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第10話 脱出路(1)

 タニス国は国境線にばかり兵を集中させたことで王都の守りは甘くなっていた。そこを、ルルエ国は狙っていたのだ。  あえてラインバール平原に注目を集め、撤退と進軍を繰り返して兵を離れられないようにした。  その一方で時間をかけてタニスの商人を買収し、兵を送り込んでいた。変装をさせて一般人として潜伏をさせ続けて一ヶ月以上。そして今宵、機は熟した。  ひっそりと準備していた攻城兵器によって王都外門を破ってから三時間で、城は陥落した。  抵抗していた第二部隊の大半は戦死したが、城にいただろう人間はほぼ逃げた後だった。    そして王は抵抗も虚しくルルエの手に落ちたのである。 【シリル】  その頃難を逃れたシリル達は、王都から続く古い地下水道を進んでいた。  水道といっても使われなくなって百年は経つ。既に水もなく、細く入り組んだ道がどこまでも続いている。  この水道はユリエルがいる聖ローレンス砦にほど近い廃教会まで続いているという。そこからは山越えになるかもしれないそうだ。 「シリル様、大丈夫ですか?」  先頭をゆくグリフィスが心配そうに声をかけてくれる。ここに入った後、内側から頑丈な閂をして、更に鉄の錠もかけた。それでも油断はできないと、既に三時間以上歩き続けている。  それでもシリルは笑みを見せた。額には汗が浮かび、足はくたびれてよろけそうだが、そんな様子は微塵もみせなかった。 「僕は大丈夫です。それよりも、父上や城の人はどうなったのでしょう」  不安がこみ上げて、思わず口をついてしまった。 「まぁ、落ちたでしょうね」  すぐ側を歩いているレヴィンから伝えられた、とても簡単で軽い言葉。それにシリルは胸元を握る。不安から、苦しくなっていた。  先頭をゆくグリフィスはきつく眉根を寄せている。張りつめた不穏な空気に、シリルは慌てて二人の間に入った。 「大丈夫です! 覚悟はしていましたから。それよりもグリフィス将軍、兄上のところまではどのくらいかかるのですか?」 「この地下水道を抜けるだけで、数日から一週間程度。地上に出てからも状況によっては山を越える必要があります」 「そう、ですか……」  グリフィスの言葉を聞いて、シリルは不安でたまらなかった。予想よりも遠い道のりに、はたしてついていけるのか。既に足はだるく、痛くなってきている。  それでも弱音は吐けない。自分一人が足を引っ張っては、全員が立ち往生してしまう。 「ところで、ユリエル殿下ってどんな人なんだい?」  落ち込んでしまいそうな気持ちを不意に逸らされて、シリルはレヴィンを見た。  軽い雰囲気と口調はこの緊張感の中ではちぐはぐに感じる。けれど張りつめた気持ちに疲弊を感じるシリルにとっては、とても有り難かった。 「兄上はとても頭が良くて、武に長けた人です。とても優しいですよ」 「本当に? 怖いって噂だけど」 「優しいのはシリル様にだけだ。あの方は基本、無能な人間を懐には入れない。完全な実力主義と言ってもいいだろう。出来すぎた方だ、恐れる者も多い」 「そんな事は。兄上はそんな非情な人ではありません。それに、王に相応しい人です」  シリルは否定したが、実際はどうなのか分からなかった。  シリルに対しては優しく穏やかな兄だ。これは間違いがない。けれど他の人の話を聞くとそうではない。潔癖な性格も、強い信念も知っている。それが他人への厳しさになっているのだと思うのだが。 「実力主義か。それは俺には有り難いかもね。ほら、縦社会っていうのは苦手だからさ」  考える素振りを見せるレヴィンは、どこか楽しそうな笑みを見せる。その瞳は不穏な光を宿して見える。 「兄上は僕がいることで、不遇を受けています。それでも僕に優しくしてくれるのです。僕の……唯一の肉親なんです」  母は既に亡い。父もどうなったのか分からない。今確かにいるのは、兄だけになってしまった。そこに甘えるのは都合が良すぎるかもしれない。自分のせいで兄の達が場悪くなっているのは、確かな事なのだから。 「では、ユリエル殿下はシリル殿下を恨んでいないのかな? 正直いって、殿下がいなければ自分の地位は盤石なものになるだろ?」  レヴィンの言葉に、シリルは心臓を掴まれたような気がした。考えないようにしていた事だ。それを疑ったら、誰を信じていいか分からなくなる。優しい兄の全てを疑わなければならなくなる。  睨み付けるようにグリフィスが一歩前に出て、手が剣の柄にかかりそうになる。その手を、シリルは必死に抑えた。ここでレヴィンとグリフィスの仲が険悪になってしまったら、きっと良くない事が起こる。閉鎖された場所で、長く一緒にいなければならないんだから。  グリフィスに大丈夫と笑みを見せ、シリルはレヴィンへと振り返る。必死に動揺を隠して、首を横に振った。 「僕が邪魔なら、兄上はとっくに僕を亡き者にしているでしょう。そうなっていないのなら、僕はまだ兄上にとって必要な存在です。……多分」  自分で言いながら、心は冷たくなっていく。兄が自分に優しい理由は、利用価値があるからなんじゃないか。そうでなければただ邪魔なだけで、生かしておく理由がない。それに、兄ならそのくらい簡単にできるはずだ。  不安がこみ上げる。次に顔を合わせた時、兄をまともに見る事ができるだろうか。どんな顔をして会えばいいか、分からなくなる。兄はどう思っているのだろう。肉親として、弟として愛されているのだろうか。 「……疎まれていないと」 「そう、信じます」  レヴィンは疑いの目を向けてくる。対して咄嗟に出た言葉が、シリルの願いだ。信じよう、今はそれしかきっとできない。  鋭かったレヴィンの目が、不意にふわりと和らいだ。途端に空気まで和らいで、緊張が解けていく。途端に泣きそうになってしまった。許された。そんな不思議な安堵があった。 「そっか。うん、信じる事は大事だよね。まずはそこからだし」  レヴィンが申し訳なさそうに笑う。そして視線をグリフィスへと移した。 「そろそろ一度休憩入れないと、俺達ならいざ知らず殿下は倒れてしまいそうだよ。だいぶ距離も取ったんだしさ」 「……そうだな。もう少し行った所に開けた場所がある。そこまでどうか、お待ちください」  重く溜息をついたグリフィスが、心持ち優しくシリルに笑みを向け、次に部下へと檄を飛ばす。  ヘナヘナと倒れそうなシリルの手を、隣のレヴィンが引き上げて、人懐っこい笑みを見せた。 「行くよ、殿下。あと少しだから」 「はい……」  混乱させられて、どこか危険でもあるのに、取られた手はとても温かく力強い。引き上げる手に連れられて、シリルはゆっくりと進んでいった。

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