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序章
――悪いことはしていない。これは奇跡の一環。
とある村の、とある診療所にある、病室。
少女がベッドに横たわっている。もう長い間難病を患い、未だ回復の見込みも立たないという。顔色は悪く、哀れなまでに衰弱しているのは、誰にでも見て取れた。
そんな少女を救うのは、横に立つ一人の男。数日前に村を訪れた、旅人だ。職業は流しの薬師なのだと、本人は語っていたという。
彼は村の医師さえもお手上げの病を、治してみせるというのだ。
いつの間にか彼の耳にも届いていた理由は、患者が村一番の富豪の娘ということもあるだろう。村中の話題になっていたのだから必然だったのかもしれない。
そんな彼を半信半疑で見守る医者、彼女の両親。
いぶかしげな眼差しを意に介す様子もなく、自信ありげに男は笑う。
「なあに、ちょっとした奇跡で良ければ、俺がなんぼでも起こしますって。……じゃ、ぼちぼち」
おもむろにトランクから数種の薬草を取り出すと、慣れた手つきで調合を済ませた。
その様子を、焦点の合わないぼうっとした面持ちで眺めている少女に、男は話しかけた。
「お嬢さん、ちょっといい? ――まぁまぁ、俺は怪しいもんじゃないって。君の病状と病名から考えるに、俺が作った薬を飲めば一週間ほどで容態は落ち着くんだけど。話に乗る気はあるかな?」
「……治る、んですか? 私、何か月もこんな有様、なのに」
か細い声。その問いに、男は頷く。
「なんとかなる! 君の意思と、俺の奇跡でな!」
明らかに、胡散臭い。しかし、こんな辺境の村では都会の病院へ行く術を探すことさえ困難だ。藁にもすがる思いとはこのことなのか。覚悟を決めるしかないようだ。
「……わかり、ました。治るなら……。私、この人に頼ろうと思います。それ、お薬なんです、よね? 容態が落ち着くまで、私の為に作って、くれますか……」
男はニッと笑う。実に爽やかな笑み。
「勿論! あ、君が治りたい、まだ生きたいって意思を持つこと。それが一番大事だから忘れないように」
そして、二週間後。
「ああ……、本当に、奇跡ってあるんですね……!」
実際に奇跡が起きてしまった。診療所ではお手上げだとさじを投げられた容態はすっかり落ち着き、それどころかみるみる快方に向かっている。
「本当に……娘を救ってくださりありがとうございます……。何とお礼を言えば良いのか……!」
「医師である私からも礼を言わせてください。あの娘に関しては治る見込みが無いと思っていたんです。それなのに、貴方は容易く治してしまった。ああ、神はここにいたんですね……!」
「いやいや、礼には及びませんって。……ただ、やっぱ奇跡の代償ってのをいただきたいんですけど、ね」
首をかしげる少女の両親、そして診療所の医師。
「あなた方って、この村一番の富豪なんだそうですね。だったら、俺の起こした奇跡に対して対価を払っていただいてもいいかな、と思うんですよね。なーに、財産すべてかっさらうような額をいただくつもりはありませんって。そうですね……」
にっこりと笑み、男は治療費を提示する。その額は、確かに都会の大病院での治療費より幾分安価ではあったが、個人が提示する額としては随分と強気なものだった。
「そ、そんな額を払わせようっていうんですか……!」
「ええ、何か問題が? 勿論、娘さんの薬も出来る限り処方しての提示額なんですが、ね。アフターケアも整ったこの提案。さて、どうします?」
両親は互いに顔を見合わせ、一瞬苦い表情を浮かべた。確かに娘の容態は快方に向かっている。しかし、素性の知れない者に大金をはたいてもいいものか、いやそれでも――。ここは、命を救ってくれたということを、素直に喜び要求を呑んだほうがいいのだろう。
「――分かりました。お支払しましょう」
「ありがとうございます。ああ、そうだ――名乗り忘れていましたかね。俺はトワです。トワ・ナルミ。旅の薬師ですよ。またこの村に来たときに、容態が悪い方がいたら俺を当たればいいかな、と。んじゃ、近々この村も去りますんで。あしからず」
病人や関係者は振り回されるものの、奇跡は具現化し、その実績が証明してくる。どんなに胡散臭いとはいえ、その実力は『奇跡を起こせる者』たる所以なのだろう。
そんな噂が勝手に独り歩きしている彼だが、またこの村でも例にもれず『奇跡』を起こした。
予定通り明日に出発を決め、最後に村の地酒でもひっかけようと思いたったトワは一人バーにいた。
「ホント、病人ってのはどこにでもいるな」
「ははは……お客さん、そりゃあ病気なんて掃いて捨てるほどありますからねぇ」
深夜ということ、客はトワしかいない状況ということもあってか、マスターも話し相手になってくれていた。
「しかし驚きましたよ、あの娘をあっさり治すなんてねぇ」
「いやいや、俺にかかればなんてことないですよ。っははは」
「あんたの腕前で奇跡が起こせるってんなら、うちのバーをもうちょっと繁盛させてもらえんかねぇ」
「いやーちょっと、経営には疎いんで他を当たってくださいな」
カウンターで他愛もない話を交えつつ、酒を愉しんでいたところに、ふと来客を告げるベルが鳴る。
「お。いらっしゃーい」
来客は、女。妖艶さが強く自己主張をして止まないくらいに目立つ。
女は優雅な所作でトワの座るカウンター席の横に来ると、つややかな笑みを浮かべた。
「隣、よろしいかしら?」
