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第51話 手紙

【ジョシュ】  ジョシュは事態の思わぬ悪化に頭を悩ませていた。それというのも、キエフ港の防備を固めるため本国へ海軍派遣を要請したはいいが、その船がこちらへ届かないのだ。 「どうやら、マリアンヌ港沖で邪魔が入っているようだね」  大型軍船ばかりが襲われている事はすぐに分かった。沈められる前に本国へと引き返す事が殆どだが、海路は通れない。無理に通ろうとするとしつこく攻撃をしかけられるそうだ。 「やはり、マリアンヌ港に出ているという海賊を引き込んだか」  ソファーに腰を下ろしたまま、ルーカスが眉間に皺を寄せる。最近顔色もあまりよくない彼は、随分と考え込んでいるようだった。 「まさかだよ。国の、しかも王太子が賊を懐柔するなんて。普通は考えない」 「俺はその可能性を感じていたのに、止められなかった。すまない、ジョシュ」 「気にしない事だよ、ルーカス。それに、進軍の兆しがあると言って戻したのは僕なんだから」  各砦がにわかに騒がしくなり、検問が厳しくなることを恐れてルーカスを呼び戻した。現在も砦の動きは活発化している。おそらく王太子の一声があればすぐにでも兵が出るのだろう。 「増援が望めない以上、現在の兵力で戦うしかない。今動ける兵はどのくらいいる?」 「八千強かな」 「意外と少ないな」 「少しラインバールも活発化しているから、そちらにも兵を割かなきゃいけなくて。動ける軍船は中型十隻。全部商船に偽装してあるし、他国の旗を掲げてる」  そう、現状は思わしくない。  タニス側は王都奪還をアシストするように、ラインバールでの動きを見せている。決して大きくは出ないが、目が離せない程度に騒いでいる。こちらの動きを封じる作戦だ。 「いい材料がないが、相手方は?」 「今のところ、ほぼ同じくらいの兵力だと思うよ」 「囲まれると厄介だが、突破も可能か」  悩ましい表情でルーカスは額に手を当てる。その様子が、本当に痛ましい。  ルーカスは本来、争い事など好まない性質だ。今回の出兵だって、散々に拒んだ。けれど教会がそれを許さず、強硬な姿勢を取った為に仕方なしに奇襲をかける事をジョシュが提案した。 「今のうちに兵を分けて、王都とキエフとで挟撃をかける。これが、定番じゃないのかな?」  あまりに気苦労が絶えない従兄弟に、ジョシュは提案した。定石も定石だが、王都に全ての兵力を集めて籠城するよりは可能性がある。  何よりキエフに人を置いて出港の準備を整えておくことは、退路の確保としての役割もあった。 「王都自体が強固な作りだし、王城は更に守りが硬い。拒むことは可能だよ。例え外に展開されたって、開けなければどうにかなる。幸い備蓄もあるからね。様子を見てキエフの兵で挟み込み、城からも打って出る。これが定石だよ」 「…そうだな。四千をキエフ港に早急に移し、船の準備をさせる。非戦闘員は船に乗り込み、沖へと先に逃がす」  どうやらこの案に乗ってくれるらしく、ようやく顔を上げてルーカスは指示を出し始めた。それにジョシュもまた、安堵していた。 「さて、ルーカスは少し休みなよ。顔色最悪だ。寝れてる?」 「あぁ、あまり気にするな。多少眠りは浅いが、それなりには眠れている」 「でも、いい感じじゃない。君がその様子じゃ、部下も心配する。今はジタバタしてもどうしようもないし、君からの指示は僕がやっておくから休みなよ」 「だが…」 「いいから、休むのも仕事だよ」  渋るルーカスを立たせ、その背を押してジョシュは部屋から出した。しばらくは困っていたようだけれど、扉の前の気配はやがて遠くなっていった。 「ふぅ」  重く溜息をついて、ジョシュもソファーに腰を下ろす。そして、天を仰いだ。  正直、こんなの早く切り上げて国に戻りたい。妻と子供の顔が最近ちらつく。  そもそもこの遠征には反対だったんだ。ラインバールが騒がしくなり、一時奪われそうになって騒いだのは、教皇だった。  「国を脅かす敵を早々に一掃し、真に神の国を建国するのだ」と怒鳴りこんできた時には本当に頭の痛い思いだった。あの時はルーカスがラインバールに指示を出して、状況は好転していたというのに。  奴等こそが国を侵す病巣だ。ルーカスも早くそれをどうにかしたいと思っているけれど、正直難しい。  奴らは教団の内部に巨大な軍を持っている。