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第7話

「和真」  ベッドに横になりながら呼ぶと、和真はわずかに首をかたむけた。 「和真は、祐樹の話をどう思う」 「どう……とは、なにを指しているのですか」 「会話は聞いていただろう?」 「ええ」 「僕が知らなくてもいいことかもしれないって、祐樹が言っていたものに心当たりはある?」 「さあ、どうでしょう」 「どうなんだ」 「それを聞いて、どうなさるおつもりですか」 「どうもしない。思い当たるものがあるかどうかを知りたいだけだ」  和真はすこし考えて「なんとなくは」と答えた。 「そうか。それは、多くの人間が知っているものなのか?」 「どうでしょう。知らない方もいらっしゃいますし、知っている方もいるでしょうね」 「知らなくても問題はないことなのか」 「生きていく上で必要かそうでないかと聞かれれば、知らなくても問題ない知識かと」 「そう……なのか」  掛け布団を肩口まで引き上げられて、美月は天井に目を向けた。 「それを祐樹は知っていて、それが館に来たいと願った理由になっている」  ひとりごちる美月の胸に、やわらかく和真の手が乗せられる。 「考えるのはそのあたりでやめにして、おやすみください。話すと決めた祐樹から説明を受けるまでは、考えてもわからないままですから」 「和真」 「はい」 「どうして和真は、僕の護衛なのに祐樹を呼び捨てにしているんだ?」 「不快ですか」 「そうじゃない。僕のことも呼び捨てるだろう。それは、僕がオメガだからか。ベータよりも低い存在だからって思っているのか」 「そういうわけではありません。それなら、こんな言葉遣いにはならないでしょう?」 「それは、そうかもしれないけど……どうしてなのかが気になるんだ」 「いままでは気にもとめなかったのに?」 「言いたくないの?」 「そういうわけではありません」 「じゃあ、答えてくれ。答えてくれたなら、眠るから」  しかたありませんねと言いたげにため息をつかれて、美月はちょっとムッとした。額に大きな手が乗せられて、髪を撫でられる。 「護衛である前に対等であると、俺たちは教えられているんですよ」 「対等? 護衛のベータが」  そうですと、ゆっくりと首肯される。 「どちらもアルファに雇われているものと言えば、わかりやすいですか」 「僕たちはまだ、引き取られてはいないよ」 「ですが、ここはアルファたちの献金で運営されています」  美月が口をつぐむと、和真が苦笑した。 「納得できませんか」 「……」 「たしかに、護衛は天使たちが好きに扱っていいものとされています。そういう教育をされているから、対等と言われても納得ができないことは理解できます。ですが、そうなんですよ」 「対等なのに、護衛戦の賭けで取引をされたりするのか」 「それはアルファが許可をしているだけで、天使たちが制度を作ったわけではありませんよ」 「よく、わからないな」  顔をしかめた美月を、和真の指はやさしくあやす。 「ここはアルファの定めたルールの中でだけ、自由なんです。護衛戦はアルファが決めたルール内でおこなわれるゲームと言い換えてもいい」 「ベータはゲームのコマなのか」 「まあ、そうですね」 「不満はないのか」 「どうでしょう。世の中はすべて、なにがしかのルールにのっとって動いていますから。そこに抗い、べつのルールで運営されている場所に行くことは可能ですが、俺は望んでここにいます」 「どうして、護衛になろうと思ったんだ?」 「眠ると約束なされた質問には答えましたよ。もう、お眠りください。俺もそろそろ休みたい。今日の演習は、すこしきつかったので」 「午前中の疲れを、いまだに引きずっているのか。情けないな」 「そうですね。ですがいつ、護衛戦が開催されるかわかりませんから」  ああそうかと、美月は口を閉じた。 (僕をはやく寝かせるためのウソだな)  気づいた美月は、そのウソに乗ることにした。 「勝てそうか」 「どうでしょう。負けないように努力はします」 「和真を賭ける気はないから、安心していいよ」 「そうしていただけると、俺もありがたいです。――おやすみなさい、美月」 「うん、おやすみ」  離れる和真の気配を意識で追いかけながら、美月は目を閉じ答えのない問題を考えながら眠りに落ちた。  声が響いている。うわんうわんと硬く冷たい壁に当たって広がって、聞こえているのに意味が理解できない。それをよく聞こうと耳をすませば、声はさらにぼやけてしまう。知りたいことの答えがそこにある。そう感じるのに声が拾えない。  もどかしくて眉間にしわを寄せ、声に近づこうとすれば意識が浮上し、目が覚めた。  見慣れた天井を視界に映して、意識を眠りの残余に向ける。声のかけらが残っていないか探していると、和真の声がした。 「お目覚めですか」  身を起こした美月は、ふうっと息を吐き出してベッドから降りた。 「お茶の用意をしてまいります」 「うん」  返事をし、顔を洗いに洗面台に向かう。鏡に映った自分に、美月は問いかけた。 (あの声は、なんて言っていたんだ)  眠る前に考えていたから、それらしい声を夢で聞いたのだろうか。あの中に知りたいことがある気がしてならない美月は、じっと鏡の中の自分を見つめた。 「美月?」  準備が遅いと気になった和真に呼ばれて、なんでもないと答えながら身支度を整える。ソファに落ち着きカップに手を伸ばして、いつもと違う色味に気がついた。 「これは?」 「取り寄せた茶葉です。お気に召すかと」 「……うん」  香りはあまりしなかったが、口に含むとさわやかな酸味が広がった。