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二十 それから

 それから五年の月日が流れ、私は周囲の勧めを断り切ることも難しくなり、ようやく妻を娶った。  妻は、同業の者の三女である。その生家は由緒正しき呉服屋の流れであったのに、吉原を生業とするような胡散臭いこの店に、よくもまぁ娘を嫁にやろうと思ったものだと感心してしまう。  そこの店主との付き合いは、両親の代から細々と続いていたのだが、私が吉原を出入りしている割には浮いた噂がないことが、店主の心を決めさせたらしい。それに、当の三女が私を見て気に入ったというのだから、話は早かった。  そして、祝言の話が進むと同時に、胡屋は品川方面へもう一つ店を構えることとなった。それはこの縁談のお陰で進んだ話であり、両親が成し得なかった二つ目の店を持つという夢を、奇しくも私が叶えることとなったのである。  そして、その店舗は平三と清之介に預けることと決めた。  清之介はあれから、めきめきと商才を現した。学問に励み、回りの大人に教えを請い、持ち前の明るい気性も手伝って、彼は組合の中でも認められる青年へと成長していった。平三は平三で、生真面目な性格で着実に力をつけ、清之介の影響か客あしらいも上手くなり、二人は胡屋にとってなくてはならない若者へと育ったのだ。  私はそれが、誇らしくて仕方がなかった。  清之介、齢二十。平三、齢十七。まだまだ未熟な二人ではあったが、私と紋吉が代わる代わる顔を出しながら、商売が軌道に乗るまで二人を支えていくことに決めた。若い感性でその店を育てていって貰いたいと願って。  平三は帰る家があるが、清之介にはそれがない。そのため、品川の店には二間続きの居住空間を作り、清之介はそこへ住まわせることになった。  清之介の実家と呼べる場所は、本家胡屋の私の母屋である。しかし当然のことながら、妻を迎えるにあたり、年頃の清之介が一緒にそこへ住まう訳にはいかない。  清之介もすぐさま同意し、品川の店を護るためにも自分がそこに住むのがいいと言った。店が完成してすぐに、清之介は私の元を離れていった。  紋吉家族と清之介との暮らしが、妻とのふたり暮らしへと変化して、私ははじめ寂しさを覚えずにはいられなかった。せっかく奥さんが来たのだから、とお土岐が私への口うるさいおせっかいをやめてしまったことも、寂しかった。  ろくに知りもしない女との暮らしに慣れねばならぬと腹をくくるうち、妻はもっとこの暮らしに対して緊張していることも分かった。胡屋の女将としての仕事にも不慣れ、男との暮らしにも不慣れなのでは、私がわがままを言っている場合ではない。  徐々に夫婦らしくなりはじめた矢先、妻が子を孕んだ。私は齢三十にしてようやく、父親となることへの覚悟を決めねばならなくなったというわけである。  ✿  とある日、私は品川の店へと出向いていた。  徐々に客も増え始めていたため――といっても清之介目当ての若い女の客が多いのだが――、昼間は忙しい時間が過ぎていく。清之介は丁寧な口調を崩さず、そういった女の客たちとの距離をしっかりと保っているように見える。さすがにしっかりしているなと、私は感心しながら平三とともに帳場で金勘定をしていた。 「そろそろ締めようか」  季節は師走、日はとっぷりと暮れている。娘のために帯留めを求めて帰っていった最後の客を見送った後、私はそう言った。 「はい」  清之介と平三は揃ってそう言うと、てきぱきと店じまいをし始める。ここには、まだ奉公人を雇い入れてはおらず、大概の事はこの二人でやっていた。最後に金の勘定を私に見張られながら済ませ、今日の仕事は終了である。 「町が正月でばたつく前に、二人にご馳走しなくてはね。よくやってくれているから」 「え、でも女将さんがお待ちでしょうに」  私の申し出に、平三がすっかり低くなった声ですかさず遠慮する。私は笑う。 「悪阻(つわり)がひどくてね、今は実家へ帰しているんだ。この時期は忙しいから、お土岐さんの手も借りられないし」 「そうでしたか」  金庫の錠前をかけて戻ってきた清之介を見て、平三は言った。 「だってさ。たまには旦那さまともご飯が食べたいね」 「うん、そうだね。ここの所一人飯か、平ちゃんとばかりだものな」 「なんだよ、不服げじゃないか。清ちゃんがここいらの女の子を突っぱねなきゃ、楽しい食事だってできたろうに」  軽く頬を膨らませながらそんなことを言う平三を見て、私は驚いてしまった。 「お前も、そういうことに興味が出てきたのかい」 「いやだなぁ、僕ももう十七ですよ、旦那さま」  はにかみながら平三はそう言って、肩をすくめる。清之介は笑いながら、「これはという娘さんがいたら、俺だって考えるさ」と言う。 「清ちゃんはそうやって、いっつも余裕なんだからな」  若い二人のやり取りを眺めながら、私も笑った。仲良くここまで成長した二人を見比べていると、不意に五年前に清之介がうちにやってきたばかりの頃を思い出す。  十五にしては小柄で、まるで女のような容姿をし、凄みのある目つきをしていた。そんな清之介も、今ではすっかり穏やかな目つきになった。背丈も伸びたし、身体つきもしっかりしてきた。これもひとえに、紋吉に鍛えられたおかげであろう。  しかし今でも顔立ちははっと目を引くほどに美しい。すっと通った鼻梁に、はっきりとした二重瞼の大きな目を縁取る長い睫毛、そして艶やかな白い肌。