聖教騎士団は教会直属の部隊で国の言う事は聞かない。軍の運営は教会が全て行い、軍備はお布施や寄付だ。その金額は、国の予算に迫る勢いがある。  聖教騎士団をタニスに派遣する事、足りなくなった兵は信者から集める事を声高に迫り、ルーカスは心労と怒りで爆発寸前だった。だからジョシュが、今回の作戦を提案、実行した。  正直、こんな奇抜な作戦が上手く行くとは思っていなかった。少なくとも、劣勢に追い込まれたラインバールを立て直した手腕を持つ人物がいれば、その思惑に気づくだろうと思っていた。  だが思いに反して作戦は成功した。実力を持つ王太子が王都を離れ、戦の判断に疎い貴族や大臣が国境での騒ぎに怯え、予想以上に城から兵を派遣したのが勝因だった。  だが、やはり王太子が指揮を執ると違ってきた。元々無理な形での布陣だ。要の港を取られでもすれば一気に状況は悪化し、巻き返しは難しくなる。  いっそ港を取られてしまえば、ジョシュも降伏を考える。だがまだ戦っていない現状で降伏などすれば、国に戻って何を言われるかわからない。 「…やめよう」  頭が痛くなることをグルグル考えるのは精神的に良くない。そうしたものは一旦追い出して、お茶でも飲んで落ち着こう。  そう思って立ち上がったタイミングで、扉が硬くノックされた。 「誰だい?」 「ロメオでございます、ジョシュ将軍。手紙を届けに参りました」  ジョシュは重い腰を上げ、扉を開けた。そこには白髪に髭まで白い老人が立っていて、にっこりとジョシュに笑いかけていた。 「やぁ、老将。誰だい、貴方を小間使いのように扱ったのは?」 「いやいや、老骨にできる事はこのくらいですからな。忙しそうにしていた者から、私が預かってきたのですよ」  とても朗らかに笑うこの老人は、疲れた今とても休まるように思えた。  この老将は、古くからルルエ国王に仕えてきた。幼少期、ジョシュとルーカスの剣の指南もしてくれた。現在はほぼ引退しているが、今回は二人の教え子の身を案じて同行してくれたのだ。  ジョシュは老将を室内に案内するとお茶を淹れ、受け取った手紙を訝しく見る。宛名には確かにジョシュの名があるが、こんなものを送ってくる相手に心当たりはない。軍の報告は封筒になど入れない。  裏を返し、ジョシュは固まった。封蝋の印は、教会のものだった。慌てて封を切り、中を確かめる。そこには、憎悪を覚える様な事が書かれていた。 『ジョシュ・アハル将軍  タニス攻略、なかなか苦戦しているとのこと。微力ながら、我らが剣をお貸しいたしましょうか?  国の為、神の為に喜んでこの身を捧げようという尊き者は多くおります。きっと、将軍にとっても、陛下にとっても良き力となりましょう』  何が剣だ。何が良き力だ。戦う力を持たない民を守る為、こうして力を尽くしているというのに!  手紙を持つジョシュの手は震えた。怒りに叫び出したくなる。理性が邪魔をしなければ、そこらにある物を手当たりしだいに投げただろう。 「ジョシュ将軍?」  老将が心配そうにこちらを見ている。その視線を感じて、ジョシュは数度深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。 「どうか、なさったのですか? 教会がまた何か言ってきたのですか?」 「…苦戦するようなら、人をよこすと言ってきた」 「それは!」  老将もまた驚きと怒りに立ち上がる。穏やかな表情が険しくなるのは、見ていてとても心苦しいものがあった。 「奴らがこの国に入れば、何もかも根こそぎ奪われる。それどころかこの国の民は皆、奴隷のような扱いを受けかねない。この国の文化は全て火の中だ。そんなもの、見たくはない」  聖教騎士が一人でもこの戦に加われば、全てを破壊しかねない。奴らは自らの権利を主張するのは目に見えている。後は破壊と略奪があるばかりだ。 「…覚悟を決めるしかないか」  全面的にやり合う事になるが、戦わずに撤退すれば教会が煩い。何より、ルーカスに対する反発が強くなれば国内の情勢が不安定になる。今はルーカスの人気が高く、民も支持している。だが根深い教会がルーカスを攻撃すれば、徐々に人の心は離れてしまう。  全ての責任は請け負う。けれど、ルーカスだけは何としても無事でいてもらわなければならない。ジョシュの覚悟は、決まったのだった。

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