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終 通う想い
店に戻り、住まいの方へと通してもらう。
いそいそと火鉢に火を入れたり、湯を沸かしたりしてくれる清之介を眺めながら、部屋を見回す。大して物が増えた様子もなく、至って整理整頓の行き届いた部屋だった。
「若い男の一人住まいとは思えぬ片付き方だな」
「貴雪みたいに、絵を描く趣味もないからね。物も増えねぇし」
「一人の時は何をしてるんだい」
「勉強だね。みんな、俺が若いからって色々と書物を貸してくれるから」
床の間の上にあった風呂敷包みをめくり、清之介は渦高く積まれた書物を私に見せた。組合の者たちともうまくやっている様子が見えて、私はまた一つ安堵する。
「すっかり落ち着いたな。安心したよ」
「貴雪も、良かったじゃねぇか。ちゃんと嫁さんもらえてさ、跡継ぎも生まれるんだから」
「まぁね」
熱い茶を啜りながら、私はふうと息を吐く。初めて出会った頃から感じていたことだが、やはり清之介といると力が抜ける。妻と二人でいるときよりもずっと、しっくりとした空気が私の身体を緩めていくようだった。
「一人暮らしは、寂しくないかい」
「うーん、慣れるまではちょっとな」
「すまないね、一人でこんな遠くへやってしまって」
「何言ってんだ。俺が本家にいたら、ややこしいだろ」
清之介はいたずらっぽく笑うと、形の良い唇を引き締めて笑った。行灯の火が揺れる度、清之介の潤んだ瞳が、さっき見た星のようにきらきらとと揺れる。
「……ややこしいか」
「ああ、そうだよ」
そう言って、清之介は私ににじり寄ってくると、膝立ちになって私の首に両腕を回した。ぎゅっと抱きついてくるその背中に手を添え、腰を抱き寄せる。
あの頃よりはしっかりした身体つきなれど、それでもまだまだ痩身な清之介を抱きしめて、私は久方ぶりに深く息ができたように感じていた。
「……清之介」
「来てくれて嬉しいよ、貴雪」
「うん……」
「赤ん坊が生まれたら、また忙しくなるんだろうなぁ」
「そうだな」
清之介との関係は、私が妻を娶ったことで終わったような気がしていた。女将である妻への、節度を欠かさぬ一貫した礼儀正しい態度は感心であったが、その距離感に寂しさを感じていたのも事実だ。
「あぁ、あったけぇ」
「うん……あったかいな」
「貴雪……寂しかったんだよ、俺。今度はいつ、俺の所に来てくれんだろうって女々しいこと考えてた」
「……そうか。平三の話じゃ、言い寄る娘も多いようだが?」
「女はまだ、怖い。あの時のことが、どうしても……」
大外藩主の貫田にされたことが、まだ澱のように清之介の心の中に沈殿していることを知り、私は思わずはっとした。あの事件のあと、貫田はすぐに強制的に国へ帰され、二度と江戸へは出てこれないようになったと聞いている。
「怖い夢をみる?」
「……いや、大丈夫だよ」
「本当か?」
「うん。……でも、貴雪とくっついていると、やっぱり安心する。気持ちがいい」
「そうだな……」
私は清之介の首筋に手を添えて少し身を離すと、久方ぶりに間近に見る清之介の目を覗きこんだ。清之介は微笑み、私の首に腕を巻きつかせたまま、そっと唇を寄せてきた。
初めは触れるだけ。暖かい体温が、薄い皮膚越しに伝わってくる。乾いてさらりとした唇の感触、柔らかさに触れ、あまりの心地よさに私は目を閉じた。
こうして肌を合わせるのは、数年ぶりであろうか。私はぐいと清之介を引き寄せ、そのまま畳の床に押し倒す。少し驚いたように目を見開く清之介を見下ろして、私は彼の頬を撫で、首筋から着物の襟口に手を差し込み、そのままもう一度口付けた。
酒のせいか、高揚のせいか、差し込み触れた清之介の肌は熱い。肩口から着物を滑らせて肌を顕にすると、白く艶やかで瑞々しい肉体が掌の中でかすかに震える。
「たかゆき……」
「ん……」
「まだ俺のこと……抱けるの?」
「何でだ」
「俺はもう、二十だ。……陰間としてはもう潮だぜ」
「お前はもう、陰間じゃないだろう。それに……あの頃と違わず、すごくきれいだ」
「……おかしな人だ」
そう言って、清之介は笑う。私も笑みを返して、今度はもっと深く深く舌を絡ませていく。
暖かく、何故だか安らぐ。
それは懐かしくも、愛おしい感覚だった。
畳の上に押し倒して見下ろした、清之介の少し大人びた顔立ち。見上げるその目つきが、昔よりもずっと妖艶になったことに気づく。
あのまま藍間屋にいれば、きっと菊之丞以上に男も女も虜にできたであろうな……と、私はふとそんなことを考えた。
