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第9話 赤い鴉(2)
【グリフィス】
グリフィスは奥院の食堂にいた。そこから隠し通路を行くと、かつて使われていた水路がある。古い時代のもので、今は忘れ去られているこの道は迷路のように複雑で、対侵入者対策もされている。
そして何より、ユリエルがいる聖ローレンス砦へ行くには一番適した脱出口なのだ。
「これより城を脱出する。目的地は聖ローレンス砦。おそらく一週間以上はかかるだろう。強行軍だ、しっかりとついてこい」
グリフィスの言葉に同行の兵は皆頷く。だが、こうした行軍に不慣れなシリルは不安そうにしている。
「あの、やはり僕は足手まといでは」
「そんな事を言っている場合ではありません、シリル様。貴方を無事にユリエル様の元へ送り届ける事が、我々の使命です。何をしても貴方だけは、無事に辿り着いていただかなくてはなりません」
そう伝えてもシリルの不安は拭えず、むしろ増したように見える。俯き揺れる瞳で、手を握りしめている。
「大丈夫、必ずお守りいたします。ですから……」
「そんな堅苦しい言い方しても、緊張するだけだよ。ねぇ、シリル殿下」
戸口で突然した軽い声に、グリフィスは弾かれたように顔を上げ、シリルの前に出た。
その目の前、食堂の戸口には男が一人壁に背を凭れて立っている。赤い髪を揺らし、紫の瞳をこちらへ向け、口元に軽い笑みを浮かべて。
「誰だ」
「第二部隊の元副隊長で、レヴィン・ミレットと申します。俺もこの作戦、参加させてくれませんか?」
なんとも軽い感じで近づいてくるレヴィンは、まったく警戒も緊張もしていない様子だ。
だがグリフィスは警戒を怠らない。
噂で聞いた事があった。第二部隊に風変わりな男がいると。実力は確かだが品行不良。だが、有事の際には必ず活躍する。おべっかを好む第二部隊の隊長のもとで唯一、実力のみで上り詰めた男がいると。
確かに心の見えない感じはある。信用するには危険な男だ。
「第二部隊は城の守りを言いつかっているはずだ。持ち場はどうした」
「それが、正直な事を言ったら隊長の逆鱗に触れちゃって、追い出されましてね。んで、未来のある方へきたわけです」
「正直な事?」
「城はいずれ落ちる。その前に城の人間を避難させる時間を稼ぐのが精々だろうってね。それに、誇りに命はかけられないとも」
苦笑するレヴィンの言いようは少々癪に障る。だが、言っている事も状況判断も正しかった。
グリフィスも、城がいつまでも無事だとは思っていない。兵数が少なすぎる。敵方の兵数も正確に把握はできていない。これで攻城兵器など用意されていたら数時間、もつかどうかだ。
「グリフィスさん、一緒に来てもらいましょう」
「シリル様!」
後ろから服の裾を引かれ、グリフィスは驚いて声を上げる。新緑の瞳がジッと、レヴィンを見ている。
「ここにいたら、この人も捕まってしまうかもしれない。それに、味方は一人でも多い方がいいと思います」
「ですが……」
信用出来る相手かどうかも分からない。裏切らないとも限らない。
だがグリフィスの心配などよそに、シリルは一歩前に出てしっかりとレヴィンを見据えた。
「シリル・ハーディングです。僕はこうした事に不慣れで、正直ご迷惑をおかけすると思います。それでも、一緒に来ていただけますか?」
頼りないまでもしっかりと向き合って言葉を発するシリルは、グリフィスの目にも立派に成長して見えた。愛らしく純粋で、守られるばかりの弟王子だとばかり思っていたが、そうではないと証明された気分だ。
そしてレヴィンもまた一瞬驚いた顔をした後で、笑みを浮かべシリルの前に膝を折り、臣下の礼を取る。その姿にもグリフィスは驚かされた。
「俺ごときで良ければ、どこまでもお供させていただきますよ。シリル殿下」
シリルはグリフィスを振り返り、安堵の笑みを見せる。これにはグリフィスも溜息をつき、頷くよりほかになかった。
【王の執務室より】
シリル達が無事に城を脱出したとの報告を受けて、王は安堵の息をついた。その傍らには先程レヴィンと離していた老齢の男がいる。
「おそらく城は落ちる。奴を城から出した途端にこれだ。私は彼女に呪われたのかもしれないな」
王が思い出していたのは、ユリエルの母の事だった。彼女は美しく聡明で、正しい女性だった。
その彼女との約束を違え、才能ある子を退けた罰が下ったのかもしれない。
「お前も逃げなさい、ダレン。なにもこんな老いぼれに付き合う事はない。お前には息子達を頼みたい」
「陛下は?」
ダレンと呼ばれた初老の男が気遣わしげに問う。そんなダレンに、王は静かな瞳を向けた。
「王が勤めを果たさず逃げるなど、民に示しがつかぬ。府抜けの王となったが、その位の矜持は持ち合わせているつもりだ。なに、そう易々とこの首、くれてやるつもりはない」
王はしっかりと頷き、柔らかくわらう。僅かに諦めを含むものだった。
「ユリエルを頼む。アレは敵を作りやすい。きっと動きが取れなくなるだろう。お前が助けてやってくれ」
「……畏まりました」
丁寧に礼をして、ダレンはその場を後にした。
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