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Ⅱ パンドラの匣④

どうして? メロスは、よけなかったんだ。 卓越したお前の運動神経なら、かわすのは簡単だったはずだ。 なのに。 「どうして、メロスっ!」 コカトリスの(クチバシ)をその身に受けたんだ。 ぽたり、ぽたり 暮れた大地に赤い影が落ちる。鮮血の描く影が、ゆらゆらと川縁を濡らす。 胸から噴き出したと思われた血だったが、辛うじて致命傷は避けていた。しかし、脇腹に突き刺さった嘴の裂傷は浅くはない。 「良かったな」 「何がだッ」 笑うなよ。血の気の失せた唇で。失血でフラフラじゃないか。 しゃがんだメロスが影を拾う。 「ほら。汚しちまって悪ィな」 …………………………これ。 「俺の原稿」 破って川に流したはずの、一枚の原稿だった。 (にじ)んでもう、文字も読めないのに。 こんなもののために。 こんなに必死で。 なんで、守るんだ。俺の捨てたものを。 原稿に触れた震える手を、大きな掌が包んだ。 「お前の大切なものは、俺にとっても大切だ」 そんなの理由にならない。 お前が傷つく理由にならないんだよ。 「俺は、お前を!」 バサバサバサァァーッ 「飛ぶぞ」 コカトリスが漆黒の翼を広げた。遺伝子操作して産まれたキマイラは、飛行をも可能にした。 黒い翼が天を覆い、巨体が持ち上がる。 空に飛んだら、メロスの超運動能力をもってしても術がない。 空へ逃がしたら…… 地上の地獄が蓋を開ける。 俺も…… メロスも…… 殺される。 俺はメロスを守れない。 イヤだ! 「俺は、お前を守りたい!」 刹那。 風が吹いた。 風は破れた原稿用紙を空に巻き上げた。 ピィギャアァァーッ 原稿がコカトリスの両目に張りつき、視界を奪う。 視覚を奪われた翼が、バランスを崩して失墜する。 「ナーイス!さすが俺の伴侶だ」 メロスの右足の蹴りが羽をもいだ。続く左足の蹴りが、コカトリスの後頭部を直撃する。 ブクブクブクブクー 水泡煮えたぎる川の底にコカトリスが沈んでいく。 地獄に還っていく。 (………メロス?) なぜ、メロスは川岸に上がって来ないのか。 川から上がらなければ、コカトリス共々メロスも地獄に沈んでしまうじゃないか。 さらり 金糸が棚引いた。 「俺はキマイラを引き寄せる」 深海の瞳が、空に残った朱の斜光を仰いだ。 「帰るわ。お前とヤれなかったのは、心残りだけどな」 なんでっ。 なんでそんな事、言うんだ。 「俺はお前と一緒にいたい!」 「俺は地獄と隣り合わせだ」 一緒にいたら、お前を危険な目に遭わせる。 交錯する思い。 俺、やっと分かったんだ、メロス。 封印が解けたのは、愛するものを失ったからじゃない。 封印とは、ほんとうは……

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