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1.退屈しのぎ
退屈が嫌いな俺はその言葉を聞いたとき何のためらいもなくいいよ、と答えた。
「鵜木くんじゃん、おはよう」
リュックを背負った後ろ姿に体当たりをすると低いうめき声が漏れた。そのあと恨めしそうに振り返り、体当たりした相手を軽くにらんだ。
「おはよう」
文句の1つでも言われるかと思ったが、うめき声のあと聞こえたのは朝の挨拶だった。
つまらないな、と咄嗟に思う。
挨拶に挨拶で返される。当たり前のことをされてもおもしろくない。周りのやつらみたいに文句を言いながらも楽しそう、嬉しそうな顔をしてくれればまだいいものの、表情すら変わらない。
会話が広がりそうな言葉もなく、どうするべきかと思いながらとりあえず隣を歩く。
「鵜木くん部活してるんじゃなかったっけ。朝練とかないの」
我ながらつまらない質問だとは思うがそれ以上にいい質問は思いつかなかった。そもそも相手のことを知らなすぎる。
すぐに答えは返ってこず、こんな質問に何を一生懸命考えているんだと隣で歩く男を見上げる。頭1つとまではいかなくても、真横に立つと思ったよりも離れたところに顔があることに初めて気づく。
そしてその顔が何とも言い難い表情を浮かべていることにも、初めて気づく。
「どういう表情だよ」
「いや、別に」
最初の質問にも2つ目の質問にも大して答えていない上に会話をつなげる意志を感じられない返答に思わずため息が漏れそうになる。
「もう部活はしてない」
会話をあきらめようかと思ったとき、遅すぎる返事はやってきた。そしてそれは思っていたものとは違う。
「そっか」
聞いちゃいけない話だっただろうかと柄にもない反応をしてしまう。しかしすぐにそれじゃだめだろ、と心の中で自分が叫ぶ。
「じゃ、俺と一緒にいられる時間、長くとれるな」
無茶苦茶なことを言っていているとは思ったが、やっぱり頭のよくない俺にはそれ以上にいい言葉は見つからなかった。
「ありがとう」
降って来たのはお礼の言葉と、初めてできた恋人の真正面から見る初めての笑顔だった。
退屈なことが大嫌いだ。何も起こらない日々はつまらない。
だけど残念ながら俺は何かを起こせるような大きな人間でもなく、素晴らしいことを考えつく頭も持ち合わせていなかった。
だから、せめて周りの人に頼ろうと決めて生きてきた。人付き合いは大切にしてきた。
おかげで、自分1人じゃ退屈で何もない人生でも、人といれば楽しくて退屈しない新鮮な日々を送れるようになった。
だから、初めて告白されたのが無表情な男でも、何か新しいことが待っているかもしれないとためらいもなくオッケーした。
「鵜木くーん、一緒に帰ろう」
付き合い始めて数週間が経った。相変わらず鵜木陣という人間はよくわからない。
告白された翌日見た笑顔で興味を持ち、一緒にいる時間が徐々に増えていった。
それにも関わらずあの日以来鵜木陣の笑顔を俺はまだ見ていない。
「声が大きい」
隣のクラスの鵜木を迎えに行くのが日課になっていた。廊下の窓から鵜木を呼ぶと、迷惑そうな顔をしながら、教室の後ろのドアから出てくる。
「はーい。じゃ、またね」
毎日隣のクラスに通ううちに話すようになった、隣のクラスの人たちに手を振る。
ちらりと鵜木の顔を盗み見するが相変わらず表情は変わらない。
鵜木と付き合い始めて数週間。俺はいまだにこの男が本当に俺を好きなのか疑っている。
「なに」
外に出てからも何度か表情をうかがっていた。それがばれたらしく、不機嫌そうな声で聞かれる。
「いやー、鵜木くんは俺のこと好きなんだよね」
「まあ」
短い曖昧な答えだけ返って来て顔はすぐにそらされる。照れてるんだな、かわいいやつめと数日前、一緒に帰ったときに言ったらすごくうっとうしそうな顔をされたのを思い出す。
ここで俺がなにも返さないと多分今日の会話はこれで終了だ。さすがにそれではまずいと何を返そうかと考える。
「手、つないでみる?」
「なんで」
一生懸命考えた返しは一瞬で突き返された。それで終わりかと思ったが鵜木がこちらを不思議そうに眺めているのに気づく。どうやら本当に疑問に思っているだけらしい。
「好きだから」
付き合ってるから、と言おうとした。だけどそれよりもこっちの方がいい気がして口にした。
「嘘つけ」
返って来たのは喜んだ顔でも、俺も、という言葉でもない。あきらめたような表情。
そんな顔をさせたかったわけじゃない。
「なんでそんな」
「そんなこと言うかって? 事実だろ。退屈しのぎ」
怒っているわけではない。淡々とした口調に、悲しみが感じられる。
「鵜木くんが告白したんだろ。付き合ってって。オッケーされたんだから少しくらい期待したらいいじゃん」
「俺は好きだよ。だけどおまえは好きじゃないだろ、別に」
違うと言えない。
まっすぐな気持ちをぶつけられて、嘘の言葉で返せるわけがない。
「告白すればおまえが付き合ってくれるってわかってて言った。退屈なことが嫌いなおまえが、こんなおもしろそうなこと手放すわけがないって知ってた」
俺は鵜木のことがまだ何もわからないのに、鵜木は俺のことをこんなにもわかっている。俺が思っていた通りのことを鵜木が口にする。
「それでもいいから言った。だから無理しなくていいし好きじゃなくていい」
鵜木は少しも怒っていない。そして鵜木は少しも悲しんでさえいない。ただただ諦めている。
「退屈しのぎでも一緒にいられればいいと思った。少しでも長くいられるように退屈にはさせないでおこうとだけ思ってた。それすら難しくて、なんかおまえの方が必死に考えてくれてたみたいだけど」
馬鹿な俺は全部見透かされていることには気づかなかった。
そして馬鹿な俺はこんなときでも、鵜木はこんなに話せたのかとのんきに思っている。
「どうする。退屈しのぎ続けるか」
「おまえしゃべれるじゃん」
「あ?」
ぽろっと思っていることが口に出た。無口だと思っていたがしゃべった。俺の考えなんて全部読まれていた。それすらもおもしろいと思ってしまった。
「むしろおもしろくなってきた。今はまだそういう意味で好きじゃないけど、鵜木くん自身のことは前より好きだな」
「……そりゃどうも」
たぶんはじめて照れた顔を見た。口をとがらせそっぽを向く。
「俺が鵜木くんに飽きるのと、鵜木くんを好きになるのどっちが先かの勝負だな」
「それ普通自分で言うか」
呆れたような声で返ってくる。付き合い始めて数週間、俺はたぶん初めて素の鵜木に触れている。
「手、つないでみる?」
さっきと違って、言葉は何も返ってこない。
ただ、俺より少しだけ大きな手がためらいがちに近づいてきただけ。
END
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