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(1) ブラッディ・メアリーは眠らない
「豆府を豆腐のままにしてよいものか」
は?
なにを言ってるんだ?この人は。
「豆腐は豆腐でしょう」
「ちがう!豆府は豆府だ!」
ふわふわ白い湯気の漂う、狐色の衣に包まれた四角いそれを、箸で器用に一口大に切ってつまみ上げると、口に頬張った。
美味しい……♪
「豆腐ですね」
食したのは紛れもない、熱々ほかほかの美味しい揚げ出し豆腐である。
「ちがう!豆府だ!」
まだ言うか、この人はっ。
(大体、そもそも)
豆腐は豆腐。
豆腐以外にあり得ない。
目の前のこれを、豆腐と言わずしてなんと言う。豆腐であるからこそ、揚げ出し豆腐であるというものだ。
箸を通して切り分けると、じゅわっと汁がしみ出る。一口大の大きさの揚げ出し豆腐を口に入れる。
(この出汁 のきいたおつゆ……)
つゆのしみた優しい味が、口いっぱいにしみわたる。
ふと視線を上げると、男が目を細めてこちらを見ている。
先程まで意固地になって、豆府論を声高に講じていたとは思えない、柔らかな眼差しだ。
「美味しいか?」
「はい、とても」
「では、私も貰おうか」
……と言って、 口を開く。
目の前の、己が膳に据えられた箸も取らずに。
これは、もしかして~。
否 !
もしかしなくてもっ……
(あーん♪……ってやつだ)
皿の中の揚げ出し豆腐を切り分けて、箸で挟むと……
己が口に入れた。
あたたかなつゆが豆腐となじんで、口の中に広がる。
「美味しい……」
ふと見やると、緋色の眼がじっとり睨 めつてけいた。
「それは私の揚げ出し豆府のはずだが?」
ちがう!
断じてあり得ない!
これは目の前に置かれた、自分の器に入っている揚げ出し豆腐なのだから。
「私の揚げ出し豆腐です」
ピッと指差す。
「あなたのは、それ!」
真向かいの膳の器を差した。
「自分の、ちゃんとあるでしょう」
「ちがうぞ、みつ輝」
フンと男は鼻先で笑んだ。
「この揚げ出し豆府は確かに私のものだ。しかし!」
ピッと男の指が、目の前の……みつ輝の膳を指差した。
「私は今、お前の揚げ出し豆府を所望だ。なぜなら、お前の揚げ出し豆府の方が美味 そうだ。ゆえに……」
あーん♪
……と、彼が口を開いた。
(つまり、これは……)
もしかして~。
否!
もしかしなくてもっ。
(まだ、あーん♪……をあきらめてなかったのかッ)
往生際が悪い!
「あんた、執権だろッ」
「そう。私は、カマクラ幕府初代執権・北条時政」
フゥっと口の端 を持ち上げた。
「ゆえに私は全てを望む。このカマクラの地も、日ノ本も。日ノ本全土が我が庭であるならば、此の庭に生きとし生けるあらゆる生命が私のものだ。無論……」
艶やかに眼を細めた。
「お前も、揚げ出し豆府もな」
………………
………………
………………
(なんなんだよ~、その理屈~)
つか★
(俺と、揚げ出し豆腐を同列に並べるなっ)
「どうした?ほら、早くしろ。……あーん♪」
………………だ~か~ら~。
どうしてこうも往生際が悪いのだッ、この執権はッ!
(んな恥ずかしいコト、絶ぇー対ッ!やらない!)
やりたくない!
叫びを上げたい衝動をグゥッと押し殺す。
(がまんだ……がまん)
ここで理性を失っては、彼の思う壺である。
これまでの経験からいって。
「時政様……」
小さく呼びかけると、彼は視線を起こすかわりに、更に口を大きく開いてみせた。
あからさまな催促である。
カチャン
不意に食器のぶつかる音が、毅然と整えられた食卓に響いた。
(これは……)
なんだ?
