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十六 長い髪
店じまいをし、夕餉を終えてもまだ、清之介は戻って来なかった。
私はなんとなく嫌な想像しかできずに、やきもきしながら清之介の帰りを待っていた。
連れ戻された? それとも、例のお大尽に何か……清之介を気に入っていたと言っていたしな……。
と、私は絵を描こうにも集中できずに、自室をうろうろと歩き回ったり、片付けなくてもいい紙の山の端を揃えたりして時間を潰すことしか出来なかった。
しかし、私一人の静寂は、軽く戸を叩く音によって破られた。私は急いで障子を開き、雨戸をがたがたと外して庭を見遣る。
「……清之介」
「うん、遅くなってごめん」
縁側からいつものように母屋へと上がってきた清之介を部屋へ招き入れると、火鉢のそばを薦める。
行灯の明かりに照らされた彼の姿を見て、私はほっと安堵した。そして、少しばかり様子が変わっていることに気づいた。
「髪、切ったんだな」
腰のあたりまであった黒く艶やかな長い髪を、ばっさりと短く切って一つに束ねている。それだけで、随分と身軽になった様子だ。
「うん。宗兄が、あのままじゃいかんだろうって髪結床へ連れて行ってくれて、その後祝いだって菊兄も出てきて飯を食ってたんだ。俺の髪は、またどっかに売っぱらうってさ」
「そうだったのか。そうだな、あれだけの見送りでは寂しいものな」
「ううん。あれでもよかったんだけどな」
清之介は少し微笑むと、火鉢の上に手を翳して指先を暖めた。地味な着物を着て短い髪をしていても、清之介はやはり常人離れした雰囲気をまだまだ醸し出している。
「宗兄が、今まで俺が稼いだ金を持って行けって言ってくれたんだけど……断ったんだ」
「そうか。うん、それがいいと私も思うよ」
「良かった。本当に身一つなんてさ、旦那が嫌がるんじゃねぇかって菊兄に言われたんだけど」
ほっとしたように笑う清之介の笑顔に、私も思わずつられて微笑む。
「ああいう稼ぎ方をした金は、もういらねぇんだ。……まぁ店のために使ってって言ったんだけど、あの二人の酒に消えそうだったよ」
「そうかい」
私は文机に頬杖をついて、にこにことそんな話をする清之介を見ていた。一時期はひどく宗次郎の態度が冷たかったことや、私に相当な額の金銭を支払わせることについて気に病んだという話をしながら、清之介はじっと赤く燻っている炭を見下ろしている。
「旦那がああ言ってくれたこと、本当に嬉しかった。俺をあんなふうに認めてくれる大人がこの世にいるなんてさ、信じられなかったけど」
なつ江との会話をやはり聞いていたらしいことに、私は少し照れくさくなった。しかし清之介はこちらにきっちりと向き直ると、指先を揃えてぴたりと私に頭を下げる。
「おい……」
「俺、頑張る。……拾ってもらったこの恩を、ちゃんと返せるように頑張るよ」
「……あぁ、期待しているよ」
「これから、お世話になります。よろしくお願い致します」
「承知している。……というか、そう堅苦しいのはやめてくれよ」
もぞりと尻の痒くなるような居心地の悪さを感じて、私は思わずそう言った。そんなに大層なことをしたという実感は、私にはないのだから。
顔を上げた清之介は、にっこりと素直な笑顔を浮かべて身体を起こす。
その笑顔があまりに眩しく、そして可愛らしく。私は少しばかりどきりとしていた。
「おいで、清之介」
「……うん」
利き手を伸ばしてそう誘うと、清之介は少し頬を染め、嬉しそうな笑みを浮かべて近づいてきた。肩に触れ、そのまま抱き寄せると、清之介はやんわりと私の腕の中に収まる。
まだまだ華奢な身体を抱きしめて頭を撫でてやると、胸の中でくすりと笑う声がした。
「あったけぇ」
「うん……」
「これからも、たまには俺を抱いてくれるかい?」
「え?」
「たまにでいいんだ。旦那が、そういうことしたくなった時だけでも。……嫁さんが来るまではさ」
「嫁、ねぇ……いつになることやら」
「俺、旦那とくっついてるのが好きだよ。そんなつもりで俺を買ったんじゃないってのは分かってる。けどさ……なんかこうしてると、あったかくて幸せなんだ」
「清之介……」
今まで他人にそんなことを言われたことのない私は、また思わずどきりとしていた。その言葉に嘘がないことくらい、今の私にもはっきりと分かる。力の抜けた清之介の身体の重みを受け止めつつ、私はこくりと頷いていた。
「……いいよ」
「ありがとな、旦那」
「変わってるな、お前も」
「そうかい?」
「もうこんなことしなくていいようになったのに。進んで私に抱かれようとするなんて」
「俺もそう思うんだけど」