目の覚める味に、美月は和真を見上げる。 「この味は、知っている気がする」 「そうですか」 「なんだか、なつかしいな」  カップをのぞけば、赤い液体にほほえむ自分がうつっていた。美月はそれを飲み干して立ち上がり、部屋を出ると食堂へ向かった。 「それでは、のちほど」  入り口で、和真が言う。 「うん」  隣接している護衛用の食堂に和真の姿が消えるのをながめてから、美月は食堂に入った。 (ずいぶん長くここにいて、午前中は護衛たちが鍛錬をしていると知っていたのに、その間に交流しているだなんて考えもしなかったな)  そもそも和真とそんな会話をしたことがなかったなと考えていると、肩を叩かれた。 「おはよう、美月」 「ああ、祐樹。おはよう」 「朝から難しい顔をしているなぁ。もしかして、寝起きは悪いほうなのか?」 「そういうわけではないよ」 「じゃあ、なんだ」 「ちょっと、考えていたんだ」  ふたりが席に着くと、給仕が朝食を運んできた。クロワッサンにハムエッグ、サラダとヨーグルト、果物が並べられる。 「なにを」 「護衛たちが交流しているということをだよ」  美月は紅茶に手を伸ばし、祐樹はサラダを引き寄せた。 「どんな交流をしているのか気になるんなら、和真に聞けばいいだろう」 「そういうことじゃなくて」 「どういうことなんだ」  カップを置いて、美月はフォークを手に取った。 「護衛がなにをしているかなんて、何年もここにいるのに気にしたことがなかったってことだよ」 「ああ」  クロワッサンをちぎって口に入れながら、祐樹は食堂内のオメガたちを見回した。 「それはでも、美月に限った話じゃなくて、誰もがそうなんじゃないか」 「祐樹もか」 「僕は……まあ、興味があったから秋定に聞いたけど。その前の護衛に関しては、なんとも思わなかったなぁ」 「どうして」 「秋定には興味があるけど、その前の護衛には興味がなかったからだよ」 「どういうこと?」 「そのまんま、言葉のとおりだよ」  卵の黄身にかぶりついた祐樹が、しあわせそうに目を細める。おいしそうな顔につられて、美月もハムエッグに手をつけた。 「前のやつとは護衛と天使っていう立場そのまんまで、それ以上でも以下でもなかったってことだ。だけど秋定とは、なんていうかな……人間と人間って感じなんだよな」 「人間と、人間」 「そ。美月と和真も、そんな感じだろ」  うーんと美月は考えながらサラダを咀嚼し、クロワッサンを口に入れた。 「よく、わからないな」 「そう見える」 「そうか」 「そう」 「なら、そうなのかもしれないね」 「前の護衛とも、そんな感じだったのか?」 「前の……は」  目元を曇らせた美月に、祐樹はすぐに「ごめん」と言った。 「なに」 「いや。思い出したくないことっぽい顔をしたから」  顔中に謝罪を広げた祐樹に笑いかけ、美月は「いいよ」と目を伏せた。 「襲われたんだ」 「え」 「護衛に」 「美月」 「だから、それが原因で僕はしばらく護衛がいなくて。護衛がいないままアルファに誘われたら、どんなことをされても監視の目がないから、なにをされても逃げられない。だから、護衛が決まるまでは誘いを断ってもいいと教官に言われて、それで……まあ、いろいろ……というほどでもないんだけど」 「うん」  クロワッサンをながめたまま、ポツリポツリと自分を語る美月の頬に、まっすぐな祐樹の視線が注がれる。それになぜだか心をほぐされ、美月は朝食に視線を落としたまま説明をした。 「財前さんは、ほかの目がないことが怖いのなら、ほかのオメガたちといっしょなら平気だろうって、僕のほかにも声をかけて、まとめて部屋に呼んだんだ。それが習慣になって、いつの間にか僕は財前さん専用みたいな扱いになって、特別って印象がついて」 「いまに至るってわけか」 「そう……うん」 「なるほどなぁ」  話を聞きながら食べ進んでいた祐樹は、ヨーグルトにとりかかった。 「それでよく、次の護衛を与えられて、受け入れられたな。はじめは、怖かっただろう」 「それは……どうだろう」 「ん?」  和真と引き合わされたときの情動を、美月はそっと心の底から取り出して震えた。 「美月?」 「大丈夫だと思ったんだ」 「なにが」 「和真を見た瞬間に、この人は大丈夫だって」 「へえ」  ひょいと祐樹が片方の眉を持ち上げる。 「運命の相手みたいだな」  おどろいた美月が目をパチクリさせると、ニヒヒと祐樹が口をゆがめた。 「人と人との相性っていうのは、あるからな。そういう相手と出会えるってのは、いいもんだぞ」 「祐樹もそういう経験があるのか」 「そうだなぁ。美月と話してみて、それに似た感じになったかな」  ウインクをされて、美月はドキリとした。 「僕も、そうかもしれない。祐樹とは会話ができると感じたから」 「なら、僕たちは両想いってわけか」 「恥ずかしくないのか」 「なにが」 「そういう言葉が」 「べつに」 「なぜ」 「さあ。考えたこともないな」 「そうか」 「そう」  先に食べ終えた祐樹は席を立たずにいる。自分を待ってくれているのだと気づいて、美月は残りを平らげようと口を動かした。 「いそがなくてもいいぞ。時間はまだあるんだから」 「そういうつもりじゃないよ」 「そう見えたから言っただけで、そうじゃないのならべつに気にしなくていい。僕は食後に、のんびりみんなをながめているのが好きだから、講義にはいつもギリギリなんだよな」 「へえ」  カップを唇にあてて、たのしそうに空間に目を向けている祐樹の横顔に、美月の心はほっこりした。

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