鳴らした。 瞼をゆっくりと上げて、潤った瞳で瀬名を見つめた。 誰だっけ……この人……。 名前が思い出せなくなっていた。 「琳音、大丈夫か?俺が判るか」 「は……っ、ぁ……はぁ、っ……」 「辛いだろうが、目は閉じんなよ。意識失われたら困る」 「ん……ぁ、はぁ……ぅ、はぁっ」 頷いているつもりでも、首は全く動いておらず、声も出ていなかった。 目を閉じるな。 そう云われたとしても、瞼に石が乗っているみたいに重たく、揺ったりと瞼が降りていき、気が付けば記憶を手放していた。

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