清之介は少しばかり身を離して、じっと間近で私を見つめた。潤んだ大きな瞳はどこまでも透明で澄んでいて、なんとも言えず美しいと思った。
「この間のことが、忘れられねぇんだ。俺を抱いてくれただろ」
「……うん」
「あんなに気持良かったの、初めてだったから」
薄暗い部屋で、間近に迫られながらそんなことを言われて、私の心臓はますます鼓動を激しくする。
手が自然と清之介の頬に触れ、つるりとした肌を撫でる。親指がその下唇に触れた時、清之介は薄く唇を開いて私の指を咥えた。
目を閉じて、丁寧に私の親指を舐める小さな濡れた舌の感触や、指を通じて糸を引く唾液の光沢に私はくらりと目眩を覚えた。誘惑されていると頭では理解していても、沸き上がってくる衝動に負けて、私はそのまま清之介を畳の上に押し倒していた。
指を絡めて畳に押し付けながら、彼の唇を、舌を吸う。膝で清之介の着流した着物を割り、足を開かせる。
徐々に呼吸を荒くする清之介の口を塞ぎ、思うまま舌を絡ませているうち、この間清之介を抱いた時の記憶が身体に蘇ってくる。
「はぁっ……。はぁ……」
ようやく唇を開放してやると、清之介はとろんとした目で私を見上げて息を整えた。つうっと唇の端を唾液が伝うのを、私は指で掬い取る。
「……接吻だけで、こんなになるのかい」
私は硬く立ち上がった清之介の若い根に触れて、そんなことを囁いていた。恥ずかしそうに目を逸らす清之介の表情を見下ろしていると、むくむくと征服欲のようなものが湧き上がり、もっとそんな表情を見たいと思った。
「ぁあっ……っ……!」
すでにとろりと濡れたそれを手の中で擦ってやると、清之介はびくびくっと身体を縮ませて悶えた。ぎゅっと目を閉じたその目尻に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「かわいいな……お前は」
「んっぅ……っん……!」
「もっと声を出していいんだよ。雨戸は閉まってるし、誰にも聞かれないから」
そう耳元で囁きながら、ぺろりと舌先で耳の穴を舐めると、清之介はまた大きく身体を震わせる。
「……気持ちいいのかい」
「……うん……っ……」
「もう、出してもいいんだよ」
「あっ……はぁっ……! でもっ……俺ばっかり……」
「そうやって、感じているお前を見ているのも、私は楽しい」
「……ぅんっ……はんっ……!」
耳は特に弱いらしく、苛めているうちにぽろぽろと清之介は涙を流し始めた。私は彼の手を握りしめたまま、今度ははだけた胸元に舌を滑らせる。すでに固くなっている胸の突起を吸い、舌で転がすと、清之介は身を縮めてまた大きく悶えた。
「あっ……! 待っ……!」
「いいから……」
「あんっ……! んっ……ぅっ……!」
とろりとした感触が、私の掌の中に広がる。熱い清之介の体液を感じながら、私は顔を上げて清之介の表情を見下ろした。恍惚とした表情で涙を流している清之介を見ていると、また心臓が大きく跳ねる。
「……清之介」
「ごめん……おれ……」
「いいんだよ、何回でも出してご覧」
「旦那……」
「二人の時は、名前で呼ぶんだ」
「うん……」
私は清之介の帯を解いて身体を全て晒させると、細い腰から腹、胸まで指を滑らせた。まるで陶器のような艷やかで肌理の細かい白い身体に、行灯の明かりが陰影をつける様は、耽美的で美しく、見惚れてしまう。
「きれいだな……」
「あんまり……見ないでくれよ。恥ずかしいだろ」
「何を恥ずかしがることがあるんだ」
そう言って唇を寄せる私の首に、清之介の腕が絡まった。襟から差し込まれる清之介の手は熱く、汗ばんでいる。
水音を立てて舌を絡ませていると、清之介の脚が私の脚に絡まってくるのを感じた。再び興奮を得ている彼の身体を撫でながら身を起こし、私は彼のもので濡れた指を、ゆっくりと清之介の中に挿し入れる。
「んはぁ……っ……! あぁ……!」
膝の裏を掴んで脚を開かせながら指を出し入れすると、清之介は顎を反らせて身悶えした。行き場のない白い腕で顔を隠すようにして、清之介は声を殺そうと歯を食いしばっている。
「清之介……私を見なさい」
「ふっ……ぁっ……! 貴雪……っ」
「お前の顔が見たいんだよ。……さぁ」
「や……っ! 見るなって……!」
私は清之介の膝を肩に担ぎ上げて身を寄せると、顔を隠していた腕を外して再び畳に押し付けた。利き手は休むことなく清之介の身体を解しつつ、その蕩けそうな表情をじっと見下ろす。
「たか……ゆき……っ……! 見ないでっ……」
「いやらしい顔をしているね……清之介」
「あんっ……んっ……! そんな……静かな目で……見ないでくれよっ……」
「恥ずかしいかい」
「うん……っ……」
