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Ⅰ グッド・バイ①

斜陽が瞼を射した。 暁の火を溶かした空は、いつの間にか傾いている。 歩き続けて辿(たど)り着いた場所は、やっぱりここだった…… ドロップのような夕陽が浮かんでいる。 空のそこだけ、ぽっかり穴が空いている。 オレンジ色で、くり貫いた穴。 空に突き刺さるビルヂングも、落ちゆく陽の行方は邪魔できない。 木立に引っ掛かった太陽は、水面(みなも)を朱に燃やしていた。 玉川上水。 あなたが去って、もうすぐ十年になりますね…… この街も様変わりしました。 轟音が空を裂き、米軍機が飛んだ夜。 大空を焼き、大地を焼き、街が焼かれ、家が焼かれ、人が焼かれた。 首都・東京は、なんにもなくなってしまった。 戦争が終わり、年月は流れ、再び人が集まり、街に行き来するようになりました。 バスも走りました。 電車も走りました。 夜は街灯が街を照らします。 ニョキリ、ニョキリとビルが生えて、人を見下ろすようになりました。 どうですか、今の東京は? 「太宰先生」 便利になるだろう。 住み良くなるだろう。 けれど。ふとすれば、何かを置き忘れているような気になった。 俺はきっと、置き忘れた何かを取り戻しに来たのだ。 あなたが最期に歩んだこの場所で、何かを取り戻したいと願った。 そうして、捨ててしまいたいと思った。 矛盾する思い けれども願った。 あなたは何も置き忘れずに、辿り着いたでしょうか。 水の下の世界は、どうですか? 「……問いかけたって」 面識がある訳ではない。 生前の太宰先生とお会いした事は、一度もない。 多感な思春期に彼の著書と出会って、勝手に傾倒しているだけだ。 「それでもあなたは、俺の言葉を聞いてくれますか」 ビリリッ 鞄の中、おもむろに(つか)んだ原稿用紙を一枚、破った。 この川の流れの中に破って捨てる。 「また落選です」 もう一枚 また一枚 破った原稿を川に捨てた。 (何度目だろう。作家を志して、懸賞に応募して、そうしてこれが何度目の落選だろう) ビリ ビリィ ビリリ ビリ せめて、敬愛するあなたに読んで欲しい。 そう願いながら、俺は捨てている。 この川の流れに あなたが命を捨てた場所だから、俺も捨てているんだ。 そう自分に言い聞かせて、原稿を破った。 ………………瞬間。 ドォオオオゥゥーンッ! 頭上の木立が、一斉に羽ばたいた。 まどろみかけていた鳥たちが、上空に飛び立つ。 太陽が墜落した。 激震がのたうつ。 「地震ッ」 ドン ドン ドォォォーンッ 震動は鳴り止まない。 頭を覆って、身を伏せる。 木がしなる。凪ぎ倒れる。 頬に木片が飛んできた。 数センチ横の地面に、木が突き刺さっている。 折れた角度が少しでも違っていたら、直撃していた。 (こんな大木が) 頭の上から落ちてきたら……と考えると、ゾッとする。 運が良くて、重傷。 運が悪ければ…… 死 俺っ、新人作家の登竜門の懸賞だって、まだ受賞してない! もしかすると、次に書く小説が大賞に輝くかも知れないじゃないか! 若い身空で。 こんなところで。 志半ばのまま。 「死にたくないんだーッ!」 逃げなければ。 なのに体が動かない。 鳴りやまぬ大地の鳴動が、地面に体躯を縛りつける。 ドン ドン ドォォォーンッ! 鳴動が迫る。 まるで、押し寄せる大きな足音のようだ。 ドン、ドン、ドォォォーンッ! ドウォォォーンッ! ふわり、と…… 体が宙に浮いた。 なんという揺れだ。 大地にしがみついていられない。 ……………… ……………… ……………… って~! ちょっと待てーッ。 いくら大地震でも、体が吹っ飛ぶほどの揺れなんて聞いた事ないぞー! …………………………じゃあ、なんで。 (俺の体は宙に浮いてるんだろう) 足、地面についてないよな? そぅっと瞼を開けた。 射し込んだのは、金色(こんじき)の波。 朱色の太陽を背に、棚引く黄金の髪が目に飛び込んだ。 呼吸が止まる。 間近にある、それは…… 深海の瞳 蒼の深淵に、意識が吸い込まれる。 彼は……… この男は……… (だれ?) 俺はどうしてこの男に、いわゆる……そのっ。 (お姫様抱っこされてるんだー!) いや、それもそうだが。 それよりもっ。 どうして、この男……………… 「全裸なんだーッ!」

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