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第11話 脱出路(2)

【レヴィン】  見通しのいいその場所は、百人程度が余裕で寛げるだけのスペースがあった。しかも侵入者対策用の扉もついている。城側の鉄扉を閉めて閂をかけてようやく、皆が休むことができた。  それでも快適とは言えない寝床だ。石造りの床は冷たくて硬いし、暖は数カ所で焚いている焚き火の炎と毛布だけ。疲労の度合いに対して用意された寝床は最低だ。  レヴィンは周囲を見回し、隅に蹲るシリルを見つけた。  ほんの少し後悔している。どうにも王族というものに良い印象を持たないせいか、必要以上に苛めてしまった。思った以上に傷つけてしまったようで、今では申し訳なく思っている。  仲直り、できるだろうか。そんな想いで、レヴィンはシリルの側へと近づいた。 「眠れないのかな、シリル殿下」 「レヴィンさん」  見上げてくる瞳は弱く頼りなく揺らぎ、顔には憔悴の色が見える。それでも笑みを浮かべるのだから、健気としか言いようがない。少し痛々しいくらいだ。 「ここ、いいかな?」 「あっ、はい」  慌てて答えて場所を空ける。そんな必要はないのに。シリルの左右には誰もいないし、スペースは十分なのだから座りたい放題だ。  避けてからそれに気付いたのだろう。シリルの顔がみるみる恥ずかしげに染まっていった。 「今日は大変だったね。平気?」 「大変なのは僕だけではありませんので。弱音は吐けません」 「おや、健気だね」  目に見えて疲れているのに、それでもシリルは笑みを忘れない。その姿は健気だけれど、同時に哀れにも思えた。 「少しでも寝ておかないと、今後が辛いよ」 「寝ようとは思っているのですが。でも、上手くいかなくて」  それは分からなくはない。神経が高ぶって上手く寝付けないのだろう。それを察していたから、レヴィンはとっておきの物を持ってきていた。 「興奮しているんだね。じゃあ、俺が手伝ってあげようかな」 「え?」  驚いたように見開かれた新緑の瞳が、少しだけ可愛いと思った。年齢以上に中身が幼いように思うシリル。反面、妙に大人びた部分もある。  レヴィンは自分が纏っている外套を折りたたみ、そこに匂い袋を仕込んでシリルの枕にし、荷物の中から小さなリュートを取りだし、爪弾いた。石造りの空間の中、音が響いていく。驚いたように他の者も顔を上げた。  心地よく音を奏で、眠りへと誘う曲を弾く。ゆったりと歌う声は静寂の中に響いた。  シリルは最初戸惑ったようだったけれど、やがてゆるゆると外套を枕に瞳を閉じる。そして数曲が終わると静かな寝息が聞こえるようになった。  沈み込むように眠ったシリルに毛布をかけ、その頬を濡らす涙を手で拭って、レヴィンは申し訳なく笑う。かってが分からず言い過ぎてしまった。辛い思いをした日なのに、余計な心労をかけたことを素直に詫びた。  その場を離れたレヴィンは、感じる視線に顔を上げる。グリフィスが一人、焚き火の側で苦笑していた。 「上手いな、お前。軍人よりも詩人のほうが合っているんじゃないか?」  いつの間にかレヴィンの音楽に聴き惚れた他の兵も眠っていて、起きているのはグリフィスだけになっていた。その側に腰を下ろしたレヴィンは苦笑する。 「俺自身そう思いますけれど、世捨て人になるには俗物でして。欲を捨てられないんじゃ詩人にはなれませんし」 「それもそうだな」  携帯用の食料を少量噛むグリフィスを、レヴィンは観察した。  この人も実に面白いと思う。古くから国に仕える騎士の家柄で、若いながらに実力がある。十代で獅子を狩り、二十代で国一番の騎士となったと聞く。まるで軍神だ。  だがそんな桁の違う相手だというのに、こうして話すと近寄りがたさはない。少々堅苦しいとは感じるが、誠実で公平な目を持つ人物だと分かる。そして多分お人好しだ。 「お前、シリル様に礼を言っておけ」  言われ、レヴィンは首を傾げる。礼も詫びも言うつもりではあるが、この人から言われるとは思っていなかった。 「そのつもりですが、何故?」 「シリル様が許さなければ、俺はお前の同行を認めなかった。正直、信用する自信がなかった」 「なるほど、賢明な判断です」  グリフィスの判断は正しい。レヴィンだって、自分みたいな得体の知れない奴が突然きて入れてくれと言われたら承知しないだろう。  だがそうなると、違う意外性が出てくる。グリフィスはシリルを随分と信用しているということだ。まだ幼く、たよりないであろう王子様を。 「シリル様を随分信用しているのですね」  鋭い視線で問いかけるが、グリフィスはまっとうに取り合うつもりがないのか、視線を合わせない。その眼差しは離れて眠るシリルへ向いている。 「あの方は人の本質を見抜く才をお持ちだ。お前が腐りきった人間ならば、あの方は怯えたまま隠れていただろう。だが一歩前に出て同行を願った。ならば、捨てるには惜しい」 「あぁ、そう」  捨てるには惜しい、か。本人を目の前に隠しもせずに言い捨てるこの人も、思った以上にいい性格をしている。だが、世辞も隠し事もないというのは好ましい。こういう人間は付き合いやすい。 「まぁ、毒はあるだろうな。頼むからユリエル様と揉め事を起こすなよ」 「そこが問題なんですけれど。そのユリエル様って、どんな人なんですか? 正直、顔が色々ありすぎて実体が掴めないのですが」 「そのまま、色々な顔がおありだ。相手に合わせて見せたい顔を変える。だが、あまりご自身をみせない。それに価する相手と思わなければな。そしてどんな相手にも弱みはみせない」  グリフィスの目が鋭く、厳しく、そして悲しげに細められた。 「あの方はシリル様以上に人の本質を見抜く。だが、シリル様のように避けるのではない。悪意も毒も見抜いたうえで食らうんだ。目的や、野心の為に」 「それは……」  少し怖いが、興味深い。毒を毒と知って食らう人間なら、相当の覚悟があるだろう。そういう相手の方が馬が合う。レヴィンもまた、綺麗な生き方などしていない。 「お前は間違いなく、あの方に気に入られる。おそらく目に留まればすぐだ。だが、覚悟することだ。一度でもあの方に加担したなら、逃げる事は許されない。例え地獄に向かっていても、途中で抜ける事は許されないぞ」  怖い顔で念押しするグリフィスに肩をすくめてみせ、レヴィンは苦笑する。  だが、望むところだ。レヴィンもまた、今更天国になんぞ行く気はない。ならばとことん付き合ってみたいものだ。  意外なのが、そんな危険な相手にこの堅実そうなグリフィスが加担していることだ。しかも、分かっていて。 「将軍は、どうして加担しているんです?」  興味本位だ。それに、グリフィスは困ったように笑う。そう、笑うのだ。 「あの人を放っておくことができなくてな」  そう呟いた言葉が妙に、レヴィンの耳に残った。

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