気づけば清之介が私の上になっている。袴を解かれ、清之介はどこか急くように私の着物を剥いでいく。私はそんな清之介の姿を眺めながら、されるがままになっていた。
「う……っ」
清之介の口の中で愛撫され、私は思わず声を漏らした。妻にはこんなことをされたことがあるはずもなく、久方ぶりの強烈な快感に私は息を呑む。
わざと音を立ててそれを咥える清之介の姿に酔い、彼から与えられる痺れるような快楽に私は思わず仰のいた。
我慢ができずにすぐ果ててしまった私の体液を飲み干した清之介は、身体を起こして満足気に笑う。何だか気恥ずかしくなった私は、顔がかぁっと熱くなるのを感じた。
「……気持ちがいいかい?」
「あぁ、こんなの……久しぶりで……」
「もっと……気持良くなろうよ、貴雪」
前をはだけた清之介が、私にぎゅっと抱きついてくる。肌と肌で触れ合う心地良さに、私は追い立てられるように清之介を強く抱きしめ、畳の上にその身体を横たえた。
「貴雪……嬉しいよ、俺……」
「え……?」
「あんたのそばで……こうしてまともな人間になれた……それだけじゃなくて」
私の指が体内を弄ぶことに息を漏らしながら、清之介は手を伸ばして私の頬に触れた。
「こうして……また俺を抱いてくれる、なんてさ……。俺……っ」
指がさらに奥へと割り込むことに、清之介は頬を朱に染めて反応する。とろんと潤んだ瞳、薄く開いた紅い唇、快楽に浸りきった清之介の淫靡な表情は、なんとも言えずいやらしく、そして美しかった。
「はぁっ……はぁ……。もう……こんなこと……してくれるわけないって……思ってたから」
「そんなことはないよ。そりゃ……妻子ある身になるんだ、お前とこんなこと、してはいけないのかもしれない……でも」
私は指を抜き、蕩けそうな表情をして私を見上げる清之介の額に唇を寄せた。汗ばんだ額からまぶた、頬、唇へ触れながら私はゆっくりと清之介の中へと身を沈める。
「あっ……!! あぁああ……」
清之介が身悶える。脚を開いて私の首にしがみつきながら、清之介は荒い呼吸を繰り返した。
「でも……私はお前のことを、いつでも大切に思っているよ」
「……っんっ……本当か……ぃ」
「ああ、本当だ。清之介……」
「あっ……あっ……!」
熱い身体だ。私の全てを欲しているのが何故だか分かる。
「痛い……か?」
「少し……でも……いいんだ。もっと痛くしてくれてもいいんだ……」
「すごく……熱い」
「貴雪……っ。もっと、奥まで突いてくれよ……遠慮なんて、しなくていいんだ……」
「でも」
「もっと欲しい……貴雪……もっと深く……怪我したっていい、あんたのことを……この身体が忘れないように……」
「……清之介。お前は」
妻のことも、生まれてくる我が子のことすら、忘れていた。
私は無我夢中で清之介を抱きながら、涙を流して私を求める清之介の身体に心底酔いしれていた。
誰かのことを、こんなにも愛おしいと思ったことはなかった。
金と引き替えにその身を買い受け、知識を与えて育て上げたこの若者を、私は何よりも慈しみ愛していることに気づく。
何度も絶頂を迎えては限界を叫ぶ清之介を、私は無理矢理に何度でも抱いた。獣のように四つ這いにさせて、背後から思うまま腰を振った。濡れた肌のぶつかり合う音が響く小さな部屋の中で、何度も、何度もその身体に熱を注ぎ込んだ。
乱れ狂う清之介は、何よりも美しい。真っ白な肌を朱に染めて、この寒空の中で玉のような汗を流して喘ぎ、快楽に悶える華奢な肢体。
「はっ……は……はぁ……」
「……貴雪」
「ん……?」
呼吸を整えながら、畳の上に散る二人分の着物の上に寝転んでいると、清之介がそっと私に身を寄せてくる。その肩を抱き寄せ、私は短くなった清之介の黒髪に頬をすり寄せる。
「……貴雪」
「なんだい……?」
「大好きだよ、貴雪……昔と、何も変わらない」
「……清之介」
まだ声変わりもしていなかった頃、私にそう呟いた清之介の声が蘇る。私はぐっと胸を掴まれるような思いを、目を閉じてしっかりと受け止めた。
そして、昔は返答しなかったその言葉に、今夜は想いを伝え返す。
「……私もだ」
清之介が驚いたように目を瞬かせたのが、睫毛の動きで肌越しに分かった。
そして、みるみるその頬が熱くなっていくことも。
「……そっか」
小さく呟く清之介の声。私はその肩を抱く手に力を込めて、また強く抱き寄せる。
しんと冷えた暮れの夜。
ちらちらと雪が降り積もる音が、聞こえてくるような気がした。
私は目を閉じ、ただただ今ここにあるもう一つの体温を大切に感じようと、息を潜めた。
終
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