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第59話 王都包囲網(開城戦)
【ユリエル】
ユリエルは真っ直ぐ前を睨みつける。勇ましいファンファーレの音と共に門扉が開き、二千程の兵が出てくる。
兵は途端に動きを鈍らせた。
「数が多い…」
弱気な言葉が飛び交い、不安が広がっていく。ユリエルはそれを耳にし、自身の剣を引き抜いて高らかに天へと突き上げた。
「弱気になるな! 一人が二人、三人と倒せば負ける事はない!」
戦場において不似合いな、よく通る綺麗な声は確かに仲間へと伝わる。そのまま、ユリエルは更に鼓舞するように言葉を続けた。
「戦神ミネルヴァよ、我らが剣に宿り給え! 我らが国を、再びこの手に!」
兵が呼応し、士気が戻る。ユリエルはジェードの瞳を前方へと向け、剣を振り下ろした。
「全軍、前進!」
地が揺れる様な馬蹄の音が響き渡る。真っ直ぐに切り込むユリエル達を迎え撃つように、ルルエ軍は動かない。ユリエルは素早く状況を見て、叫んだ。
「解散!」
「射て!」
ユリエルの声とルルエ兵の声が重なるように響く。
突如前方を守っていた歩兵が身をかがめ、盾を頭上へと持ち上げる。その背後には多くの弓兵が待ちかまえ、一斉照射の構えだった。
ユリエルの声に、後方の部隊は翼を広げた鳥のように二手に分かれて左右に逸れる。中央にはユリエルを含む数名の兵のみが、槍のように三角形に陣を組んで進んだ。
矢の雨が注ぐ。いっそ空が黒くなるような矢がユリエル達へと放たれた。だが、中央から離脱し左右へと難を逃れた兵はそのまま敵を包囲するように囲い始め、矢の嵐を逃れた。
そしてユリエルを先頭にした中央部隊は盾を高らかと頭上へと引き上げ、矢を受け止めている。馬にも鎧を着せた重騎兵は、最初の攻撃を受けてなお進み続け、その中央へと切り込んだ。
「がはぁぁ!」
身を守るように盾を構えていた敵のその盾を馬で蹴りつけ、ユリエルの馬は身を躍らせる。そして、次ぎの準備をする弓兵部隊の只中に立つと次々に剣を振るった。
その姿は戦女神の如くだ。白い衣服に赤が散り、銀の剣が敵を蹴散らしていく。素早い身のこなし、無駄のない動き。その武は圧倒的であった。
「囲われては厄介だ! 周囲を切り崩せ!」
状況を見ていた敵将兵が慌てて声を張り上げる。その声を頼りに、ユリエルは馬の腹を蹴って駆けた。
指揮する者がなければ、集団は崩れるのが早い。こんなもの早く降伏させるに限る。
ユリエルの接近を敵将兵も感じて剣を構える。激しい音が鳴り、敵将兵は馬上から落ちた。転げた敵将兵へとユリエルは迫る。
だが、敵も黙ってやられたりはしない。ユリエルの馬へと砂を掴み、投げつける。これに目を傷めた馬は前へと転び、ユリエルもまた馬を失った。
「タニス王太子、ユリエル・ハーディングと見受ける。いざ!」
ユリエルは敵将兵の剣を受け、僅かに後ろに下がった。体格差としてはユリエルが不利なほど、相手は筋骨逞しい者だ。力技では負ける。一度距離を置いたユリエルは、だがしっかりと見据えて前に出た。
敵将兵の斬撃は確かに重く強い。だがユリエルの動きはとても素早く鋭いものだ。右上から左下へと斬り降ろされる。その剣が触れかという寸前で、身を低く敵の剣の間を縫った。そして、空いた右脇腹を深く切り裂いた。
地に倒れた敵将兵は、傷を手で押さえてそれでも立ったままユリエルを睨む。
その気迫は恐ろしくもあるが、気持ちで負ければ生きては戻れないのが戦場だ。ユリエルは再び向き合い、渾身の力で振り上げられた剣を弾き飛ばし、止めの一撃を加えた。
倒れた敵将兵が、地に転がる。見れば多くの兵が入り乱れている。ユリエルは乗っていた馬に再び跨り、声を張った。
「敵将兵、討ち取ったり!」
この声に、ルルエの兵は明らかに気圧され恐れ手と足を止めた。この瞬間を、ユリエルは逃さなかった。
馬を駆ってさらに門扉を目指す。一度心に恐れを抱いた兵はもう戦えない。ユリエルの進軍を誰も止められない。それでも勇気を振り絞った者が立ちふさがったが、皆一様に切り伏せられる。
戦場は一気に、タニス軍へと傾いていた。
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【ジョシュ】
この様子を見ていたジョシュは、旗色の悪い戦場を睨みつける。そして、追加の兵を出そうと門扉を開けた。既に二千を先陣として出した。今出したのが千。城の守りは千ほどだ。
「やはり、悪い予感ほど当たるものだね。嫌な事だ」
口元に苦笑が浮かぶ。それでも気持ちはまだ軽かった。
ルーカスを無事に船へと乗せ、沖へ出た事を知っているからだ。彼がいれば国は保てる。その対価が自分だというのに、ジョシュは躊躇いもなかった。
その時、急き込んできた兵が顔色を失くして震えながら、ジョシュへと報告した。
「敵襲! 外壁西側より敵攻城部隊がすぐ傍まできております!」
「なに!」
これにはジョシュも顔を強張らせ、歯を食いしばった。東側に大きく展開したタニス軍に注意が行きすぎた。何より西側は何もない原野と森があるばかりのはず。どこに攻城兵器など隠せたものか。
「…まさか」
森に潜ませていたのか? だがそれにも警戒したはずだ。城の周囲を行き交う者に気を配っていたはず。そんな大きく目立つ物が用意されていれば、気づいたはずだ。
ならば、ここで組み立てたのか? 森の中などで組み立て、明け方の霧に乗じて迫っていたというのか。
「城壁を守る弓兵に伝令。西側へと回り照射開始。残っている兵の半分を西側へと向かわせろ」
「は!」
命令を受けた兵が走ってゆく。
だがもう、風向きは変わっている。今から足掻いても、戦いは既に決しただろう。それでも諦められないのは、恰好悪いだろうか。
ジョシュは引き出しから、持ってきていた肖像画を取り出して撫でた。手の平に納まるくらいの小さなそこには、上品で優しげな女性と、生まれて一年ほどの男の子が描かれていた。
「すまない。帰れそうにないよ」
ポタリと落ちた雫が一つ、肖像を濡らす。私人としてのジョシュの、それは小さな心の叫びだった。
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