……とばかりに、時政は眉をひそめた。
「俺の、ほしいんだろ?」
時政の膳には、鮮やかな九谷焼の器の中、箸のつけられた揚げ出し豆腐……否、揚げ出し豆府が一つ。
「だったら。俺の、あげるわ」
………で。
「俺の揚げ出し豆腐あげたから、時政様のは俺が貰う」
鮮やかな九谷焼の器の中。
まだ箸のつけられていない揚げ出し豆腐に、みつ輝は箸を通した。
パクリ
一口大に切り分けて口に入れると、つゆと豆腐の優しい味わいが広がった。
(美味しい……♪)
時政様の揚げ出し豆腐であっても、揚げ出し豆腐に罪はない。
誰のものであろうが、美味しい揚げ出し豆腐に変わりない。
箸で器用に切り分けて、もう一口……
みつ輝が揚げ出し豆腐を味わおうとした、その時。
グイッ
その手を妨げる腕が、揚げ出し豆腐を持つ箸を止めた。
「それは、私の揚げ出し豆府だ」
「ハァ?なに言ってる?これは、俺の!」
揚げ出し豆腐!
「ちがうぞ、みつ輝」
尚も。
屈強な腕は、揚げ出し豆腐を己が口に運ぼうとする箸を持つ手に逆らって、みつ輝ごと引き寄せる。
「私はお前の箸から、揚げ出し豆府を食べたいのだ」
「んな事、最初っから分かっとるわッ」
百も承知。
「それを阻止するために、交換揚げ出し豆腐したんだろうがッ」
「交換揚げ出し豆府は、交換日記とはちがうぞ。甘酸っぱい愛がない」
「愛など不要!揚げ出し豆腐には、出汁のきいたあんさえあればいい!」
しかし、往生際の悪い腕は尚も力強く、みつ輝を手繰り寄せる。
「あんよりも愛だ」
緋色の双眸をすぅっと細めた。
「お前の愛を私に捧げよ」
さぁ……と。
たくましい腕の力に、揚げ出し豆腐が吸い込まれていく。
だが、ここで負けてなるものか!
力を込めて踏みとどまる。
(これは俺の揚げ出し豆腐)
あーん♪などしない!
(この揚げ出し豆腐は死守だーッ)
「みつ輝。なぜ機嫌を損ねている?」
「ハ?俺はいつも通りだけど?」
「そんな事はない。そうでなければ、お前は『あーん♪』を喜んでしてくれるだろう。私が豆腐ではなく、豆府だと主張しているからか?」
はい~?
「これは大事なことだ。食物に『腐』の字を使うなど、許される事ではない。ゆえに、豆腐は豆府が正しい」
「んな事、どうでもいいわ!」
「揚げ出し豆府が、お前の好物なのは知っている。だからこそ、土産に選んだ」
……って、否定はしないけど~。
この状況で胸を張るんじゃないッ、執権!
「『あーん♪』をしたからといって、心配する事はない。お前の食べる分の揚げ出し豆府が減る訳ではないからな」
フウッと、時政が緋色の眼を細めてみせる。
「お前にも、私から『あーん♪』をしてやろう♪」
………………
………………
………………
「いらんわーッ!」
絶叫した俺に、一体どんな罪があるという。
「みつ輝。やはり、おかしいぞ。敬語も忘れている」
それならば……
バンッ
懐から取り出した懐中時計を、殊更よく見える位置に置いてやる。
時は暮 れ六
酉 の刻
「俺、残業しないので」
午後六時である。就業時間は定時まで。
右筆 ……
所謂 、カマクラ幕府の記録係の職務は終業だ。
接待もいたしません。
今宵の夕げは、京都 への出張から帰って来た時政様が、自分のためにわざわざ土産を買ってきてくれたというから、厚意に甘えてご相伴 している。
京土産は、当地では名の知れた老舗の揚げ出し豆腐。
まさか、揚げ出し豆腐がこれほどまで波紋を及ぼすとは★
話が逸れたが、今は就業時間外だ。
従って、敬語は使わない。
これまでも、そうする事を時政様は許可してくれていたはずだ。
「あぁ、もうそんな時間だったか。失念していた。それで拗ねていたのだな?」
「はい~?」
一体なにが分かったというのだ、この人は?