その容姿と柔らかく丁寧な接客で、女性たちを虜にして離さないらしい。  一方平三も、清之介と一緒になって紋吉に剣術を習っていたため、清之介以上にがっしりとした身体つきに育った。幼い頃から商家の生まれで食うには困らない生活だったためであろうか、ここへきて平三はぐっと背丈も身の厚みも男らしく増している。  しかし帳簿を眺めるときにかけなければならない眼鏡や、ちんまりとした可愛らしいつぶらな瞳は変わることがなく、彼はそれを気にしている様子ではあるが、至って明るい性格の青年へと成長した。  落ち着いた清之介と、屈託のない商人らしい明るさを待つ平三という取り合わせは、なかなかうまく働いているようだった。  +  その晩、私は二人を連れて縁のある料亭へと出向き、二人の労をねぎらった。  そこそこに酒も飲めるようになった二人ともに語らいあうのはとても楽しく、ついつい酒が進んでしまう。ほろ酔い気分で店を出て空を見上げると、冴え渡った夜空に星がきらきらと瞬く。師走の夜の帰り道というのに、まるで寒さを感じなかった。 「ご馳走様です、旦那さま」  またしても二人は声を揃えてそう言った。まるで双子のようだ。 「篭を呼びますか? 本家の方へ戻られるんでしょう?」 と、平三が気を利かすのを、私は手を挙げて制した。 「いや……いささか酔いすぎたよ。今日は品川の店に泊めてくれないか」 「ええ、もちろんいいですよ」  清之介はにっこりとほほ笑む。平三はちらりと私達を見比べてから、いつもの様に笑顔を見せてぺこりと一礼した。 「では、僕は帰りやす。また明日」 「うん、気をつけてな」  たたっと身軽に駆けていく平三の背中を見送っていると、清之介がふっと笑うのが聞こえた。白い息を吐きながら、私を見上げる。 「女将さんがいないうちに、羽根を伸ばそうってか」 「まぁ、そういうことさ」 「うちでも呑むかい?」 「いや、もういいよ。しかし、お前のほうが酒に強くなるとはね」 「俺、ほとんど飲んでねぇよ。酒が強いのは平ちゃんだけさ」 「もっと飲みたいというかと思ったけどな。お前の住まいに帰って飲み直そうとかさ」 「あぁ……。気を遣ったんだろ」 「何に?」 「平ちゃんは、知ってるんだ。俺と旦那がどういう関係かって」 「えっ!?」  私は心底仰天した。おかげで、ほろ酔いだった気分がいっぺんに覚めてしまう。清之介は苦笑して、歩き出した。 「……な、何故」 「見たことがあるんだってさ。旦那、たまに蔵の整理を手伝わせてたろ、俺に」 「あ、ああ……。まだ、お前が来たばかりだったから、色々見せて知識をと……」 「それっていつも、店が終わった後だったろ。蔵の中は暗いし、音もしないからって……何回かそこで」 「あ、うん……そうだった」  昔の痴態を思い出すのは、なんとも罰の悪い思いであったが、私は素直にそれを認める。 「平ちゃんさ、おっかさんから差し入れを持って行けって頼まれて、店に戻ってきたことがあったんだって。そしたら、蔵からぼんやり明かりが見えたから、そっちへ差し入れを持っていったんだと。そしたら、そういうことさ」 「……なんてことだ」 「俺が座ってる旦那の上に跨って呻ってるから、体の具合でも悪いのかと思ったらしいんだけど……。なんか様子が違うし……ってんで、後から聞かれたんだよね。その時は声をかけられなかったからってさ」 「……」 「だから言ったんだ。俺は、旦那が大好きで、貰ってもらったことすごく感謝してる。でも、お礼をする方法なんてないから、ああやって気持がいいことをやってるんだって」 「……そんなことを、まだ十二、三の平三に?」 「うん。へんにはぐらかすと、おかしいことになるだろうと思ったし。それに男ってのはそういう知識は速いもんさ」 「……まぁ、そうだけど」 「あぁ、気持ち悪いって言われるかなって思ったけど。平ちゃんはさ、寧ろ感心したみたいに一つ唸ってこう言ったんだ。清ちゃんはきれいだから、そういうこともあるんだなぁって」 「素直というかなんというか」 「旦那さまに虐められてるんだったらどうしようと思ったけど、そういうことならまぁいいやって。……さっき平ちゃん、女のことで俺に文句を言ったけど、本気じゃないのはそのことを知ってるからさ。俺は今でも、旦那のお手つきだと思ってるから」 「……はぁ。そうか。……まぁ、間違いではないし……それにそれを胸に秘めていてくれているようだし……」 「他の人には内緒だぞって、言ってあるから。それを守ってくれていて、俺は嬉しいよ」 「……なんてこった。おかしなものを見せてしまって」 「まぁいいじゃねぇか。実際はここ何年も、何もしてないわけだし。こうして無事女将さんも来てくれたことだし」  並んで店の方向へと歩きながら、清之介は懐手をして襟巻きに顔を埋める。まだ頭ひとつ背の低い清之介を見下ろして、私も懐手をした。 「子ども、いつ生まれるんだ?」 「夏ごろだよ」 「楽しみだね」 「まぁ、そうだね。まだ私には実感がないが……」 「おとっつあんになるんだ。今からそんなでどうすんだよ」 「なぁに、まだまだ日はある。徐々に親になっていくもんなんだろう」 「なるほどね」  二人になった途端砕けた口調に戻る清之介は、店に出ている時とはまるで別人のようだ。さくさくとした江戸っ子口調に戻った清之介を見ていると、何だか嬉しくなってくる。清之介も楽しげに、笑みを浮かべながらさっきよりもずっと饒舌に喋った。

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