これはまた、こんな辺境ではそうそうお目にかかれそうにない、いい女。断る理由なんかどこにも無かった。
「アタシには赤ワインで。この店で一番上等なものをお願い」
マスターにそれだけ告げると、女はトワに向き直る。
「……こんばんは。貴方、おひとり? 旅の方かしら」
「ええ、まぁ。明日には発つんですけどね」
「あら、奇遇。アタシもそんなところね。ここ、避暑には悪くないんでしょうけれど……、住む分には悪環境ね。娯楽がなさすぎるわ」
悪戯めいたウィンクと共に口元を押さえる。さすがに気を遣ってか、小声ではあった。
「こういう酒場があるのは有難いのだけど、他に目立った娯楽がないんじゃあね……っと。お酒、ありがとう。じゃあ、乾杯でもいかが? 折角旅人同士が出会えた縁なのだし」
マスターから差し出されたワイングラスを持ち上げ、乾杯を促す。それにつられるように、トワは杯を交わした。女はワインを口に含むと、肩をすくませる。
「……香りも飛んでいるし、味わいも大味……。そんなに上質なワインでもないみたいね。ちょっと残念……。アタシの名前はシェン。貴方は?」
「俺? トワ・ナルミです。それにしても、あんたみたいな人がなんでこんなとこに? 旅人っていう割には華美な格好ですけど。もしかして、富豪か何かですか?」
「そう見える? でもこれが私服なのよ。それに、旅って言っても足には困らないの。この村だって、歩いてきたわけでもないし」
どうやら相当裕福なようだ。尚更、こんな辺境に来た理由が分からない。親族でもいるのだろうか。
そんな思考を巡らすトワの胸元を、じっと見つめるシェン。そして、くすりと笑んだ。
「あなただって、そのペンダントの宝石……そうね、これはダイアモンドと……あとはオニキスかしら? カラットも大きいようだし、相当な額をはたいたんじゃない?」
脈絡もなく繰り出された話題だったが、恐ろしいことに彼女の予想は全て的中している。革紐こそ中程度の質のものを使ってはいるが、ダイアモンドもオニキスも本物で、大ぶりのものを使用している。正規店で大金をはたいて購入したものだ。
「う……シェンさん、随分詳しいんですね。見事なまでに正解ですよ」
驚いた様子が楽しいのか、シェンはくつくつと笑う。
「ふふ。女は宝石に詳しいものよ。貴方だってそんなモノ持っているんですもの、旅人の割には裕福な方でしょう?」
「そりゃあ、ね。シェンさんはなにを生業にしてるかは知りませんけど。俺は辺境の地を巡っては薬師や……場合によっては医者まがいのことをして金を稼いでるんですよ。
辺境ってのは、どこもかしこも医者が未熟だし技術も拙い。だから俺の知識で治してやってるんですよね。都会じゃ有り余る知識や力量だとしても、こういうところじゃぼろ儲けですよ」
「あらあら、悪い人」
言葉の割には、毒気は無かった。
「シェンさんこそ、そんな派手な格好やらいきなり高い酒を頼むやら、それなりに悪いことしてんじゃないんですかね? お互い様でしょうに」
「あら、そんなことないわ。それと、シェンで結構よ。あと、かしこまる必要もないのよ。敬語なんて堅苦しいわ。それにしても……、貴方に俄然 興味が湧いてきちゃった」
その笑みは妖艶極まりない。更に男なら誰も息を飲むであろうグラマラスな体型が、質の良さそうなカクテルドレスに包まれてもなお目立っている。
「今夜一晩お相手してあげてもいいんでしょうけど……、アタシも忙しいから、ごめんなさいね。その代り」
すいっ、とハンドバッグから一枚の紙切れ、封筒を差し出した。じっと、トワの目を見つめて口を開く。
「アタシの街に招待してあげる。
アタシの城、アタシの創り上げた不夜城。貴方はきっと満足するわ。
街は徹底された歓楽街。住人には、金さえ払えば好きにしてくれていい。……でも、一週間しか滞在できないから、注意して。
来るか来ないかは、貴方次第。……待っててあげるけどね」
歌うようにそう告げると、女はワインを一気に煽り立ち上がった。
「そろそろ帰らないと。……じゃあね」
女はすい、と立ち上がり、優雅な所作で立ち去った。
入口の閉まる音。残されたのは、トワと紙切れ、封筒。
「……お客さん? さっきからどうしたんですかい?」
マスターに声をかけられ、はっと我に返るトワ。
「いや、シェ……さっきの女性、綺麗でしたよね、って」
「女? いやだな旦那、ずっと一人で飲んでいたでしょうに。酔いが回ったかねぇ?」
「……えっ」
どういうことだ、と隣を見やると、さっきまでシェンが飲んでいたワインのグラスはどこにもなかった。マスターが片付けたわけでもないというのに。
狐につまされたような思いをしつつ会計を済ませ店を後にし、宿で改めて紙切れを見る。それは、シェンの『街』への招待状だった。
「『城塞都市ジェム・特別招待状』……か」
封筒の中には、恐らくジェムという街への行き方などが記載された案内状でも入っているのだろう。
まだ、行ったことのない街。
もう何年もこんな旅をしているが、最大にして最高の歓楽街であるという、ジェムの噂は時折耳にした。しかし、いかんせん情報がどれもあやふやだったり人によって内容が異なったりと、トワにとっては出来の悪い都市伝説にしか思えなかった。
まさか、実在するなんて。
――これは、行ってみる価値がありそうだ。
久々に、面白いことになりそうだ。今までの『奇跡』を起こしてやった褒美と取っていいだろう。
トワは、ジェムを目指すことにした。
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