「今まで放っておいて、すまなかったな。今宵は存分に満足させてやろう。お前に……」
チュッ
艶やかな唇が不意に耳朶をかじった。
ほろり、と……
反動で、揚げ出し豆腐が箸からこぼれ落ちた。
「夜伽 を命じる」
………………よ、
………………よ、
「夜伽って!」
つまり、それは~~ッ★
「たっぷり種付けしてやる。ヒクつく可愛い蜜壺で、我が雄しべを味わい尽くせ」
種付けって★
つまり、それは……………
(セックス)
俺が、時政様の……そのっ、所謂アレを………
だから、そのっ。
(時政様の雄しべ)
固く張りつめて、大きくなった時政様のを、大事な後ろの蕾に挿入して、腰を振ってハァハァ悦ぶやつだ。
「やらない!」
「ヤるのは私だ。お前は、脚を開いていればいい」
「だから、やらない!」
「四つん這いに這う方が好みか。指でかき混ぜてグズグズにほぐした蕾に、後ろから激しく抜き差ししてやろう。好きだろう?激しいのは」
「だから、やらないってば!」
「手持ち無沙汰なら、胸の小さな実を弄るか。みつ輝の可愛い雌しべを弄ってもいいぞ?」
人の話聞けよッ!
(俺は人前でオナニィ……)
……うっ。
その、自分を慰めたりなんかしないからなっ。
つか。
「俺についてるのは、雄しべだ!」
断じて、雌しべじゃない!
ましてや、可愛くもない!
「可愛いぞ。今宵も私に先っぽの皮を剥かせろ」
「言うなッ!」
ちゃんと剥けとるわッ。
…………………………半分くらいは。
(とにかく★)
今は暮れ六
酉の刻
そういう話をする時間じゃない。
「……俺じゃなくたっていいだろ」
ふと口をついた言の葉に、小さな棘が灯る。
「京 の……」
言いかけて、口をつぐんだけれど。
「なんの話だ?」
問われてしまえば、口は続きを紡ぐしかない。
否、俺は望んでいたのか?
胸の奥、一番暗い場所に沈んだ淀む思いをさらす事を。
「京の姫との夜は良かったか」
「お前……」
時政様が、あからさまに眉をひそめたけれど。
吐き出してしまった黒い感情は、止まらない。
「皆が噂している。時政様が、京の姫と夜を共にした」
男女が夜を共にして、なにもないなんて……考えるほど、子供じゃない。
「時政様を忘れられない姫は、契りの証として……」
更なる黒い感情が開きかけた……
その時だった。
ゴゴゴゴゴオォォォゥォオーッ
なんだ?
なにかが迫ってくる。
邪心に満ちた、不吉な………
時政様を傷つける、悪意の《思念》
「去れ!邪悪!」
みつ輝が時政の前に立ちはだかったのと、屋敷の木戸が薙ぎ倒されたのは、ほぼ同時だった。
御簾 が切り裂かれる。
しかし、それは迫り来る邪悪な《思念》の所業ではない。
御簾を切り裂いたのは、みつ輝の意志だ。
………暗器・姫に捧ぐ刺献華
袂 から取り出した筆の鋒 をもぐ。
筆管が柄となり、無数の針が氷柱 と化して折り重なって、刀剣を形成した。
獲物は捕らえた。
手応えは確かだ。
つぅっと……刺し貫いた氷柱の先端から赤い雫が滴り落ちた。
「眠れ、深紅 い夢に堕ちろ」
ぽつん……
氷柱が紅の波紋を描く。
しかし。
「なぜッ」
なぜ、崩れ落ちないッ。
針の氷柱は標的を突き刺した。
なのに………
(なぜ、まだ生きている)
「………ならばァァァーッ」
敵を貫いた暗器ごと、力任せに持ち上げた。
「沈めてやる!」
時政様に楯突くものの生死は問わぬ。
ただ潰すのみ。
それが………
(カマクラ幕府・御家人の役目)
執権・北条時政様に仕える者の………
「務めだァァァァーッ!」
切り裂かれた御簾が舞う。
暗器の先、暗闇の中に潜む巨体を持ち上げた。
グゴゴアゴォォォーン!
地響きが轟く。
風圧で切り刻まれた御簾が棚引く。
ヒヒィィィーン!
けたたましい馬の嘶 きが鼓膜を裂いたのは、その時だった。
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