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第52話 それぞれの夜(クレメンス&グリフィス)

【クレメンス】  明日には聖ローレンス砦を出て出兵を開始する。  妙な興奮に心が落ち着かないクレメンスは、砦の自室で酒を飲んでいた。それでも落ち着くものではない。  眠る事を諦めようか、無理矢理にでも眠ろうか。そう思っていると、不意に足音が聞こえた。  妙に堅苦しい規則的な足音には覚えがある。徐々に遠ざかるその足音にフッと笑い、クレメンスもまた剣を腰に部屋を出る事にした。  砦の前庭は兵の訓練場となっている。クレメンスがそこへ到着すると、予想通りの人が剣を手に素振りをしていた。  普段纏う装備をつけず、薄手の服だけの姿は見事なものだ。無理のない筋肉が正しい動きを見せ、力強い動きに変る。若い兵士がこいつを見て目を輝かせるのは、分からなくはないだろう。  ただやはり、律儀すぎる男だ。 「明日には砦を出て、数日後には王都奪還の狼煙が上がるというのに、お前はこんな時間まで訓練かグリフィス」  声をかけるとピタリと動きが止まり、黒い瞳がこちらを見る。僅かに眉がしかめられ、嫌そうな顔をされた。 「眠れなくてな。この方が落ち着く」 「真面目すぎるのもどうかと思うが。まぁ、それがお前らしいのだろう」 「クレメンス、お前はどうしてここに来たんだ」  文句を言いたげに近づいてくるグリフィスに、クレメンスは苦笑する。そして、砦の壁際から草の茂る前庭へと歩み出た。 「部屋で飲んでいたら、お前の足音が聞こえてな。眠れないから、少し付き合おうかと思ったまでだ」 「珍しいな、お前が俺に付き合うとは。組み手にするか?」 「情けなんてかけられたくない。剣を持ってきた、付き合え」  困ったように息をつき、腰に手を当てながらも、グリフィスは向き合う。そして、互いに間合いを測り、互いを読んで前に出た。  グリフィスの剣は重い。一合受けただけで手が僅かに痺れる。それでも、無様に剣を落とすような事はしなかった。 「久しぶりだな、クレメンス。どのくらいぶりだ?」 「士官学校を卒業以来だ」 「随分だな」  余裕のグリフィスは剣を上へと弾く。その動きに剣を取られ上へと腕を上げられると、その隙に深く懐へと入られた。剣を握る腕を掴まれ、それで終わりだ。 「鍛錬は怠けると、すぐに実力に跳ね返るぞ」 「お前ほどの手練れと組むことは殆どない」 「ユリエル殿下やレヴィンも侮れない」 「…あの二人とは正直戦いたくないからいい。手など抜いてはくれないだろう」  拗ねたように言うと、低く「くくっ」とグリフィスが笑った。  剣を納めて座り、クレメンスは息をつく。その隣にグリフィスも座り、互いに空を眺めた。 「皆、寝付けないようだな」 「気持ちも昂っているだろうからな。先ほど、シリル様が歩いて行くのを見た」  少数の兵と共にこの砦に残るよう言われたシリルは、当初不満そうな顔をしていた。戦いに出たいのではなく、皆が心配で離れたくないといった感じだったが。 「シリル様も、落ち着かないだろう。仕掛ける戦というのは、経験がないはずだ」 「落ち着かないのは他にも原因があるだろうが」 「ん?」 「一つはユリエル様。そして一番落ち着かないのは、レヴィンの事だろう」  クレメンスが言うと、グリフィスは実に複雑そうな顔をした。 「レヴィンか」 「大変な奴を気にかけておいでだ。あれは簡単な男ではないぞ」  一見して、レヴィンは普通の者とは違う空気を纏っている。飄々とした一面、おどけた語り口、軽薄な姿。器用で、意外と博識でもある。何かあると思うのが普通だろう。そうした相手は、難しいものだ。 「噂で聞いたが、レヴィンはダレン殿の養子らしい」 「ダレン殿の?」  グリフィスの話に、クレメンスはますます複雑な表情を浮かべる。これは本格的に、怪しい裏がありそうだ。 「ダレン殿は仕事の関係上、多くの孤児を見てきただろう。だが、全て孤児院へと紹介していたはずだ。これが養子に取ったとなると、余計に背景が気になる」 「あまり突くな、クレメンス。誰にでも、探られたくない腹がある」 「シリル様の周囲をうろつくなら、知った方がいいように思うが?」 「それは俺達のすべきことじゃない。必要ならシリル様がご自身でなさるさ」  グリフィスが強い視線で諌めたのは、少し意外だった。心配性のこいつは真っ先に、素性の知れないレヴィンを調べると思ったのだが。  それにしても気になる。レヴィンの養父にあたるダレン殿は、昔内監の長をしていた。王族や貴族の不正を暴き、裁判にかける恐ろしい仕事。その全てを取り仕切っていた。そんな人が引き取った子供だ。何かわけがあるのは間違いない。 「クレメンス」 「…分かっている。だが、それなら何故レヴィンは軍にいる? ダレン殿の仕事を引き継げばよかっただろ」  実際、レヴィンの動きは予想ができない。耳がよく、目もいい。軍人などするよりも、密偵などをする方が適しているように思う。  だがグリフィスは少し考え、沈んだ顔をした。 「ダレン殿は仕事の苦労があった。養子とは言え自分の子に、同じ苦労をさせたくはなかったんじゃないか?」 「それは、そうかもしれないな」  クレメンスもその意見には同意した。自身もまた、父親の仕事を継ぐのが嫌で軍籍に入ったのだから。 「何にしても、そこまでだ。藪を突いて出たのが蛇程度ならいいが、魔物が出るかもしれないからな」 「ユリエル様とか?」 「馬鹿、あの方の腹など探るな。闇に葬られることになるぞ」  呆れた物言いで言われ、クレメンスも苦笑して頷く。確かに、グリフィスの言う事は一理ある。 「さて、眠れぬ夜なら楽しもう。グリフィス、酒を付き合え」 「深酒するなよ」 「のんびり飲んで馬鹿な話でもしていれば、その内眠くもなるだろう。付き合え」  言うと諦めたような苦笑が返ってきて、グリフィスも腰を上げる。そして久々に、悪友だけの酒宴となったのである。

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