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第53話 それぞれの夜(レヴィン&シリル)

【レヴィン】  どうにも寝つきが悪い。流石に明日には出兵となると、気が昂ぶるものか。そんな小物ではないはずなのにと苦笑し、レヴィンは諦めて部屋を出た。  台所に行けば酒の一つもあるだろうと思って歩いていると。不意に光の筋が見えた。あまり人の行かない一室から、揺らめく光が漏れている。  面白半分で近づいてゆくと、そこは小さな礼拝堂だった。  聖ローレンス砦はその昔、兵の育成や人員補充、食料補給の重要拠点だった。その名残で無駄にでかい。そして今目の前にしているこの部屋も、その当時の名残だ。  昔この砦は、戦で死んだ兵を集め、弔う場所でもあったらしい。この礼拝堂はそうした人々の魂を慰める場所。今ではほとんど使われなくなったが。  僅かに開いている隙間から室内を覗くと、そこにはシリルの姿があった。神の像の前に膝をつき、一心に祈っている。  レヴィンは苦笑し、そっと扉を開けて中に入り、シリルの傍へと近づいた。 「眠れないのかい?」 「わぁ!」  よほど集中して何かを祈っていたらしいシリルは、声をかけると驚いて飛び上がる。これにはレヴィンの方が驚いてしまった。 「レヴィンさん!」 「ごめんね、驚かせたみたいで。大丈夫? なんか、疲れた顔してるけど」  蝋燭の頼りない明かりに照らされたシリルの顔は、どこか疲れて明るさがない。屈託のない笑みが魅力的な彼にしては、珍しく思えた。  俯いたシリルは歯切れの悪い感じで「はい」という。だがどう見ても、大丈夫という様子ではなかった。 「眠れないのかな?」 「…はい。とても不安で、心配で」  そう言うとシリルは再びレヴィンに背を向け、神に祈りを捧げる。その後で礼拝堂の椅子に腰を下ろした。レヴィンもその隣に腰を下ろす。 「明日には皆さん、戦いに出るというのに。僕は一人安全な場所で待つしかできなくて。心配で…不甲斐ない気持ちでいっぱいです」  俯くシリルの言葉は、そのままシリルの気持ちだと分かる。  シリルとはここ最近、よく話をする。随分と懐かれてしまったらしい。それも悪くない気分で、障りのない話をしてお茶を飲んだりしていた。 「自分が情けないです。兄上は僕と同じ年には既に軍籍に入り、戦場を駆けていたというのに。僕は何もできません」 「そんな事はないと思うけれど」  確かにシリルは戦力としては役に立たない。ただ、砦の運営という部分では十分な能力があると聞いている。ユリエルとレヴィンがマリアンヌ港へ行っている間、シリルは砦や領の内政処理を手伝っていたそうだ。かなり優秀だと聞いている。  それでもシリルの表情は晴れない。置いて行かれるという事が辛いのだろう。 「勉強ばかりで実践など経験がなくて、こんな時に力になれないなんて。分かっています、戦えない僕が戦場に行っても足手まといになるという事は。でも、それでも…知らない場所で大切な人達が危険に晒されていると考えると、苦しいのです」  ギュッと胸元の服を握るシリルの頭を撫でながら、レヴィンは考える。今まであまり、そういう気持ちを考えた事がなかった。 「平気だよ。殿下の傍にはグリフィス将軍がつくし、あの人強いから」 「兄上の事ばかりではありません。グリフィスさんの事も、クレメンスさんの事も心配しています。それに、レヴィンさんの事も」  真っ直ぐに見つめる新緑の瞳が、レヴィンを捕えて離さない。不意に触れる温かな手は、とても遠慮がちだった。 「レヴィンさんが一番、危険な任務を受けています。単身城に侵入するなんて、無茶です」  これには、苦笑するしかなかった。  レヴィンは単身城へと侵入し、敵に紛れて城の門を開ける役目を負った。これに関しては、むしろやりやすい任務だ。周囲に人がいるよりも動ける。正直、隠密仕事というのも嫌いじゃない。  ただ、この任務を受けた当初からシリルは反対していた。危険すぎると、ユリエルに言い続けている。 「レヴィンさんにもしもの事があったら、僕は苦しいです。兄上はレヴィンさんにばかり、大変な任務をさせているように思えます」 「そんな事はないよ。当たり障りなく溶け込める人材が少ないってだけ。だって、考えてごらんよ。グリフィス将軍はどう考えたって、雑踏に溶け込めないだろ?」 「それは…」  考えて、やがてシリルは破顔した。そして、申し訳なさそうに何度も頷くのだ。 「ごめんなさい、失礼ですよね」 「いいんだよ、本人いないし事実だから。それに比べて、俺は溶け込める。性格的にもさ。そう思うからこそ、殿下も俺に仕事を回すんだ」  少しだけ複雑な表情。けれど、前ほどの苦しさは感じない。  レヴィンはやんわりと笑い、優しく頭を撫でた。 「無理はしないし、考えても無茶な事は自分で言える。俺は国の為に命捨てるような忠義心もないし、誇りもない。ユリエル殿下だって、俺が考えて無理だと判断したなら、無理矢理やらせようとはしない御仁だ。それはシリル様が一番知っているだろ?」 「…はい」  少しの間があって、次には頷く。素直な、ふわっとした笑みは昂ぶる気持ちを落ち着けてくれるようだ。  なんだか、眠れる気がしてきた。レヴィンはくしゃくしゃとシリルの頭を撫でて笑い、立ち上がろうとする。だけど、その手を不意に捕まれた。 「レヴィンさん」 「なんだい?」 「無事に、戻ってきてください。僕には祈る事しかできませんが、毎日祈っています。貴方の無事を」  真剣な眼差しを向けるシリルを見て、レヴィンの胸は僅かにざわつく。こんな目を向けてくる相手は、覚えている限りいなかった。 「有難う、シリル様。大丈夫、戻ってくるからさ」  言って、そのまま部屋を後にしようかと思って、立ち止まった。そして戸口で振り返り、手を差し伸べる。首を傾げたシリルに苦笑し、レヴィンは手招く。 「そろそろ遅い時間だから、部屋まで送るよ」  驚いたような新緑の瞳が、次には優しく緩まり駆けてくるのを見て、レヴィンは思う。絶対に、戻ってこなければならないと。

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