「そう」
指を増やしていくにつれ、清之介は大きく喘いだ。それでもすんなりと飲み込まれる私の指が体内で蠢く度、彼の根からはまたとろとろと白い体液が流れ出て白い腹を濡らしていく。
「あぁ……あ……!」
なんと淫靡な光景だろうかと、私は興奮に痺れた頭で清之介を苛め続けた。私の身体も、彼の身体に入りたがっているのが痛いほどに分かる。
今まで何人か吉原の女を抱いたこともあったが、こんなにも私に触れられることに喜び、涙を流してまで私を求めるものはいなかった。皆男に慣れて、快楽をどこか諦めた様子で享受する彼女たちとは違って、清之介はどこまでも貪欲なまでに私を欲しがる。
その姿はひどく、私の身体を猛らせた。
「たかゆき……早く……」
「ん?」
「挿れ……いれて……くれよぉ……」
「指じゃ満足できないか」
「ちが……っ……たか、ゆきにも……気持ちよくなって……ほしい、から……」
喘ぎながら途切れ途切れにそんなことを訴える清之介を、愛おしいと感じていた。艶かしく動く腰に誘われるように、私は指を抜いて清之介の上に覆いかぶさった。
「そんなに、欲しいか」
「うん……欲しい、欲しいよ……。もっとくっつきたいんだよ……」
「どうして私なんだろうな」
「分かんねぇよ……でも俺……貴雪のこと、大好きだよ。ずっとずっと、そばに置いて欲しいよ」
「……清之介」
「貴雪、もっと俺を……お前だけのもんにしてくれよ……」
清之介の目から涙が伝う。私は胸がつかえるような、言葉に出来ぬほどの切なさが胸の奥から沸き上がってくるのを感じながら、硬く熱くなった自らのものを清之介の身体にあてがった。
「お前はもう、私のものだ」
「うん……うん……」
「ずっと……私のそばにいなさい」
「あぁ……! うっ……!」
繋がりあった身体が熱い。つい先日清之介を抱いた時よりももっと強烈な快感が、私を喰らい尽くすように襲い掛かってくる。
私は無我夢中で腰を振っていた。肉をぶつける度に揺れる清之介の身体と、甘い悲鳴、濡れた肌が私の興奮をどこまでも煽る。
彼の喘ぎを食らうように唇で口を塞ぐと、さらに清之介の中はぎゅっと締まって私を離そうとしない。涙を流しながら腰をくねらせる清之介の動きにも誘われるように、私は一層深くまでその小さな身体を突き上げる。
「あ、あぁ……! はぁっ! はぁっ……!」
「清之介……中に出していいか……」
「んっ……! んっ……いい……よ……っ」
「ぁ……っ……うっ……」
どくどくと高鳴る心臓の音が、私自身の耳にまで届いてくる。私の体液を最後まで飲み干そうとするかのように、清之介の脚がぎゅっと私の腰に巻き付いている。
荒い息を整えながら、その細い肩口に顔を埋めた。すると清之介は、半ば脱げかけた私の着物の隙間から腕を差し込み、背中にしっかりと絡ませた。濡れた肌と肌が、火照った身体を溶かし合う。
「……貴雪」
「……ん?」
「なんでもねぇ……」
「……はは、どうしたんだ」
「俺と……身請けするって決める前に俺とこんなことになってたら、考えも変わってたかな……。最初にここに来た晩に、無理やり俺が貴雪とこうなってたら、俺をもらってなんてくれなかったよね……」
「さぁ……どうかな。考えたこともないよ」
私は再び肘をついて上体を起こすと、とろんとした目を少しばかり赤く腫らしている清之介を間近で見つめた。
「私がただの客の一人になっていたら、ということだろう?」
「うん……」
「まぁ……そうかもしれないね。二度も三度もこちらから呼んでまでお前を抱こうとは思わなかったと思う」
「そっか……」
「どうしたんだ、そんなことを急に言い出すなんて」
涙に濡れた清之介の顔を指で拭ってやり、その額に唇を寄せながらそう尋ねると、清之介はつるんとした腕を私の首に絡ませてこう言った。
「……こんなふうに、誰かと居て安心できることなんかなかったから、そうならなかった時のことをつい考えちまうんだ。もしこの話が明日なくなったとしても、平気でいられるように……」
「そうか。……まぁその気分は、分からなくもないが。でもお前を、今更手放すつもりはない」
「ほんとう?」
「あぁ、本当だよ。ここでお前は学んで、働いて、大人に成るんだから」
「……うん」
清之介は、嬉しそうに笑った。その笑顔の可愛らしさに私も思わず顔を綻ばせ、頬に貼り付いた黒い一筋の髪をよけてやる。
そっと額に、まぶたに、頬に、そして唇に唇を触れる度、清之介はくすぐったそうに笑った。また一筋、涙が頬を伝う。
笑い泣きの表情も、何よりも美しい。
私はそう、思った。
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